「永住取り消し制度」

6月14日に成立した改正入管難民法には、外国人の永住資格取り消しの要件を拡大する規定が含まれていました。「入管難民法の義務を順守しない」「故意に税や社会保険料を滞納する」「罪を犯し拘禁刑を受ける」のいずれかに該当した場合、永住資格の取り消しが可能になったのです。この改正案が国会に出された段階で、キリスト教会だけでなく、様々な団体が反対声明を発表しました。「横浜華僑総会」は「入管法改定案に関する声明文」の中で次のように述べています。

「永住者」は、加齢・病気・事故・社会状況の変化など、長年日本で生活していくうちに許可時の条件が満たされなくなることは起こり得ます。病気や失職などによるやむを得ない税金や社会保険料の未納、スーパーに行くときにうっかり在留カードを家に置いてきたという不携帯などの過失、執行猶予のつくようなあるいは1年の禁錮にも満たない刑法違反であっても在留資格を取り消されることがあり得る、という立場に置くこと自体、「永住者」に対する深刻なる差別であると言えます。…現在、日本で生まれ日本語しかわからず、日本にのみ生活基盤を有する2世から6世の「永住者」も多く、すべてが日本市民と共に善良なる市民として地域社会の発展に貢献しています。

ただでさえ日本は永住資格が取るのが難しい中で、今回の改悪によって、ますます外国にルーツを持つ方たちがこの日本社会で排他性を感じ生きづらさを覚えるのは言うまでもありません。いま日本では、100人のうち4人が外国にルーツを持っているそうです。年々増加している中で、キリスト教会は日本社会が持つ排他性を乗り越えていく使命が与えられています。

本日午後、西南KCCにて、父が講演する資料をお配りします。ぜひ目に留まった箇所だけでも読んでいただきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.379)

『リアル(漫画)』

仙台や荒尾で橅と二人で少しずつ集めた漫画は本棚2つを占めるくらいになっています。その本棚の中には、ゆっくり集められている作品があり、その一つが『リアル』という漫画です。『スラムダンク』『バガボンド』で有名な井上雄彦による作品です。1999年から連載が始まり、途中休載を挟みながらも、いまも連載が続いています。わたしは神学校時代に『リアル』に出会って以来、単行本が出る度に買っているのですが、まだまだ物語は続いていくようです。

車椅子バスケットボールに出会い全力で突き進む戸川清春、バイク事故で高校を中退したところで戸川と出会いバスケットボールのプロトライアウトに挑戦していく野宮朋美、野宮と高校時代バスケ部で同級生でしたが交通事故で下半身不随となり、リハビリ病棟で車椅子バスケットボールに出会い再び挑戦していく高橋久信。主人公を1人に絞るのが難しいくらい、3人それぞれの葛藤や痛み・喜びが深く描かれています。一人ひとりの成長譚(物語)であると同時に、障がいを持ってこの日本社会に生きる中で直面する数々の差別も描いています。しかもその差別は、特にプライドの高い久信自身の中にもあり、自分自身を苦しめていくことにもなります。野宮は3人の中では特に身体的なハンディがあるわけではありません。けれども、「お前なんかどうせ出来ない」という周りからの言葉と結果に、時に大きく沈んでいきます。

しかし3人とも、本当の仲間と呼べる友人たちとの出会いで変わっていくのです。人は「doing」ではない「being」を受け入れることが出来る時に、はじめて挑戦へと確かに踏み出していくことが出来る。そんな聖書と響き合うメッセージが込められています。(有明海のほとり便り no.378)

『信徒の友』・教団出版局を覚えて

『信徒の友』は1964年4月号が創刊の月刊誌で、今年60年を迎えました。日本キリスト教団には約1700の教会・伝道所がありますが、その多くの教会で『信徒の友』は読みつがれてきました。1966年4月から1968年9月にかけて、三浦綾子さんによる『塩狩峠』が連載され、後に新潮社等により出版され、映画化もされ、誰しもが知る三浦綾子さんの代表作品の一つとなりました。

そのような歴史を持つ『信徒の友』ですが、購読者数は減ってきているそうです。教会員数の減少と比例しているのでしょう。出版局の働きは『信徒の友』以外にも、書籍の出版も積極的にされていますが、経営状態はかなり厳しく、いまの教団にとって大きな課題の一つとなっています。また、そもそも牧師をはじめとして本を読まなくなったという現状も聞こえてきます。

