『真理と信仰』

「真理を求めてよく考えれば必ずキリスト教信仰に至る」

内村鑑三の弟子、鈴木弼美の言葉です。鈴木は東大の助手でしたが、それを投げ捨てて、山形の小国町というとても奥深い山村に、基督教独立学園という全寮制の高校を創設しました。

鈴木先生が生徒たちによく語った言葉があります。それは、「真理を求めて考えなさい」であり、「真理とキリスト教とどちらを取る?」と聞かれれば「真理を取る」と答えたそうです。これは「真理を求めてよく考えれば必ずキリスト教信仰に至る」という信念・信仰に繋がっていきます。

私が 49 期生として入学した時、すでに鈴木先生は召天していました。2 年生の時、私は山ぶどう酒事件を起こし無期停学になったのですが、その時に事務の先生から渡されたのが、鈴木先生が書かれた『真理と信仰』という本でした。高校時代読んだ本の中でも、深く自分自身に刻まれた一冊です。けれども、一般には流通しているものではなく、人に紹介したくとも難しい本となっていました。

今回、一人の卒業生の手によって、pdfデータになってインターネットに公開されました。それも、「21世紀の中高生が読みやすい本」とするために、ふりがなとかなり詳しい註を加えて下さったのです。さらに、原本には未掲載の鈴木先生の文章を4章分も加えてあります。その尽力に心から感謝です。この稀有なキリスト者の信仰と思想そして生き様に、ぜひ一度触れてほしいと願っています。(有明海のほとり便り no.336)

あそびは ごはん

毎年、色々な養成校から実習生が派遣されます。荒尾めぐみ幼稚園での実習が、いい意味でも反面教師的な意味でも実り豊かなものと願っています。実習生はもちろんですが、担当する各担任にとっても、日々実習生のメンター(相談役)となり、日誌へのコメントを返していくことは楽なことではありません。けれども、実習生の受け入れを通してわたし達自身の学びにつながることも多く、依頼があればすべて受け入れるようにしています。また、園長として実際の保育現場にずっと入ることは難しいため、せめて日誌にはコメントを加えるように心がけています。その中で、先日りんごの木代表の柴田愛子さんの文章「あそびは ごはん」に出会いました。

あそびはごはんのようなもの 毎日食べないと 元気が出ない
毎日食べているのに 飽きない 主食のご飯やパンが大事
どんなにおかずが豪華でも どんなに珍しいものでも
そのおいしさがわかるのは 主食があるから
ご飯もあそびも何の足しになっているか 定かではありませんけれど
心が喜んで 前向きに生きていけるには 絶対必要!
あそびのご飯 食べていますか?
私なんて もはや 仕事とあそびの境目がわかりません
あそびっぱなしです! ご飯食べっぱなしです!
だから幸せに太っています。

遊びをご飯のように大切にしていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.335)

若松英輔著『亡き者たちの訪れ』

期せずして、召天者記念礼拝の準備と重なりました。すべてを読み終わってはいませんが、講演録をもとに編まれており、深いテーマを見事に語られており、特に「宗教(者)」へ問いかけが鋭くささりました。

若松英輔は1968年生まれの批評家・随筆家であり、キリスト者です。けれども、3・11という大震災を受けて、キリスト教を含む宗教者からは本当に必要な応答がなかったと指摘します。

鎮魂を論じることと、魂を感じることは別です。魂の実在を信じていなくても、鎮魂を口にすることはできる。それが現代なのかもしれません。文学者ならまだしも、宗教者すらそうだった、と私には思えました。彼らの発言は、現実から離れているだけでなく、冷淡にさえ感じました。冷淡な、と私が言ったのは、彼らが、生者を思う死者の言葉に耳を傾ける前に、彼らを別な次元に追いやることで決着をつけようとした、と見受けられたからです。(pp.18-19)

ここで若松は、オカルト的な存在でも、幽霊でもない「死者」について語っています。この「死者」は沈黙している存在なのではなく、もっと積極的にわたし達「生者」に語りかけてくる存在として描きます。若松にとっての亡き父や連れ合いのような存在です。

