真ん中で、共にあるイエス

家庭礼拝メッセージ ルカによる福音書24章36節

「あの日から、なかなか眠れず、薬を飲んでも眠れないんだ…」

仙台で東北教区被災者支援センター・エマオのコーディネーターをしていた時、毎日のように訪問させていただいた仮設がありました。そこに住むHさんが、お茶っこの時に、ボソッと言われた言葉です。「あの日」とは、Hさんが津波に遭い家族を、すべてを失った日のことです。

新型コロナウイルスによる感染が蔓延するいま、世界全体でこれほどまでに多くの人たちが「平和」と「愛」、そして「つながり」を必要としたことは、ないかもしれません。でも実はこれまでも、東日本大震災や熊本・大分地震で、各地の災害で、日本社会の歪みの中で、求めている人たちは沢山いました。そのことも、祈りに覚えていきたいと願っています。

イエスは十字架に架けられ殺され、三日目に復活しました。恐れ逃げ隠れていた弟子たちの「真ん中に立ち」、イエスが言った言葉。それは、「平和があるように」でした。単なる慰めではありません。恐れおののいている人たちの真ん中に、復活したイエスは共にあり、神の平和・愛・つながりを分かち合っているのです。

復活したイエスは、眠れない夜を過ごすHさんと共に、そしていま、病床で苦しむ方たちと、必死に医療活動を担う医療従事者の方たちと、休校・休園になり家で過ごす子どもたちと、不安を抱えている一人ひとりと、共にいて下さっています。

みなさんに、神の平和がありますように。(有明海のほとり便り no.157)

完璧な献げものなんてない

Forget your perfect offering. There’s a crack in everything. That’s how the light gets in.(完璧な献げものなんか忘れなさい。すべてにひびがあり、そこから光が差し込むのです。)”

アメリカ・セントルイスにあるPeace合同教会のウェンディ・ブルーナー牧師により、説教前の短い祈りの言葉が胸に響きました。

私自身を振り返ると、完璧を追い求める傾向が強く、大分そこから自由になったと思ったら、またそこに戻ってくる…の繰り返しです。イエス・キリストの福音宣教についても、完璧さを追い求めがちです。そして、その「完璧さ」が自分を苦しめます。到底そんなことは出来ないのですから。

ちょうどこの言葉をYouTubeで聞いた時、自分の中で様々なことがモヤモヤしていた時でした。新型コロナウイルスの蔓延を目の前にして、様々なことが重なりました。

けれども、ウェンディ牧師が指摘するように、私たち人間に「完璧な献げもの」は不可能であり、「すべてにひび」があるのです。まさに土の器(IIコリ4:7)なのです。「完璧さ」を追い求めてしまうというのは、「すべてにひび」があることを受け入れられていない証拠であり、あたかも「自分が神になろう」としてしまうことです。

「ひび」は私たち人間の目からしたら欠点であり、弱さかもしれません。けれども、神さまはこの「ひび」にこそ光を、愛を注ぎ込む方なのです。ウェンディ牧師の祈りにはその信仰が込められています。 「(神の)力は弱さの中でこそ十分発揮される」(IIコリ12:9) (有明海のほとり便り no.156)

♯はなれていても、つながっています

2020年度最初の主日礼拝です。本日から山田原野教師は荒尾教会の副牧師となって下さることを心から感謝いたします。

日本社会・世界全体は新型コロナウイルスの影響で、明るい見通しを見出すことは出来ません。けれども、こういった時にこそ傍らに共にいて下さるイエス・キリストを信じ、そのぬくもりを周りの方たちと分かち合っていきたいと願っています。

YMCAが「安全のために、はなれていても、わたしたちはつながっています」というメッセージを発信しています。田口努総主事がこのように書かれていました。

この世界的危機の中、社会的な不安の中で、皆さんの身近な地域で、より小さく、弱くされている人が、より不安や困難の中にあることを覚えます。高齢者や、子どもたちや母子世帯、障がいのある方は、日常の居場所や活動、学びや働きの場を失い、海外につながる方も情報格差の中にあり、より孤立化しやすい状況にあります。この週末は、感染が急増している若者、青年たちへ自粛を求めるターゲットとなっています。この孤立感や閉塞感が漂う中で、YMCAは、声を上げメッセージを出していきたいと思います。それは、「♯はなれていても、つながっています」 というメッセージです。

孤立ではなく繋がりの中を歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.155)