『きみのお金は誰のため』

久しぶりの東京出張となりました。一泊ですので荷物はもちろん最小限にするように務めましたが、いつも(?)のごとく、リュックには本がギリギリまで入っていました。飛行機や電車での移動中はひたすら読みまくります。お陰様で、4冊近くの本を読み終わることが出来ました。その中に、田内学さんが書かれた『きみのお金は誰のため』がありました。とても話題になっている本で、多くの本屋に置いてあります。田内さんはゴールドマン・サックスという世界有数の金融証券会社でバリバリ働く中で、そこで矛盾を感じ、いまは社会的金融教育者として活躍されています。

NISAやFIREといった言葉に象徴される「投資」がいま注目されていますが、その前に、そもそも「お金」とは一体何なのか?、という問いに答えようとしている良著です。

優斗くんが年末に買ってきてくれたどら焼きを、二百円で手に入れたと感じるか、和菓子屋のおばちゃんが作ってくれたと感じるかの違いや。

“ぼくたち”の範囲がせまくて、おばちゃんが外側にいる赤の他人やと思えば、二百円で手に入れたと感じる。つまり、お金がすべてを解決したという感覚になる。しかし、“ぼくたち”の範囲が広がって、おばちゃんをその内側にいる仲間やと思えれば、おばちゃんが作ってくれたと感じる。

この“ぼくたち”の範囲は、知り合いかどうかではなくて、僕らの意識次第や。お金の奴隷になっている人ほど、この範囲はせまくなって、家族くらいしか入らへん。いや、家族も入らない人もいるやろうな。(pp.214-215)

わたし達は「お金の奴隷」になっているのでは?「お金」が万能だと思いこんでしまっているのでは?この本で与えられている問いかけは、どこかイエスの問いかけにも繋がっています。(有明海のほとり便り no.367)

預言者をめぐって

「預言者をこの世界は求めている」。そのように感じることが度々あります。日本社会も世界も、暴力と傷で溢れています。宗教も政治も行政も、それぞれが出来ることをなしているとはいえ、不十分なものであり、時に自らも過ちを犯すものです。旧約学者・並木浩一と文学者・奥泉光の対談で預言者を次のように描いています。

並木 預言者は国家機構の外に身を置く個人です。そして国家と社会、宗教のあり方に痛烈な批判を展開する。…彼らは社会を捨ててしまった宗教者ではない。この世界における社会倫理の実践を重視する者たちです。彼らは、民や指導者が社会倫理の実践を怠って不正を行うと、神の怒りと裁きを招くということを強烈な言葉で語った。

奥泉 これがすごいですよね。普通は神が怒るのは、儀式で失敗するとか、聖所を汚すとかですよね。しかしそうではない。問題にされるのは、要するに人々の日常の倫理です。日常のモラルが退廃していることが神の怒りの根拠となる。これは人類史上、画期的です。

並木 …現実を重視するということですね。それはまた現実のあり方の破壊、もしくは理想の完成としての将来に注目する姿勢をも生む。「終末論」という独特の見方を生み出した。その伝統の出発点が預言者にある。…「神の国」として、新約聖書にも引き継がれていくし、キリスト教に引き継がれていく。 (『旧約聖書がわかる本』pp.150-151) 

毎週の主の祈りでは、「御国が来ますように」、つまり「神の国が来ますように」と祈っています。預言者はモーセのような偉大な人物ばかりではありません。わたし達も小さな預言者としてこの祈りを分かち合っていきましょう。(有明海のほとり便り no.365)

キリスト教のエッセンス

昨日はキリスト教保育連盟熊本地区の春季保育者研修会でした。春の研修ではいつも「キリスト教理解」といって、会場となった教会の牧師が、とても分かりやすくキリスト教のエッセンスを解説して下さいます。同じ「牧師」として、その伝えた方も含め学ばされることの多い時となっています。

昨日の会場は神水ルーテル教会であり、角本浩牧師が「聖書(キリスト教)から示されているもの」と題してお話し下さいました。

・キリスト教のエッセンスは「神を愛しなさい」と「隣人を愛しなさい」の両方に集約される。
・聖書の道徳律や励まし(doing)、慰めの言葉は受け入れられやすい。「キリスト教の園に預けると優しい子に育つ」と信頼されている。
・けれども「神を愛しなさい」は宗教性を持つ言葉として一般的に受け入れ難い。
・こちらはbeing(存在・根源・そのままの自分…)を表す
・神さまは愛するために創られた。失敗作は一つもない。あなたはonly oneでbest one。
・「感謝は足し算のようなもの。すべてのことに感謝すると、そこには神様の祝福が増し加わる。どんなことでも、どこででも感謝すると、プラスの祝福が訪れる。しかし反対に恨みと不平は、引き算のようなもの。ある物まで奪い去られてなくなってしまう。」(マシューヘンリー)

最後に角本牧師が、ハラスメント相談窓口としての働きの中で、保育現場ではパワハラが多いと実感していること、まずはハラスメントとは何かをしっかり学び、もしハラスメントを受けた時に、どこにどうやって相談したらよいか知っておく大切さを語られ、胸に響きました。荒尾めぐみ・霊泉も取り組んでいきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.364)

シャガール『ノアの箱舟』

漫画もテレビもない(もちろん当時スマホなど存在すらしない)全寮制の高校生活でよく行っていたのが、学校の図書館でした。教職員合わせて100人くらいの規模の共同体でしたが、図書「室」というよりも図書「館」といった方が相応しい空間と充実した内容でした。奥へ奥へ進むと出会ったことのないような本に出会う設計になっており、いま振り返れば、真理を探求する・学問をすることを身体で体験するような場所だったことに気付かされます。

そもそもアートにほとんど出会ったことのなかった自分が、様々な絵画に触れたのもこの図書館でした。『現代世界美術全集』が何冊も所蔵されており、絵画が持つ力に驚きクラクラしました。特に深い印象を抱いたのが、マルク・シャガールの作品でした。

最近『ノアの箱舟』という作品があることを知りました。旧約学者・並木浩一と文学者・奥泉光の対談で触れていたのです。

並木 人間のために巻き添えを食らったんだ。それはそうなんだけども、動物たちを巻き込んだ責任を、やはりノアが背負っていた。動物たち雌雄を残していかなければならないという仕事をやった。そういう場面をシャガールが描いている。

奥泉 いろんな動物が列をなしていて、そこに象がいれば、人間のほうが小さく描かれたりするだろう。ところがシャガールは全然違っていて、箱舟の前方にどんとノアの姿が描かれる。変な絵ですよね。

並木 人間の尊厳と責任が問われているから。それが確立されていないと、そういう絵は描けない。(『旧約聖書がわかる本』pp.117-118) 

聖書とアートは深く繋がっているのです。(有明海のほとり便り no.363)