死者を語らない宗教など、すでに宗教の名に値しないと私は思います。宗教は、狭義の道徳でも、倫理規範でもありません。どう生きるのが正しいのかを説く思想でもありません。宗教とは、生者と死者がともに超越と不可分の関係にあることを示す契機であり、伝統であり、生きる道です。(p.32) 

「復活した死者」であるイエス・キリスト、そして信仰の先達たちからの語りかけに、耳を澄ましていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.334)

大江健三郎著『「新しい人」の方へ』

薦められて手に入れようとしたら絶版になっていて、古本でようやく購入した一冊です。大江健三郎らしいユーモアとあたたかさに満ちたエッセイ集で、とても読みやすかったので、ぜひお手にとってほしい本です。

大江は本を「速読」することではなく、むしろ「ゆっくり確実に読んで、それからの生涯を、本当に本を読む人としてすごすのがいい」(p.181)と語ります。

本を読むための自己訓練は、本当に読みたい本が、ゆっくり読まなければ内容をつかめない場合に、必要になります。こういう本は、ゆっくり読むのですから、なかなか前へ進まない。なにより良くないのは、途中で投げ出してしまうことです。どうしても難しく、読み続けられない時は、もう少したってから、あらためて読む本の箱に入れておくといい。そして、時々トライしてみることです。(p.191)

キリスト者にとってまさに「ゆっくり確実に読む」ことが求められるのは、聖書です。なかなか前へと進んでいきませんが、皆さんと共に読み進めていきたいと願っています。

パレスチナ人思想家であるエドワード・W・サイードとのやり取りも印象的でした。サイードはイスラエルによる強大な支配に対しても、そしてパレスチナ側の「自爆テロ」に対しても反対を言い続けました。

カイロの新聞に載ったサイードの文章にこういうところがあります。…《イスラエルの排外主義と好戦性に対する、私たちの答えが、「共存」である。それは譲歩することではない。連帯を作り出すこと、それによって、排外主義者、差別主義者、そして(たとえばビンラディン一派のような)ファンダメンタリストたちを孤立させることなのだ。》

いまこそ二人の言葉を再読し分かち合いたいと願っています。(有明海のほとり便り no.333)

小中学生の自殺者が過去最多

文部科学省が10月4日、2022年度の児童・生徒の自殺者が411人、前年度比で43人も増えたという調査結果を発表しました。特に小学生は19人、中学生は123人で過去最多、高校生も269人で過去2番目という結果です。

どうしてこのようなことが起こってしまうのか…。原因はもちろん一つではありません。いじめ、暴力、家庭内暴力、教職員による体罰など、様々なことがきっかけとなって自死へと繋がっていきます。けれども原因に関しては、半数以上が遺書を残していないため、多くは分からないのが現状のようです。

文科省も『SOSの出し方教育』を推進したりなど対策を打ち出しているようですが、まだまだその効果が出ていないことも事実です。世界的に見ても、日本は子どもの自殺が特に多い国になっています。

一人一人のいのちが「かけがえのない」ことを、子どもたちと、そして社会全体でもっともっと共有していかなければいけません。そのために、もっと教育(乳幼児・小中高大)に予算を回し、豊かな環境(人的にも物的にも)を造り上げていく必要があると思います。いま政府は軍拡を推し進めていますが、「かけがえのない<いのち>」という視点からも、お金の使い方としても、間違っているのではないでしょうか。

そして、このような子どもたちの現実を目の前にして、荒尾教会として、荒尾めぐみ幼稚園として一体何が出来るのでしょうか。まずは、子どもたちと「あなたは愛されている<いのち>」であることを分かち合っていきましょう。そして、学校でも家庭でもない、もう一つの居場所となるように出来ることを模索していきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.332)

突然の訃報を前に

「A牧師が2023年10月9日(月)に天に召されました。55歳でいらっしゃいました」という訃報を受け取り、呆然としてしまい、仕事に手がつかなくなってしまいました。牧師園長として幼稚園の責任も持ち、認定こども園への移行、そして新園舎建築をやり遂げた矢先でした。しかも、新しい教会の会堂建築も同時に成し遂げたところでした…。

