「道」 作:原田弥生

「あの道の美しさぁ」 私が6才の時96才で逝った
 曽祖母の最期の言葉

あの時あなたが見たその道は どんな道だったのですか?
 天に通じる輝く道だったのですか?

あの日からこの魂の奥底に
 あなたの見たあの道の幻が
 宿って消えない

あなたの血が流れ込み
 新しい命へと押し出す

あなたの人生の全てを導いた光が
 希望となって私の今を照らし続ける

光の方へ、輝く道の方へ
 歩んでいきなさいと

『信徒の友1月号』を読み返していると、原田弥生さんの詩が掲載されていたことに気付きました。まだ幼子であった弥生さんにとって、曽祖母の存在の大きかったこと、そして「あの道」という「最期の言葉」をしっかりと覚え続け、さらにその意味を問い続けていることに感銘を受けました。

選者の詩人・岡野絵里子さんが次のように評しています。

清い魂の持ち主だったのだろう。その日から、作者の魂にもまだ見ぬ道が敷かれたのだ。

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことが出来ない」(ヨハ14:6)と言い遺したイエスの言葉とも響き合っています。 「あの道」へ「光の方へ」共に歩んでいきたいと祈っています。

軍拡という大いなる矛盾

今回の選挙結果を受けて、日本政府が軍備拡大へとさらに舵を切っていくことを心配しています。

熊本市東区にある陸上自衛隊健軍駐屯地に長射程ミサイルが日本で初めて配備されようとしています。これは日本で初めて外国を攻撃できるミサイル(射程約1,000km)です。健軍駐屯地は住宅地に囲まれており、昨年度の法人研修でお招きした、T先生が理事長を務めるS保育園も近くにあり、反対運動を展開されています。長射程ミサイルにより、駐屯地が攻撃を受けるリスクがかなり高まることは言うまでもありません。その被害は地域住民にも及びます。しかし、国は十分な説明をすることなしに計画を進めています。23日にはこの動きに反対の意思表示として、健軍駐屯地をみんなの手で取り囲む行動が計画されています。ぜひ参加したいと考えています。

また、今回の選挙結果を受けて、被爆国である日本が核兵器禁止条約に批准する可能性も、ほぼなくなってしまいました。ノーベル平和賞を「核兵器廃絶国際キャンペーン」が受賞した際にスピーチされたサーロー節子さんは、母教会の日本キリスト教団広島流川教会で次のように言われています。

日本の教会は静かだと思います。「ただ怖いことだ…あれは二度と起こってはいけないことだ、だから祈ります…」だけでは十分ではありません。そういう自覚があれば、行動に移しましょう。どういう行動かというのは、各自で考えてください。それぞれあるはずです。…唯一の被爆国ですから先頭に立って核廃絶のために働かなければならない。(日本政府は)いつもアメリカの背後にあって追従ばかり続けています。悲しい現実です。(2015年8月9日平和聖日礼拝でのメッセージより) 

時に「静かでない」教会になることが求められています。

『BC級戦犯にされたキリスト者―中田善明と宣撫工作―』

毎年熊本地区では「信教の自由を守る日」特別講演会を企画していますが、明々後日は表題作の著者・小塩海平さん(東農大)をお招きします。講演題は、「日本の教会は、いかにして国家に恭順になっていったか−BC級戦犯にされた中田善秋から考える−」です。

キリスト教会は、「福音宣教」の名の下で植民地政策に協力し「改宗」させ、そのためには暴力も辞さなかった歴史があります。

1941年26名のキリスト者たちが「宣撫工作班」としてフィリピンに派遣されました。その中に、当時まだ神学生で英語が堪能であった中田善秋(旧・日本基督教会)がいました。計画は1年でしたが中田だけは「日比両国のかけ橋になりたい」(p.46)と願い、残りました。けれども、戦局が泥沼化していく中で、日本軍は「一般住民の虐殺を行うようになっていった」(p.47)のです。1945年2月24日「サンパブロ事件」が起きます。日本軍はサンパブロ教会に集めた中国人500余名、フィリピン人80余名を教会裏で殺害しました。中田は計画時から反対しますが強行される中で、教会からフィリピン人10余名と華僑協会の元会長を助け出しました。けれども戦後、この事件に関するBC級戦犯として重労働30年の刑が言い渡されました。直接的な指導者たちが偽り自己保身に走り刑を逃れる中で、中田は日本が犯した罪を正面から受け止めていったのです。10年後、中田は釈放されますが、教会に戻ることはありませんでした。

私は、あの中華系の住民たちが殺されることを確かに肯定を心の中でしていたと、はっきり認めざるを得なかったのだ。私はうなづいていたのだった。その意味において、確かに「有罪」と云われても仕方がない。(p.86) 

わたし達は、このような歴史を繰り返してはなりません。(有明海のほとり便り no.448)

選挙と排外主義

衆議院選挙が始まりました。選挙権のある方は、しっかり投票権を行使していただきたいと願っています。

このようなタイミングで国政選挙が行われることに、わたしは危機感を覚えています。軍事関係予算が増え続け、原発も再稼働し、格差も拡大しています。子どもの貧困は「9人に1人」となり、子どもの自殺者数も増え続けています。神の平和とは真逆の日本社会へと、どんどん突き進んでいます。それぞれ考え、しっかりと選挙権を行使していただきたいと願っています。

