『ただ信じること』ソラ フィデェ

1946年、当時荒尾高校の英語教師だった、宮崎貞子先生がご自宅(いまの宮崎兄弟資料館)を開放して家庭集会を始めたことから、荒尾教会が始まったと伺っています。けれども、貞子先生ご自身は牧師ではなかったので、牧師を招いての集会も企画していきます。1946年11月に、錦ヶ丘教会から松木治三郎先生を招いて、特別礼拝を持ちました。そこから毎月のように松木先生が足を運んで、貞子先生を助けてくださったのです。ですので、この特別礼拝を守った1946年11月13日が、荒尾教会の創立記念日になりました。

その松木治三郎先生が遺されたイースター礼拝の説教原稿で次のように言っています。

いま、ここでイエスと共にあるということは、
いのちのある間だけではない。
すべてが、人間のすべてが終わった、
現実の死の墓場に立っても、
なお一つだけすることが残っているということである。
それはほかでもない、
「ただ信じること」、ソラ フィデェ。

この箇所を読んで、気付かされました。75年前、この荒尾の地で、荒尾教会を立ち上げていく中で、松木先生が熊本市内から通って伝えようとしたこと。それがこの「『ただ信じること』ソラ フィデェ。」という一言にギュッと詰まっていると。貞子先生もそう信じていたはずです。

「ソラ フィデェ」とは、ラテン語で、英語に訳せば「by faith alone」になります。500年前宗教改革を起こしたルターが最も大切にした言葉でした。

私たちも、どんな時も諦めないで歩んでいきましょう。「人間のすべてが終わった、現実の死の墓場に立っても」、イエス・キリストの復活を「ただ信じつつ」。(有明海のほとり便り no.204)