A牧師と初めて出会ったのは、わたしが札幌にいた頃です。当時、A牧師は札幌の教会・幼稚園を牧会されていました。修士2年の冬、悩みに悩んだ末に農村伝道神学校へと行くことが決まった頃に、たしか天皇制・靖国問題を覚える集会が札幌でありました。教団だけでなく、各諸教派そして仏教諸派も集うもので、大きなお寺で行われました。赤いパーカーを着ていったら、みなさんフォーマルな服装で、一人場違いで少し恥ずかしかったのを覚えています。その場に、A牧師が出席されていて、ほとんど仏教関係の僧侶さんたちの中にわたしを見つけると、嬉しそうに話しかけてくれたのをよく覚えています。

A牧師も農村伝道神学校の出身で、わたしが農伝に進学してからすぐに、A牧師も西東京の教会・幼稚園に転任されました。神学校日礼拝などにお招きいただいたり、お連れ合い共々とてもお世話になりました。 北海道に転任されてからは直接お会いする機会はほとんどありませんでしたが、A牧師園長の働きと温かい人柄はいつも胸にありました。あまりにも早すぎる召天に、最も驚き悲しみの淵にあるご家族、そして教会・幼稚園の関係者に癒しがあることを祈ります。(有明海のほとり便り no.331)

99ではなく目の前の一人に

先日、はるばる群馬から荒尾を訪ねてきてくれた、三浦啓牧師園長(桐生東部教会・にじいろこども園)と、様々なことをゆっくり話すことが出来ました。特に、ブレずにキリスト教保育を実践していく歩みから、大きな刺激を受けました。子どもたちはもちろんですが、こども園で働く教職員や、養成校から来る実習生一人一人をとても大切にされ、そこから生まれてきた子育て支援センターの働きの充実に感銘を受けました。

昨年の法人研修で三浦牧師から学んだことを思い起こしていました。あいにくのリモート研修でしたが、「保育観」をテーマにどんなキリスト教保育をわたし達が願っているのか問われ考えました。特に響いたのは次の言葉です。

保育観を大切にするのなら、1/100に届く保育をすること。99を追わない。必ずその1が次第に2、3、10に繋がっていく。良いもの(保育)は必ず伝わる、求められる!

いま少子化の波がどんどん押し寄せる中で、経営責任がある園長・理事長としては新入園児が来てくれるだろうかと不安で一杯です。ただ待つのではなく、インスタグラムやYoutubeなどのSNSを使って積極的に情報を届けてもいます。けれども、中々すぐに成果が現れることでもなく、ジワリジワリというのが現状です。

そんな中で、分かりやすい「〇〇教室」「〇〇式」などへの誘惑は常にあります。けれども、久しぶりに三浦牧師と対面で話す中で、99人ではなく目の前の1人を大切にすることこそがキリスト教保育の原点であること、それを実現してくれている教職員や保護者たちを祈り・支え、このよさを発信していくことが牧師園長の仕事であることを再確認しました。(有明海のほとり便り no.330)

世界宣教の日

日本キリスト教団から、いま9名の宣教師が世界各地に派遣されています。以前に比べると、その人数も減ってきています。教団の中に世界と繋がっていく力が弱くなってきていること、宣教協約を結んでいる世界各教派の力も弱くなってきていることがその一因ではないでしょうか。

けれども、そのような時だからこそ、内に籠もるのではなく、外に開かれていくことが大切です。社会心理学では、集団が過度なストレスにさらされたり、外部情報が入らない閉鎖的な状況においてgroupthink(グループシンク=集団浅慮)が起こりやすいことが指摘されています。つまり、視野が狭く誤った判断をしてしまう危険性が高まってしまうのです。それを防ぐためにも、教団派遣宣教師たちの働きは重要です。

教団宣教師を覚えて「共に仕えるために」という冊子が毎年教会に送られてきます。冊子にはそれぞれの働きの報告がなされ、毎回興味深く読んでいます。その中で直接訪問したことがあるのは、うすきみどり宣教師(台湾長老教会国際日語教会)です。台北を訪問した際、平日夜に行っている「聖書と日本語教室」に友人の柴田信也牧師と参加させていただきました。うすき宣教師と夕食をご一緒させていただき、色々と貴重なお話しを伺いました。