衆議院選挙にあたり排外主義の煽動に反対する緊急共同声明が出されました。わたしの父が事務局を担う「外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会(外キ協)」が呼びかけ団体の一つとして名を連ねています。ぜひお読み下さい。

同年5月に出入国管理庁が発表した「国民の安全・安心のための不法滞在者ゼロプラン」を強行に推進し、強制送還を前年比でほぼ倍増させています。その結果、日本で生まれ育った非正規滞在の子どもたちやその家族、他国であれば難民認定されたであろう人々等が、突如日本での生活を根こそぎ奪われる理不尽に苦しめられています。…10月以降、外国人やイスラム教徒の人たちを排斥するデモや街頭宣伝が急増し、インターネット上にヘイトスピーチが氾濫しています。住居や駐車場を貸してくれなくなった、クレジット契約更新を断られた、クラスメートから「日本人ファースト」と言われたなど、日常的な差別も悪化しています。

人間はたった0.5%の塩分で塩味を感じ始めるそうです。「地の塩」(マタ5:13)として、投票は微力でも無力ではありません。 神の国・神の平和が実現しますように。(有明海のほとり便り no.447)

ことばのうちがわへ

この聖書(よいほん)(よいほん)のことばを
うちがわから
みいりたいものだ

ひとつひとつのことばを
わたしのからだの手や足や
鼻や耳やそして眼のように
かんじたいものだ

ことばのうちがわへ
はいりこみたい

キリスト者詩人・八木重吉の詩です。まず気付かされるのは「聖書」という漢字に、「よいほん」というルビをふっているのです。重吉は聖書の言葉を、身体全身で入り込み、身体全身で感じ取りたいというのです。

読書にも様々な読み方があります。重吉が示すのは速読でもなく、単なる遅読でもありません。もっともっと入り込む聖書の読み方です。頭だけでなく、脳だけでなく、耳や手、全身で。あたかも、自分の体を聖書の中にすっぽり入れ込むかのように…。

そのような読み方をしていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.446)

キリスト教保育はアタッチメントの保育

小さな子ども、特に赤ちゃんはよく怖がります。大好きなお母さんやお父さんが見えなくなった時、大好きな先生が見えなくなった時に。不安を泣くことで教えてくれます。「ここに来て!助けて!」と。その時に、しっかりとその感情、不安や恐れを受け止めて抱きしめるならば、その子どもは、すぐに元気を取り戻すことができます。

子どもが不安を抱いたり、感情が崩れてしまった時に、特定の大人のところ行って、抱きしめてもらって元気を回復すること、そしてそこからまた冒険に出かけていく勇気をもらうことをアタッチメント(愛着)と言われます。子どもの育ちにとって、親や先生とのアタッチメントは、必要不可欠と言っていいほど重要であることが、最近の研究で明らかにされています。

神さまが無条件で一人一人を愛し、かけがえがない<いのち>として下さっている。この神さまの愛を土台にしてなされるキリスト教保育は、大人の都合での保育ではなく、一人一人の子どもとしっかりアタッチメントを作っていく保育なのです。

いくつになってもアタッチメントは必要であり、大人にとっても、感情が崩れた時に帰っていく避難所・安心基地が必要です。神さまという存在、復活されたイエス・キリストという存在、それがわたしたちにとっては避難所です。神さまによって、わたし達は元気を与えられ、そしてそこからイエスさまに倣いつつ、飛び立っていくことが出来るのです。わたしたちにとってのアタッチメント(愛着)の対象は、まさに神さまなのです。

荒尾教会が、そのような神さまとのアタッチメントを十分に感じられる場になりますように。ホット一息ついて、ここから出かけていきましょう。(有明海のほとり便り no.445)

ささやかな「接点」

『教団新報』という機関紙(月刊)の、少し古い2018年2月号にとても親しい友人でもある荒井偉作(いさく)牧師が執筆していました。

偉作くんに初めて出会ったのは、わたしがまだ高校生の頃。偉作くんは西支区(現在の西東京教区)中高生キャンプのリーダーで、自由学園中高の教師でもありました。以来、とても親しく可愛がってもらい、お互い不思議な導きで牧師となり、仙台でまさかの再会を果たしました。

偉作くんは仙台空港近くの名取教会に仕えています。東日本大震災によって、名取市沿岸部は津波によって甚大な被害を受けました。名取教会も地震によって被災、教会員と会友の4名が召されました。しかし、そのような中にあっても、偉作くんは持ち前のユーモアで明るく宣教を展開しています。名取教会には震災によって沢山の人たちが訪問するようになりました。

ある時ふと、政治的に対立する国々からそれぞれ訪問者があることに気付きました。そしてよく見れば、国内の訪問団の間にも溝や確執はあります。違いはあれ、一人ひとりの温かい笑顔が印象的です。被災地の小さな群れが、ささやかな「接点」になっているのです。

