理事・評議員を覚えて

学校法人熊本キリスト教学園は、荒尾めぐみ幼稚園と霊泉幼稚園の二つの認定こども園を運営しています。運営主体として責任を負っているのは理事会および理事長であり、理事会を監督・助言するのが評議員会です。年2回(3月と5月)定例の理事会・評議員会とは別に、毎月理事会を開催して新園舎建築をはじめ直面する様々な課題について話し合っています。評議員には卒園生や近隣教会幼稚園関係者にも入っていただいています。評議員を担っていただいている前牧師園長の小平善行先生より、お便りをいただきました。

先日は理事会・評議員会のご案内と共に建築中の霊泉幼稚園の園舎完成のニュース、写真等をお送りいただき大変嬉しく又感銘を覚えました。内外厳しい状況の中にあって予定通り計画が進み完成致しましたことは理事長はじめ皆様の並々ならぬお祈り、幼児教育に対する使命・熱意・努力の結果であり主の祝福の賜物であると思い感謝に耐えません。今後も伝統ある幼稚園が地域に対して、又特に幼児教育面で新たな夢と輝く希望の下に良き働きをなされますようにお祈り致しております。
…急な高熱の為に病院に入院しましたが、心配しましたことにはならず四週間程治療(リハビリを含む)後、2月21日に無事退院して、リハビリは病院の指導書に従って、自宅で心して続けている日々です。今は隈府教会への出席が主でその合間に家庭礼拝も続けている次第です。お祈り頂ければ幸いです。

この手紙を読み、襟を正す思いでした。小平先生はじめ多くの先達たちが、霊泉幼稚園・荒尾めぐみ幼稚園に祈り・使命・熱意・努力を注がれたことを胸に刻みましょう。神さまの豊かな導きに心から感謝します。(有明海のほとり便り no.405)

在日大韓基督教会との宣教協約

日本キリスト教団は、1984年に在日大韓基督教会と宣教協約を結びました。先日、教区宣教協力委員会があった際に、委員皆で音読しました。宣教協約の存在はもちろん知っていましたが、その中身をじっくり読んだのは初めてで、改めてその意義を深く味わうことが出来ました。

序文には次のように記されています。

日本基督教団は、神のみまえに、在日韓国人キリスト者たちとその同胞に対する戦前、戦後にわたる罪責を告白し、今日の在日大韓基督教会との協約締結を感謝する。教団は、第2次世界大戦下にみずから戦争に協力するのみならず、在日朝鮮基督教会を、主体性を奪ったまま日本基督教会の一部分として教団に組み入れ、日本帝国主義の戦争への協力を強制した。戦後、在日韓国キリスト者たちが教団から脱退して、在日朝鮮基督教連合会を形成していったとき、教団はこれを真摯に受け止めることをせず、また 1967 年の「戦争責任告白」にもとづいて韓国3教会と協約を締結するときも、仲介の労をとられた在日大韓基督教会に対しては、謝罪の上に立った協約を結ぶこともなく今日に至っている。われわれ教団は、日本が戦前戦後を通じてアジア諸国の人々を抑圧していることを認識し、国の内外を問わず、この抑圧下にある人々とその教会への責任を覚え、在日韓国・朝鮮人問題を受け止めてそれに取り組み、在日大韓基督教会との言葉とわざによる宣教協力をその課題とすることを決意する。

この協約では、①職制と聖礼典の相互承認、②宣教協力、そして③在日韓国・朝鮮人の人権問題への取り組みが約されています。荒尾教会においてもこの協約を大切にしていきましょう。(有明海のほとり便り no.404)

東日本大震災から14年

東日本大震災から14年になります。一つの記事が目に留まりました。

「津波で犠牲の女児 20歳をイメージして描かれたパネルを展示 宮城・石巻市」と題された記事には、当時6歳(年長)だった二人の園児が津波で亡くなり、その二人の子が20歳の成人式を迎えたことをイメージして描かれた作品が紹介されていました。素敵な振袖姿に包まれた二人の女性は、何もなければ成人式を迎えることが出来たのです。描かれた園児のお母さんが次のようにコメントしています。

「大きくなった成長した姿がなかなか思い描けなかったが、画家の小林さんの力を借りて成長した娘の姿に出会うことができてうれしかった」

被災された方たちの傷が癒えるにはまだまだかかるのです。この二人の園児を含め5名の園児が、園バスに取り残され津波に流され、その後の火事により亡くなったのです。大地震が石巻を襲った際、高台にあったH幼稚園では、なぜか乗せる必要のなかった園児を園バスに乗せて山を下って沿岸部へと向かって行ったのです。一度は園バスごと小学校へ寄ったにも関わらず、さらに沿岸部を走り続け津波に流されます。運転手のみ逃げて助かったという、痛ましい事件でした。その後、遺族による裁判へと発展し、高裁での和解という形で裁判は終わりました。十分な安全・防災対策がなされていれば、この5名の命は助かったことを思う時、東日本大震災は自然災害であっただけでなく、「人災(人が起こした災害)」でもあったことを忘れてはなりません。

荒尾めぐみ幼稚園・霊泉幼稚園でも、東日本大震災のことを覚え続け、安全・防災対策を見直していきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.402)

霊泉新園舎建築感謝

無事、新園舎引渡しが終わりました。そこに集った、霊泉・三和建設・象設計集団の一人一人に安堵の笑顔が溢れたのは言うまでもありません。特に、現場監督を務めて下さったSさんが顔を真赤に感無量の思いをお話しされたのを見て、改めて心を込めて工事に当たって下さったことを感じ、感謝に絶えません。

原野牧師園長、渡辺理事、そしてわたしの3人で建築委員会を始めたのが2021年6月でした。それから80回を超える建築委員会を重ねてきました。さらに遡ると、2019年6月に小平善行牧師(元荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園)に霊泉幼稚園の園長としてピンチヒッターとして入っていただいたことから始まります。そもそも継続すら危ぶまれたその時に、小平園長はしっかりと責任を果たすだけでなく、霊泉幼稚園の灯火を消してはならないと、力強くビジョンを打ち立て、弱気になっていたわたしや理事会を鼓舞されたのです。

そのビジョンにあったトイレの改修工事、北西隣地の取得、さらには園舎建替えに至るまで、2019年春には誰一人として予想だにしていなかったことです。小平先生からバトンが渡された原野先生はじめ、関係者一人一人の懸命な働きと祈りがなければ、この6年間はありえませんでした。

まさに、神さまの不思議な御業として言いようがない「奇跡」に出会わせていただきました。この感謝から、霊泉幼稚園・山鹿教会の歩みを繋いでいきましょう。(有明海のほとり便り no.401)