そのような苦境の中において、教団出版局では『信徒の友』を大切に続け、さらに読みやすいものへと工夫をこらしていることが伝わってきます。書籍においても、『わたしが「カルト」に? ゆがんだ支配はすぐそばに』や、『LGBTとキリスト教 20人のストーリー』など、いま教会が向き合うべき課題を深く掘り下げている本を出されており、日本キリスト教団だけでなく、他教派や一般の読者からも読まれる出版を続けておられます。

昨日から取材に来て下さった編集者のIさんは、わたしが仙台の被災者支援センター・エマオに遣わされてすぐに出会いました。いまは、主に書籍の編集をされておられるのですが、わたしがここ数年読んで感銘を受けた教団出版局の本のほとんどはIさんが編集されたものです! 一人のキリスト者としても、とても尊敬するIさんとの再会に感謝しています。(有明海のほとり便り no.377)

いずみ愛泉教会

2012年春、わたし達が仙台に赴任した時は、まだわたしとHさんと1歳になる直前のBの3人家族でした。普段は被災者支援センター・エマオで働き、そして日曜日は家族みんなでいずみ愛泉教会に通わせていただきました。

特によく思い出すのが、「子どもの教会」です。毎週輪になって、礼拝堂に繋がる集会室で、子どもたちと礼拝を守りました。いま荒尾めぐみ幼稚園の合同礼拝も、輪になって行っていますが、その原型はいずみ愛泉教会の「子どもの教会」にあるのです。CSスタッフの「いくこりーな」が絵本の読み聞かせをしてくれる時、棒の先端に輪がついていて、絵本のどこに注目したらよいか教えてくれていました。「いくこりーな」は、障がい児教育の経験者でしたが、保育現場でも、いまだあれを越えるスキルに出会ったことがありません。「まもるさん」は自作の絵本を折に触れて読んでくれました。子どもの教会だけでなく、一緒に関わった被災地での子ども活動の際にも。あの絵が忘れられません。「ふだせんせい」は、子どもたちと全力で遊んでくれました。柏は「ふだせんせんせい」が大好きでした。見つけると走り寄っていき、手をつないでの逆上がりに何度も挑戦し、できるようになったのも「ふだせんせい」のお陰です。お連れ合いの「たきこさん」が暑い最中にタライを出してきてくれて、橅や同級生の穂岳くんを、「ほぼマッパ」で礼拝中に水遊びをさせてくれていました。キラキラ光る笑顔が目に焼き付いています。子ども達一人ひとりにどれだけの愛が注がれていたのか、今になって気付かされます。荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園で、子ども達とこの愛を分かち合っていきたいと願っています。

台風で再会が叶いませんでしたが、次の機会を作りたいと願っています。(有明海のほとり便り no.376)

平日朝の釈義、数学

新約学者・荒井献先生が召されたことを知り、農伝でお世話になった上村静教授(尚絅学院大・聖書学)と久しぶりに連絡を取りました。その時に、以前上村先生から「数学から完全に離れるのはもったいない」と言われたことを思い出しました。

実は、時々数学の本を取り出してみたり、気になる本を購入してみたりと、色々としてはいたのです。けれども、牧師園長の働きの中で、時間を確保することが難しく、中々継続して学ぶことが出来ませんでした。

どうやったら習慣化できるのか、いくつか本にあたり、井上新八さんというブックデザイナーが、『続ける思考』という本を出版されており、とても参考になりました。井上さん自身、超多忙な日々を過ごす中で、仕事だけで一日が終わるのをなんとかしたいと、「実験と検証を繰り返しながら、ちょっとずつ改良を加えていった」(p.24)結果、いま習慣化出来ていることは、30近くあります。その仕組やコツを本の中で紹介されているのですが、特に「毎日『5分でできること』で考える」(p.78)というアドバイスがしっくり来ました。つまり、いきなり大きく構える必要はないのです。とにかく毎日、一分でもいいから、そのことをやってみる。すると徐々に習慣化していく…。

これを読んで、いま毎朝普段より少し早く起きて、数学に取り組むことを挑戦しています。と言っても5~10分程度の時間だけですが😉。

これに加えて、数学の前に、説教準備の時間も含めるようにしました。平日は中々時間が作れないため、毎週ギリギリまで追い込み型でやっているのですが、平日の朝に5分ずつでも釈義を進めることが出来ればと願っています。まだまだ始めたばかりですが、無理なく、楽しく続けられたらと願っています。(有明海のほとり便り no.375)

