ルターの負の遺産

引き続き江藤直純著『ルターの心を生きる』を読み進めています。

大きなインパクトを残したマルティン・ルターですが、神格化することは避けなければなりません。特にこの8月にルターの負の遺産として受け止めなければならないのは、「ユダヤ人との関わり」です。

反ユダヤ主義の歴史は古く紀元前のヘレニズム・ローマ時代まで遡ります。そこに「キリスト教以後の反ユダヤ主義は合流し、それはキリスト教世界となった中世でもさらに強まりながら続き、中世末期のルターたちもその中で生きた」(p.219)。「ユダヤ人は『キリスト殺し』の責めを負わされ、やがてヨーロッパというキリスト教が圧倒的多数を占める社会の中で、キリスト教に改修せず…排除され、さまざまな差別と偏見、ときに迫害を受けていきます」(p.220)。

しかし初期のルターは「抜きん出てユダヤ人に好意的」(p.221)でした。「イエス・キリストはユダヤ人として生まれた」というタイトルの小冊子を発行し、「彼らは実際には我々よりもキリストに近い」とまで言っています。

けれども晩年のルターは厳しい口調で「シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)や学校を焼き払い」、「住宅を破壊し」、「祈祷書やタルムードを没収し」、青年たちに労働を強いることを言ってしまいました。「幸いというべきでしょうが、この勧告は実践に移されることはほぼありませんでした」(p.225)。けれども、近代に入りナチス・ドイツによって、600万人を超えるユダヤ人虐殺の根拠に、このルターの言葉が使われてしまったのです。

ドイツの教会はこの歴史を深く反省し、「ホロコーストへの「共同責任と罪責」の告白…ユダヤ人が今も「神の民」として選ばれており…キリスト教への改宗を求めての電動は不必要」(p.232)と宣言しつつ歩まれています。(有明海のほとり便り no.221)