平日朝の釈義、数学

新約学者・荒井献先生が召されたことを知り、農伝でお世話になった上村静教授(尚絅学院大・聖書学)と久しぶりに連絡を取りました。その時に、以前上村先生から「数学から完全に離れるのはもったいない」と言われたことを思い出しました。

実は、時々数学の本を取り出してみたり、気になる本を購入してみたりと、色々としてはいたのです。けれども、牧師園長の働きの中で、時間を確保することが難しく、中々継続して学ぶことが出来ませんでした。

どうやったら習慣化できるのか、いくつか本にあたり、井上新八さんというブックデザイナーが、『続ける思考』という本を出版されており、とても参考になりました。井上さん自身、超多忙な日々を過ごす中で、仕事だけで一日が終わるのをなんとかしたいと、「実験と検証を繰り返しながら、ちょっとずつ改良を加えていった」(p.24)結果、いま習慣化出来ていることは、30近くあります。その仕組やコツを本の中で紹介されているのですが、特に「毎日『5分でできること』で考える」(p.78)というアドバイスがしっくり来ました。つまり、いきなり大きく構える必要はないのです。とにかく毎日、一分でもいいから、そのことをやってみる。すると徐々に習慣化していく…。

これを読んで、いま毎朝普段より少し早く起きて、数学に取り組むことを挑戦しています。と言っても5~10分程度の時間だけですが😉。

これに加えて、数学の前に、説教準備の時間も含めるようにしました。平日は中々時間が作れないため、毎週ギリギリまで追い込み型でやっているのですが、平日の朝に5分ずつでも釈義を進めることが出来ればと願っています。まだまだ始めたばかりですが、無理なく、楽しく続けられたらと願っています。(有明海のほとり便り no.375)

荒井献(ささぐ)先生を覚えて

新約聖書学者・荒井献先生が94歳で召天されたと知り言葉を失いました。とても著名な新約学者で、『イエスとその時代』をはじめ数多くの著作を残しました。決して護教的ではなく、むしろキリスト教を批判的に論じ、常に「イエス」に立ち返ることを求めました。その関心は、聖書学に留まることなく、聖餐問題、平和問題、性差別、3・11など多岐に渡ります。

川崎にあるまぶね教会の教会員として、礼拝出席を欠かさず教会を支え続けました。わたしが農伝時代2年間をまぶね教会で過ごした際には、いつも声をかけて下さり、生意気な(?)質問にも丁寧に答えてくれました。わたし達を食事に招いて下さり、橅が生まれた時もとても喜んで下さり、農伝の卒業式にも駆けつけて下さいました。2012年12月に仙台の被災者支援センター・エマオを訪ねて来て下さった時のことを、著書に書いて下さっています。

 その前にどうしても被災地を訪れなくては、という想いに駆られ、前日の18日にエマオのスタッフ・佐藤真史君の案内で仙台の荒浜に立った。そこで改めて、「所奪性」の悲惨に直面し、荒廃の沿岸地域にポツリポツリと残された家屋に一人住む高齢者の孤独や、市内の仮設住宅に寒さに耐えて住み続けざるを得ない被災者を想い、それでも「所与性」など口に出すこともできなかった。弱さを絆に、悲しむ者と共に悲しむ以外に、生きる希望を紡ぎ出し得ない、というのが私の実感である。「復興はこれからです」という真史君のことばが身に沁みた。
 その二日前、12月16日衆議院総選挙があった。結果、「犠牲のシステム」の強化を志向する政党メンバー圧倒的多数で選出され、それの推進を政策に掲げる党首が内閣を組織した。この「強さ」の時代に抗して、キリスト者は「弱者」との共生を貫き得るか、その存在価値が問われている。(『3.11以後とキリスト教』pp.216-217)

献先生との出会い、そして与えられた問いを胸に刻みます。

キリスト教愛真高校

高橋三郎(1920-2010)は無教会主義の独立伝道者として、精力的に福音を分かち合いました。九州教区でも犬養光博教師をはじめ影響を受けた人たちは本当に多くいます。その高橋先生が全国に呼びかけて、1988年に設立されたのがキリスト教愛真高校(島根県)です。わたしが学んだ基督教独立学園(山形県)とは姉妹関係にあり、在学中に何度も愛真高校のことを伺っていました。また、わたしの友人にも愛真高校卒業生が何人もいて、いつか行ってみたいと願っていた学校です。

昨夏、札幌の義父が愛真高校の事務長として赴任すると聞いて驚いたと同時に、とても嬉しかったのを覚えています。わたしにとって独立学園での3年間がかけがえのないものだったように、愛真高校も聖書を基としたとても密度の濃い学びと生活をしているに違いないはずで、義父にとっても愛真高校にとっても豊かな出会いになるだろうと直感したからです。

4月に家族皆で生まれて初めて愛真高校を訪問することが出来ました。スケジュール的に日帰りするしかなかったので、明け方出発して片道6時間の道のりでしたが、そんな疲れを吹き飛ばすような、豊かな自然環境と、温かい教職員・生徒たちの雰囲気を感じることが出来ました。

東京のSCF(学生キリスト教友愛会)で農伝時代に学生主事としてアルバイトをさせてもらいましたが、主事の野田沢牧師のお子さんであるIちゃんとは、一杯遊びました。そのIさんが、いま愛真高校3年生として寮生活を送っており再会することが出来ました。廊下を歩いていたら、Iさんが自分で読書会を企画・募集しているチラシが貼られていました。しかも課題図書は『夜と霧』(ヴィクトール・フランクル)。Iさんの成長に驚くと共に、愛真高校の「自ら考え、自ら学ぶ」を感じることが出来たひと時でした。(有明海のほとり便り no.373)

日本による植民地支配

歴史社会学者マニュエル・ヤンさん(日本女子大准教授)の父は台湾人牧師でした。その父のもと、マニュエルさんはブラジルで生まれ、神戸、アメリカ・ロサンゼルス、台湾、アメリカ・ダラスで育ちます。父のことを次のように振り返っています。

父が生まれたのは1920年、台湾がまだ日本の植民地だった時代です。1920年は、日本の有名なキリスト教伝道者賀川豊彦が一躍ベストセラーになった自伝小説『死線を越えて』を出版した年でもあります。…父自身が伝道者になり台湾語で福音を伝え始めると、彼は抗日活動の嫌疑で日本軍によって一年間以上投獄されました。22歳の時です。「刑務所は労働者階級の大学だ」とマルコムXは定義しましたが、留置所の中で周囲の人たちの苦難や死に直面し、もっとも虐げられた人たちと共に生活したどん底の体験から多くのことを父は学びました。この不正な監禁の日々が彼の人生にとって決定的な瞬間であったことは確実です。ですが、父はこの留置所体験を公に語ることを憚りました。なぜならキリスト教殉教者の苦難に比べ、そして言うまでもなく、裏切り、拷問、磔にいたるイエス・キリスト自身の受難に比べれば、何でもないことだと考えていたからです。
…見えないものは見えるものよりも力があること、霊(スピリット)は唯物的な力(パワー)に絶対に勝利できることを彼は示してくれました。(「福音と世界」)

8月15日を日本では「終戦記念日」と呼びますが、韓国や台湾にとっては「解放記念日」となります。わたし達はついつい日本がどのような被害を受けたのかにばかり目を向けがちですが、同時に日本がどのような暴力を植民地で繰り広げたのかについて、もっと学んでいきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.372)