荒井献(ささぐ)先生を覚えて

新約聖書学者・荒井献先生が94歳で召天されたと知り言葉を失いました。とても著名な新約学者で、『イエスとその時代』をはじめ数多くの著作を残しました。決して護教的ではなく、むしろキリスト教を批判的に論じ、常に「イエス」に立ち返ることを求めました。その関心は、聖書学に留まることなく、聖餐問題、平和問題、性差別、3・11など多岐に渡ります。

川崎にあるまぶね教会の教会員として、礼拝出席を欠かさず教会を支え続けました。わたしが農伝時代2年間をまぶね教会で過ごした際には、いつも声をかけて下さり、生意気な(?)質問にも丁寧に答えてくれました。わたし達を食事に招いて下さり、橅が生まれた時もとても喜んで下さり、農伝の卒業式にも駆けつけて下さいました。2012年12月に仙台の被災者支援センター・エマオを訪ねて来て下さった時のことを、著書に書いて下さっています。

 その前にどうしても被災地を訪れなくては、という想いに駆られ、前日の18日にエマオのスタッフ・佐藤真史君の案内で仙台の荒浜に立った。そこで改めて、「所奪性」の悲惨に直面し、荒廃の沿岸地域にポツリポツリと残された家屋に一人住む高齢者の孤独や、市内の仮設住宅に寒さに耐えて住み続けざるを得ない被災者を想い、それでも「所与性」など口に出すこともできなかった。弱さを絆に、悲しむ者と共に悲しむ以外に、生きる希望を紡ぎ出し得ない、というのが私の実感である。「復興はこれからです」という真史君のことばが身に沁みた。
 その二日前、12月16日衆議院総選挙があった。結果、「犠牲のシステム」の強化を志向する政党メンバー圧倒的多数で選出され、それの推進を政策に掲げる党首が内閣を組織した。この「強さ」の時代に抗して、キリスト者は「弱者」との共生を貫き得るか、その存在価値が問われている。(『3.11以後とキリスト教』pp.216-217)

献先生との出会い、そして与えられた問いを胸に刻みます。

キリスト教愛真高校

高橋三郎(1920-2010)は無教会主義の独立伝道者として、精力的に福音を分かち合いました。九州教区でも犬養光博教師をはじめ影響を受けた人たちは本当に多くいます。その高橋先生が全国に呼びかけて、1988年に設立されたのがキリスト教愛真高校(島根県)です。わたしが学んだ基督教独立学園(山形県)とは姉妹関係にあり、在学中に何度も愛真高校のことを伺っていました。また、わたしの友人にも愛真高校卒業生が何人もいて、いつか行ってみたいと願っていた学校です。

昨夏、札幌の義父が愛真高校の事務長として赴任すると聞いて驚いたと同時に、とても嬉しかったのを覚えています。わたしにとって独立学園での3年間がかけがえのないものだったように、愛真高校も聖書を基としたとても密度の濃い学びと生活をしているに違いないはずで、義父にとっても愛真高校にとっても豊かな出会いになるだろうと直感したからです。

4月に家族皆で生まれて初めて愛真高校を訪問することが出来ました。スケジュール的に日帰りするしかなかったので、明け方出発して片道6時間の道のりでしたが、そんな疲れを吹き飛ばすような、豊かな自然環境と、温かい教職員・生徒たちの雰囲気を感じることが出来ました。

東京のSCF(学生キリスト教友愛会)で農伝時代に学生主事としてアルバイトをさせてもらいましたが、主事の野田沢牧師のお子さんであるIちゃんとは、一杯遊びました。そのIさんが、いま愛真高校3年生として寮生活を送っており再会することが出来ました。廊下を歩いていたら、Iさんが自分で読書会を企画・募集しているチラシが貼られていました。しかも課題図書は『夜と霧』(ヴィクトール・フランクル)。Iさんの成長に驚くと共に、愛真高校の「自ら考え、自ら学ぶ」を感じることが出来たひと時でした。(有明海のほとり便り no.373)

日本による植民地支配

歴史社会学者マニュエル・ヤンさん(日本女子大准教授)の父は台湾人牧師でした。その父のもと、マニュエルさんはブラジルで生まれ、神戸、アメリカ・ロサンゼルス、台湾、アメリカ・ダラスで育ちます。父のことを次のように振り返っています。