この言葉を読み、わたしが仕えていた被災者支援センター・エマオもささやかな「接点」だったことに気付かされました。この小さな荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園も、ささやかな「接点」になることを願っています。

教区で3月に企画している「東日本大震災15年を覚える礼拝」には、偉作くんに説教(オンラインで)を依頼し、快諾いただきました。いま偉作くんは東北教区議長としての責任も担っています。お時間が合う方はぜひオンラインでご参加下さい。

グレッチオの洞窟

2026年が始まりました。この一年が、お一人お一人にとって神さまの愛あふれる時となることを切にお祈りしています。

年始にはHさんの家族ともオンラインビデオで繋がり、近況を報告しあうことが出来ました。その中で特に印象深かったのは、義弟のIさんが行ってきたスペイン巡礼の旅(カミーノ・デ・サンティアゴ)についての話しです。キリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指し、徒歩で巡礼する旅です。

スペインはカトリックの国であり、旅で出会う各地の教会はカトリック教会です。Iさんはカトリック教会自体にはあまり共感しなかったそうです。「The教会」という華々しい造りの教会と、自分が抱く「教会」「キリスト教」との間にギャップがあったと。

けれども、アッシジの聖フランチェスコが過ごした、アッシジとローマの中間の山岳地帯にあるグレッチオの洞窟を訪問した時に、思いが変わったそうです。その洞窟は本当に人里離れたところにあり、「えっここが?」と驚くほど何もない洞窟だったそうです。フランチェスコはこの洞窟をあえて選び、そこで本当に質素な祈りと生活を始めていったのです。その洞窟に入り、この洞窟こそ「本当の教会」と感じたそうです。

この話しを聞いて、「教会」について考えさせられました。イエスさまが産まれた家畜小屋のような教会、イエスさまが復活された墓のような教会、そしてフランチェスコが過ごした洞窟のような教会。 荒尾教会がそのような教会になることを祈り願っています。(有明海のほとり便り no.443)

Calling

教会とはギリシア語でエクレシア(ἐκκλησία)ですが、その原意は「神に呼び集められた者たち」となります。建物ではなく、そのような人々の共同体です。では神に呼ばれること=召命(calling)とは何なのでしょうか?

この問いに答えることは決して自明なことではありません。モーセも神から呼ばれた時に、迷いむしろ断ろうとして言いました。

わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
神は言われた。 「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」  (出エ3:11-12)

つまり、何者であるかは問わないのです。立派な実力や経歴あるいは資産や権力があるから、神は選んだのではないのです。むしろ「貧弱」(申7:7)な者を神は呼ばれるのです。わたし達に与えられているのは、「神我らと共に(インマヌエル)」という「しるし」のみです。

2019年、教区宣教会議が大牟田正山町教会であり、K教師(錦ヶ丘教会)が「牧師の召命」について次のように言われていました。

召命は自己責任ではない。個人的なことではなく、ちゃんと後ろ盾があって初めて召命は成り立つ。地区・家族・教会の祈りやサポート。教師の側も相談していく大切さ。学閥などを越えて協力し合う仲間がいたからやっていけた。

神さまは確かにわたし達一人一人に呼びかけています。しかし、一個人の召命(calling)だけでは倒れてしまいます。神に呼ばれている一人ひとりが祈り支え合う共同体こそが教会(エクレシア)なのです。

2025年も拙い牧師の働きを祈り支えて下さったことを感謝いたします。2026年も、荒尾教会・山鹿教会共々に祈り支え合っていきましょう。(有明海のほとり便り no.442)

仮設住宅でのクリスマス

この時期になるとよく思い出す「クリスマス」があります。仙台の被災者支援センター・エマオがほぼ毎日のように通わせていただいた、七郷中央公園仮設住宅でのクリスマス会です。その日は、まだ3歳だったBさんを連れて、二人だけで行きました。40名位おられた仮設住宅にお住いの方たちの中で、クリスチャンはたった一人だけ。ですので、クリスマス会といっても、キリスト教的なことはみんなで「きよしこの夜」を歌うくらいです。あとは会食や楽しいゲームなどが中心でした。

そんな中で、Bさんのことをとりわけ皆さんが喜んで下さったのです。ほとんど子どもがいない仮設であり、むしろ高齢者の方が多かったということもあります。Bさんが一生懸命讃美歌を歌うと、皆さんがすごく褒めて下さり、少し得意げな笑顔を振りまいていました。

ふと気がつくと、二人のおばあちゃんが、わたしにぎゅっと何かを握って来られました。見てみると、幾重にも折られた千円札でした。「子どものために使ってね」と下さったのです。もちろん断ったのですが、固辞されました。

クリスマス会を企画したのはわたしたちの方であり、被災者の方から何かを受け取るなんてことはまったく考えてもいませんでした。しかも、お二人とも津波で家族を失った方たちです。家も財産も失った方たちです。苦しい日々を過ごしておられました。しかしそのような中で、子どもの姿を見て喜び、思わずバックの中からお小遣いを下さったのです。

神さまから与えられた出会いの中で、宝物を分かち合う姿に出会いました。いまその姿を振り返るとき、あぁあれこそが本当のクリスマスだったと気付かされます。(有明海のほとり便り no.441)