礼拝と現場の両方によって

『信徒の友 10月号』では「献身者を支える」という特集が組まれています。その中で、佐々木結(ひとし)さんという同志社大神学部生の文章が胸を打ちました。

佐々木さんは東京の弓町本郷教会に通う両親のもとで育ちますが、スムーズに召命が与えられたわけではありません。むしろ「疑うならとことん疑ってみようと考え」同志社神学部へと進みます。神学の学びに励み「知識は増しましたが信仰は深まりませんでした。」

そんな佐々木さんの転機となったのは、「バザールカフェ」との出会いです。そこは、京都教区が運営に関わり、元宣教師館を使って、セクシュアリティ、年齢、国籍など、多様な人たちが集うカフェです。私が親しくしている友人たちも関わっているカフェで、一度ぜひ訪問したいと願っています。

佐々木さんはその中心メンバーとなり、いまでは運営委員も務めるようになります。そして変わっていくのです。

神学部で学び始めてから5年半がたち、ようやく気づきました。神学生の学びにおいて重要なのは教室と現場の両方で、それぞれの学びが互いに関わって両輪のように回転していくことなのだ、と。

佐々木さんの言葉を私たちの日々に置き換えるならば、信仰生活において重要なのは礼拝と現場の両方なのです。そして「現場」とは、私たち一人一人が月曜から土曜まで遣わされている家庭や職場・学校などでしょう。それぞれの「現場」は単なる場や空間ではありません。そこにも働かれる神さまの息吹に深く耳を傾けていくこと、そして隣人を愛することを通して、私たちの信仰も確かに深まっていくのではないでしょうか。(有明海のほとり便り no.177)