2024年の歩み

能登半島地震で幕を開けた2024年でした。死者412名にも及んだ災害の傷跡が癒えることはありません。さらに、その遅すぎる復興作業に、被災された方たちの思いはいかばかりでしょうか。「風化」や「忘却」をしてはなりません。祈りに覚え続けましょう。

同じ学法で歩んでいる霊泉幼稚園(山鹿教会)では、祈り続けてきた園舎建築が本格化しました。ちょうど1年前に、園舎建築のための補助金の内示が出て、3億円規模のプロジェクトが始まりました。困難を極めたのは入札でした。入札に最低10社集める必要があり、TSMCバブルに人手不足もあり、Y先生を中心に必死で入札に参加して下さる業者を探しました。入札が無事終わるまで、ハラハラ過ごしつつ祈りました。地元の三和建設に決まった際には大きな安堵でした。2月完工予定を目指して、三和建設も象設計集団もとても丁寧かつ着実に建築を進めて下さっています。

O教会が無牧となりました。1月より新たに代務者が与えられると伺っています。地区や県は違いますが、車で10分のところにあるお隣の大切な教会です。困難な歩みに必要な支えと守りがあることを祈りましょう。

教会に関わる一人ひとりにとっても、決して平坦なものではありませんでした。悲しみや痛みを伴う出来事もありました。社会も、教会も、園も、家庭も、そして一人ひとりも、神さまからの導きと守りがあることを祈りましょう。(有明海のほとり便り no.392)

12/22 クリスマス礼拝、24 クリスマスイヴ礼拝

クリスマス礼拝 12月22日(日)10時半より
※礼拝後、愛餐会を行います。こちらもぜひご参加下さい。プレゼント交換を行うので大人1000円・子ども500円程度のプレゼントを可能な方はご準備ください。

クリスマスイブ礼拝 12月24日(日) 18時より
※荒尾めぐみ幼稚園きりんさん(年長)・うさぎさん(年中)によるページェントがあります。

世界では戦禍にある人々が沢山おられます。このような時だからこそ、神さまの独り子イエスさまの降誕を共に喜びましょう。神さまは共にいて下さいます。

「荒尾教会の伝道」

『日本基督教団熊本坪井教会 独立五十周年記念誌』(1958年発行)の中に、信徒・宮崎貞子先生による文章「荒尾教会の伝道」が掲載されています。

…初め二年間程は集会の人数も不定で出席者は入れ代りたち代わりまことに淋しい思いをいたしましたが、その中、十五人前後のやや安定した集会を持つに至りました。1948年のクリスマスには初穂として三名の方々が受洗せられ大きな感謝と喜びが与えられました。引きつづき毎年約三名の受洗者がありまして、1949年の春には松木先生と坪井教会の御厚意により同教会荒尾伝道所として新しい出発をいたすことが出来ました。…予算七十万円をもって会堂の建築を思い立ちました。このために内外協力会より三十五万円の援助がありましたが残り三十五万円の募金は相当骨が折れました。教会員は婦人と青年のみでその上少数でありますから広く土地の人々にも援助を仰がねばなりません。或る時は数日間旧友を歴訪し或る時は婦人の会員四、五名が市議会の席に出かけて議員方に訴え、又小中学校の運動会その他の催しには売店を開きなどして全会員が祈をあつめ力を尽して、ようやく二年間に予定の額を与えられました。・・・1951年4月26日荒尾市のやや南寄り有明海を見渡す増永の小高い丘に三十二坪余の会堂献堂式と共に第二種荒尾教会設立式を挙げることが出来ました。又これと同時に附属幼稚園を開設致しました…とは申せ荒尾の伝道はまだ決して容易なことではございません。農夫が堅い堅い土を耕して種子を蒔くように、農村に特有な根強いいろいろの困難を一つ一つ克服してキリストの救の聖言の宣教に当られる牧師先生とこれを援ける教会の兄弟姉妹方のために一日も祈を忘れることは出来ないと考えて居ります。

この祈りを繋いでいきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.391)

『生きる』

詩人・谷川俊太郎さんが召されました。詩作だけでなく、『スイミー』『ピーナッツ』の翻訳など、作品の価値は計り知れません。特に詩『生きる』は、わたしの中でとても大切な詩であり、読むたびに深い慰めをいただきます。

生きているということ いま生きているということ それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること あなたと手をつなぐこと
生きているということ いま生きているということ それはミニスカート
それはプラネタリウム それはヨハン・シュトラウス それはピカソ それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ そして かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ いま生きているということ 泣けるということ 笑えるということ
怒れるということ 自由ということ
生きているということ いま生きているということ いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ いま生きているということ 鳥ははばたくということ
海はとどろくということ かたつむりははうということ
人は愛するということ あなたの手のぬくみ いのちということ

このような福音を分かち合っていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.390)

『日本基督教団熊本坪井教会 独立五十周年記念誌』

創立78周年記念礼拝にお招きした川島直道牧師より、『日本基督教団熊本坪井教会 独立五十周年記念誌』(1958年発行)をお借りしました。熊本坪井教会(現・錦ヶ丘教会)の歴史自体、日本の教会史としてとても興味深いものなのですが、やはりわたしの関心は、そこに荒尾教会がどのように記されているかに注目しました。わたしが見つけることの出来た関連記述を抜粋します。

1948年9月22日23日 青年会主催修養会於荒尾伝道所

1951年4月29日 荒尾伝道所は第二種教会に昇格し川崎嗣夫伝道師を迎え、教会設立式及び就任式が行われた。

(1953年)仝年9月ー翌年1月 荒尾教会牧野富士男(夫)牧師は、毎月一回、聖日説教の奉仕をされた 本年度も引続いて松木牧師、関西学院滞在中は戸田副牧師(5月まで)荒尾牧野牧師当教会長老により、聖日礼拝を守った。

(1954年)仝年4月11日  荒尾教会より来信(抜) 『母教会、熊本坪井教会の祈りと物心両面にわたる援助を心から感謝します。(中略) 私共はここに無より有を創り給うた全能の父なる神への信頼の決断と、私共の悔い改めと献身により過去数年にわたりました貴教会よりの財的援助のみを辞退申し上げる決意をしました。…』

(1956年)仝年8月28日ー30日 夏期修養会 於阿蘇赤水YMCAキャンプ 主催 坪井、荒尾、羽犬塚、三教会連合 主題 「信仰告白」 講師 田中従夫、牧野富士男(夫)、西豊

(1957年)仝年8月21日ー23日 記念夏期合同修養会 主催 坪井、荒尾、羽犬塚、三教会 主題 「正しい教会の在り方を求めて」 指導、田中従夫、西豊、浜辺達男。出席、坪井26名、荒尾12名、羽犬塚6名

「荒尾伝道所」として始まった荒尾教会にとって、熊本坪井教会は「母教会」であったことを、改めて教えられました。当時の荒尾教会牧師・牧野先生が言われているように、神が「無より有を」創られたこの恵みに感謝しましょう。(有明海のほとり便り no.389)