父が生まれたのは1920年、台湾がまだ日本の植民地だった時代です。1920年は、日本の有名なキリスト教伝道者賀川豊彦が一躍ベストセラーになった自伝小説『死線を越えて』を出版した年でもあります。…父自身が伝道者になり台湾語で福音を伝え始めると、彼は抗日活動の嫌疑で日本軍によって一年間以上投獄されました。22歳の時です。「刑務所は労働者階級の大学だ」とマルコムXは定義しましたが、留置所の中で周囲の人たちの苦難や死に直面し、もっとも虐げられた人たちと共に生活したどん底の体験から多くのことを父は学びました。この不正な監禁の日々が彼の人生にとって決定的な瞬間であったことは確実です。ですが、父はこの留置所体験を公に語ることを憚りました。なぜならキリスト教殉教者の苦難に比べ、そして言うまでもなく、裏切り、拷問、磔にいたるイエス・キリスト自身の受難に比べれば、何でもないことだと考えていたからです。
…見えないものは見えるものよりも力があること、霊(スピリット)は唯物的な力(パワー)に絶対に勝利できることを彼は示してくれました。(「福音と世界」)

8月15日を日本では「終戦記念日」と呼びますが、韓国や台湾にとっては「解放記念日」となります。わたし達はついつい日本がどのような被害を受けたのかにばかり目を向けがちですが、同時に日本がどのような暴力を植民地で繰り広げたのかについて、もっと学んでいきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.372)

水口教会・水口幼稚園

滋賀県にある水口(みなくち)教会は、2010年夏に教会実習で1ヶ月以上を過ごした教会です。谷村德幸牧師には以来とてもお世話になっていて、年に何回かは電話をしていたのですが、対面でお会いするのはとても久しぶりでした。附属の水口幼稚園は、遊び中心のキリスト教保育の中で、子どもたちが本当に伸び伸びと育っていました。

決して広くはない園庭には「冒険の森」と呼ばれる大型木製遊具があります。簡単には登れないようになっていて、子どもたちのワクワクや挑戦を引き出していました。はて、どこかで聞いたことがあるような…。

いま荒尾めぐみ幼稚園で大切にしている「遊び」「子ども主体」「あたたかいキリスト教保育」、どれもがこの水口幼稚園に詰まっていたのです!実習当時は、将来牧師園長をするとは想像していませんでしたが、水口幼稚園のキリスト教保育に衝撃を受けたことは間違いありません。7名の先生方が荒尾めぐみ幼稚園を訪問して下さいました。最後に礼拝堂で質疑応答の時間を取ったのですが、どの先生からも鋭い質問が出てきてとても刺激的でした。それだけ、先生方が真剣に保育に取り組んでいることが伝わってきました。

谷村牧師からは14年前の実習報告書をお土産に😁

牧師・教師とは何か、何を生活のたつきにしていくのか、という問題を考えてもらいたい。宣教(説教)はよく準備されたものだったが、その分、机(パソコン)に向かっている時間が長かったように感じる。地方の小規模教会で働くなら“説教最優先”という思い込みは卒業前に(いつか)問われなければならないように思う。

この課題を再確認しつつ、大きな励ましをいただいた再会でした。(有明海のほとり便り no.371)

『迷える社会と迷えるわたし』②

4月に紹介した精神科医・香山リカさんの著書です。特に後半に掲載されている賀来周一牧師(1931-)との対談が非常に興味深いものでした。賀来牧師は日本福音ルーテル教会の牧師であり、長くキリスト教カウンセリンセンターの働きにも従事され、日本におけるキリスト教カウンセリングの第一人者です。香山さんの鋭い質問に対し、賀来牧師が答えていきます。

教会の働きは大きく伝道と牧会に分けられます。大まかに言えば、伝道とは教会が社会に向かって呼びかける働きと言えるでしょうし、牧会とは社会が教会に求めることに応じる働きと言えます。(p.116)

宗教でしか解決できないような問題、例えば先ほど申し上げた死の問題、それに不条理の問題ですね。「あなたはもう大丈夫。自分のことは自分で主体的に責任が取れます」では済まされない世界が広がっていて、信仰の世界が必要となる。(p.120)

考えてわかる、目で見て実証する知の世界では答えがない問題に人はぶつかることがあるのです。それこそ「スピリチュアルペイン(痛み)」の問題でWHOが取り扱うべき問題の中に加えています。(p.145)

私はよく神学生に、牧師になったら絶望と徒労に慣れなさいと言うことがあります。生身の人間としてはそのようなところに身を置くことがしばしばあるからです。 (p.166) 

印象的だったのは、キリスト教カウンセリングはあくまでキリスト教の人間観・世界観に立った上でのカウンセリングであり、信仰を求めるものではないという点です。つまり、賀来牧師の分類で言えば、社会が教会に求めることに応じる牧会の働きだということです。そして、キリスト教保育も牧会の働きの一つなのだと気付かされました。(有明海のほとり便り no.370)