シンガーソングライターの沢知恵さんが、岡山大で書かれた修士論文をもとに岩波ブックレットにまとめたのが、『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』です。全国にあるハンセン病療養所の園歌の歴史を、資料だけでなく多くの方たちとのインタビューを通して、丁寧に調査し綴っている本で、お勧めの一冊です。
日本社会において、ハンセン病の方たちへの差別があり、そして根強い排除と隔離がありました。この歴史の中で、多くのキリスト者たちがとても献身的に働きました。けれども同時に、この排除に加担していったのもキリスト者たちだったことを改めて気付かされました。
興味深かったのは、日本最南端の療養所・宮古南静園での園歌の作詞者は、「園長先生」であったことが調査の中で明らかになっていく過程です。
口をそろえて園歌の作詞者は「園長先生」だといいます。前泊サダさん(1921-)は手でゆっくり拍子を取りながら、かみしめるようにしてうたってくださいました。そして、三節最後の「上と下との隔てなく 理想の楽土築かなむ」のところで涙を流し始め、その部分をくり返しました。「園長先生がつくった。職員と患者の間に隔てがあったから、『上と下との隔てなく』とうたった。」前迫さんは力をこめていいました。「園長先生」とは、医師の家坂幸三郎(1878-1952)のことです。1931年に県立宮古保養院として開設されたのち、33年に国立療養所になった直後から約四年半の間、園長をつとめました。熱心なキリスト教徒だった家坂は、所内の教会で自ら入所者に聖書や読み書きを教え、他の療養所にはあった鉄条網や監禁室をつくりませんでした。(pp.64-65)
差別の現実のただ中で、キリスト者としてどのように生きるのか。大切な問いをいただきました。(有明海のほとり便り no.295)