井柳福次郎牧師(4代目・1963年春~1965年春)

井柳福次郎牧師は、静岡県に生まれ、63年日本聖書神学校卒業し、荒尾、鳥羽、四日市教会を牧会し、02年隠退。2018年18年11月10日に87歳で召天されました。

神学生時代、宮崎姉と同じ東京の美竹教会で教会生活を許された私に、荒尾教会を奨めて下さったのは同姉と恩師浅野順一先生でした。先ず、夏期伝道ということになって、1962年の夏に荒尾教会を訪ねた時が最初の出会いでした。ドラマチック?な夏期伝道を体験して帰京し、荒尾教会に赴任しましたのは翌年の4月でした。三池炭鉱労働争議の直後のことでその波紋は教会にも伝わっていました。…その秋、三川鉱の爆発事故があり、458名の犠牲者が出ました。全国からのお見舞品の分配や、関係組合員の御宅にお伺いしました。
…こうした尽きぬ楽しい想い出の背後には教会に仕える諸兄姉の厚い祈りと支えがあったことを忘れません。独身時代の半年、そして結婚後、私共家族が主に仕える諸兄姉から暖かい交わりと励ましをたくさん頂きましたことを合わせて感謝致します。荒尾在任中に生まれた長男(基名)も今は結婚して聖和大学の教師として、妻みどりもささえられてこひつじ幼稚園にそれぞれ勤務しております。

荒尾教会創設に尽くした宮崎貞子先生は東京の恵泉女学園で1953年から1962年まで英語と聖書の教師として働かれました。当時出席されていたのが、著名な旧約学者でもある浅野順一牧師が牧会する美竹教会でした。そこに神学生として出席していた井柳先生が初任地として荒尾教会に遣わされたのです。新任教師として、三池炭鉱労働争議そして三川鉱炭じん爆発事故という激動の中での働きに困難は尽きなかったはずです。けれども何よりも教会員の「厚い祈りと支えがあった」こと、その多くの先達がすでに召されていることを召天者記念礼拝の今日、覚え繋いでいきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.235)