「正しい戦争」はない

江藤直純著『ルターの心を生きる』を(ようやく?)読み終えました。実は、一ヶ月前に著者の江藤先生からメールを頂きました。先生が本について検索したところ、荒尾教会のHPに繋がり、私を見つけて嬉しかったと。すぐにでも返信したかったのですが、読み終わっていないのに、しかも適当なことを書くわけにもいかない(!)と、より丁寧に読みました。

「アウグスブルグ信仰告白」を聞いたことがあるでしょうか。私自身、神学校の歴史神学で(ちらっと;)学んだ程度でしたが、今回この信仰告白が「ルーテル教会にとっては重要」(p.322)であることを学びました。ルターを思想的に支えたメランヒトンがアウグスブルグで起草したものです。

信仰告白第16条「国の秩序とこの世の支配について」には「キリスト者は、政府、諸侯、裁判官の地位に罪を犯すことなく就くことができ、判断や判決を下し、悪人を剣によって罰し、正しい戦争を行い…」とあります。この「正しい戦争」を巡って、次のよう綴られていました。

「ルター研究所訳の『アウグスブルグ信仰告白』に収められている鈴木浩先生の解説の中で、中世以来厳密な規定の下に神学的に肯定されてきた『正しい戦争』は、核兵器をはじめとする大量兵器の出現と、戦闘員と非戦闘員とを区別しない戦略の変化により、ポスト・ヒロシマ/ナガサキの現代ではもはや支持され得ない」(p.353)。

そうです!どの戦争も常に「正しい」ものとして、「国を守るため」として始められていきますが、その結果傷つくのは誰でしょうか? 76年前の広島・長崎で、日本各地で、そしてアジア・太平洋で殺された<いのち>を思う時、「正しい戦争」など存在しません。非暴力を貫かれたイエスによる「神の平和」を祈り作り出していきましょう。(有明海のほとり便り no.222)