濱邊達男牧師

先日届いた教団新報に、4月15日に濱邊達男(はまべたつお)先生が召天されたとありました。先生のプロフィールは次のとおりです。

牧師、神学者。2020年4月15日逝去、87歳。1932年神奈川県横浜市生まれ。1955年青山学院大学文学部キリスト教学科卒、57年同大学院聖書神学科修士課程修了、同年より日本基督教団荒尾教会伝道師、前原教会牧師、1966年青山学院大学経営学部宗教主任、弘前学院大学教授、東洋英和女学院大学教授、茅ヶ崎堤教会を経て14年隠退。遺族は妻・濱邊敬子さん。著書:『滝沢克己とバルト神学』、『バルト神学の出発』

濱邊先生は、戦後の混乱期にあって青学神学部(※1977年に廃止)で学ばれ、初任地がこの荒尾教会でした。計算すると当時25歳です。横浜生まれの方ですから、この荒尾とは直接的な結びつきは何もなかったのではないでしょうか。

創設者である信徒の宮崎貞子先生は、1953年恵泉女学園中高で英語教師として再び招かれ東京へと移られました。そして渋谷にある美竹教会に通われたと伺っています。当時美竹教会を牧会していたのが浅野順一牧師です。著名な旧約神学者でもあり、青学神学部で教えられました。貞子先生が浅野先生を荒尾教会にも招き、特別伝道集会をされたことがあります。

つまり、濱邊先生は浅野先生の教え子であり、私が想像するに貞子先生からの何らかの祈りと働きかけがあって、実現した荒尾への赴任だったのではないでしょうか。まだまだ炭鉱も元気だった時代に、どのような召命を抱きつつ若き濱邊先生は来て下さったのでしょうか。 ペンテコステ礼拝の今日、荒尾教会の草創期に思いを馳せましょう。(有明海のほとり便り no.162)