この数年で、日本統治時代に日本語で学校時代を送られた台湾の方々が90代になられました。その世代の台湾人の方々が戦後、日本語使用が禁止されていた戒厳令時代に建ててくださった私たちの国際日語教会は、今年10月に創立50周年を迎えます。…日本統治時代の方々とできるだけ長く一緒に祈りや讃美の時が持てますように。

世界各地に使わされている宣教師の働きを祈りに覚えていきましょう。(有明海のほとり便り no.329)

イエス推し

10月の『信徒の友』の特集「推し活!」が目を引きました。『信徒の友』は、わたしの勝手なイメージでは真面目で穏やかな信仰生活を支える月刊誌のように感じていたので、このようなテーマは久しぶりで、早速読ませていただきました。縄文推し、ディラン推し、ホヤ推し、コナン推し、カブトムシ推し、書道推し、三浦綾子推しなど、一概にキリスト者と言っても、その興味関心の幅は、一般の人と変わらず幅広いことを再確認しました。

興味深かったのは、早稲田教会の古賀博牧師が「そもそもクリスチャンはイエス推し」と題して「推し活」について論じている文章です。古賀牧師は、特にコロナ禍において推し活に励まされた面があったことを指摘しています。

あるテレビ番組で、心理学者が推しや推し活について語った内容は、私の心に深く残りました。「推しの存在や推し活という行為は、どんな時にもその人に大きな喜びを与える。苦境に立たされたり、厳しい状況の最中に置かれても、推しを思うことで、人は繰り返して勇気と励ましを得ることができる」というのです。

「キリスト者(クリスチャン)」という呼び名は、もともとは自分たちで付けたのではなく、周囲の人々から侮蔑のニュアンスを込めて付けられました。

「キリスト漬け」「キリストマニア」「キリストおたく」たちの自主的で熱心、そして喜びをもっての証しが、同信の仲間を起こしていきました。この人たちは、いわば「イエス・キリスト推し」だったのであり、その人々の推し活が異邦人伝道を推し進めました。

推しも熱狂しすぎると問題がありますが、押し付けがましくなく、喜びをもって「イエス推し」を広げていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.328)

十年後、二十年後に向けて

最相葉月著『証し』は、北海道から沖縄まで巡り歩き135名ものキリスト者たちから証しを聞き取った1094ページに及び大著です。ようやく900ページを越えたところですが、これほどまでに豊かなキリスト者達の姿があるのかと、新鮮な驚きと気づきを与えられています。

何人か知り合いもいました。そんな友人の一人が、京都にある丹波新生教会園部会堂で牧会している宇田慧吾牧師です。わたしが神学生時代に滋賀にある水口教会へ夏季伝道実習に行った際、彼は同志社の神学生として近江八幡にあるアシュラムセンターの寮に住んでいたのです。そして、彼が最初に赴任したのも福島県にある川谷教会で、東北教区で再会しました。

けれども、彼が牧師となっていくまでの道のりは決して平坦なものではなく、紆余曲折がありました。簡単には聞いていたものの、かなり突っ込んで『証し』には書かれており、初めて知るようなことばかりでした。その紆余曲折の原因はおそらく、教会側にあります。日本キリスト教団の教会が旧態然としてしまい、本当に福音を必要な人たちに届けようとしていない閉ざされた姿に、彼は失望するのです。

日本の教会がこれまでの体制で継続できないことは、もうはっきりしています。最後まで一生懸命支えていくつもりですが、あと十年もしたら支える対象がどんどん減って、新しい体制にならないといけないことは目に見えています。そうしたら、ずいぶん風通しはよくなると思います。…十年後、二十年後に必要とされたとき、新しい教会のやり方を実現できるように自分たちがしっかり勉強して、仲間を増やして準備しようとは話し合っています。そう、十年後、二十年後に向けてやっていこうと。(p.960)

この呼びかけに応えていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.327)