ヘミングウェイからヘッセへ

最近、Bと中学時代に読んだ本の話をすることがあります。当時、わたしもBと同じように漫画ばかり読んでいましたが、少し背伸びして読んだのはヘミングウェイの『海流の中の島々』という作品でした。ヘミングウェイと言えば『老人と海』『日はまた昇る』など、数多くの有名作品がある中で、ヘミングウェイの死後に出版されたこの本はあまり知られていません。実は高校受験の面接で、最近読んだ一冊を紹介するようにと言われ、『海流の中の島々』と答えたのですが、読書家の先生たちも、知らなかった思い出があります。『老人と海』もまさにそうですが、ヘミングウェイの小説に「海」の存在は大きく、その一端に触れることが出来る作品です。

その後、わたしが高校時代通った基督教独立学園では、漫画やテレビがありませんでした。必然的にわたしは読書にハマっていきました。その頃、何度も繰り返し読んだのがヘルマン・ヘッセによる『デミアン』でした。主人公エーミール・シンクレールの思春期による自分自身の分裂、友人デミアンとの出会いによって深まる「本当の自己」探し…。決して明るい本ではありません。しかし、人間が出会う人生の苦難には、普遍性があることを学びました。そしていま振り返って思うことは、主人公エーミールに自分自身を投影していたことに気付かされます。また、ヘミングウェイに比べるとヘッセには、キリスト教の影響が色濃く反映されているのです。(有明海のほとり便り no.409)

人を立ち上がらせる力

岩手県大船渡市で医院を開業する山浦玄嗣医師は、2011年3月11日に起こった東日本大震災で被災されました。「重油と下水と魚の死骸が混じった真っ黒で粘っこい泥をなんとか片づけ、14日の月曜日から医院を開け」られました。まだ電気も回復していない中で、医院には多くの患者さんや家族が来られたそうです。

…「ががぁ(妻を)、死なせた」、目を真っ赤にしながらも涙をこらえた人。「助かってよかったなあ」と声をかけると、「おれよりも立派な人がたくさん死んだ。申し訳ない」と頭を下げた人。気をつけて聞いていましたが、だれひとり「なんで、こんな目に遭わないといけねえんだ」と言った人はいません。そんな問いかけは、この人たちには意味がありません。答えなんかないのです。

この人たちが罪深いから被災したのでもありません。災難を因果応報ととらえる考えに、イエスは反対しています。 (2011年5月16日朝日新聞)

カトリックの信徒である山浦医師は、聖書をケセン語(気仙沼の言葉)に訳され、また「世間語」にも訳されました。イエスの「復活」という言葉を「人を立ち上がらせる力」と訳しました。さらに「命」を、「活き活きと人を生かす力」と訳しました。つまり、「イエスは人を立ち上がらせ、活き活きと人を生かす力なのだ」と。病院も津波によって大変な被害にあった山浦医師にとって、イエスの「復活」そして「命」という言葉が、「人を立ち上がらせる力がある。活き活きと人を活かす力がある」と響いているのです。

イエスは3日後に復活されました。この復活したイエスが、「たとえ倒れても、心が魂が死んでも、それでも生きよ」と呼びかけています。(有明海のほとり便り no.408)

勇気について

毎日、アメリカ合同教会が発行しているDaily Devotionalというショートメッセージを読むようにしています。Daily Devotionalというのは、日本語で言えば「日々の黙想」になります。それがメールで届くので、ipadやスマホを使って、どこでも気軽に読むことが出来ます。

その日の聖書日課がまず引用されています。そしてその後に、短いメッセージが綴られるのですが、担当著者がおそらく10数名おられ、連続して同じ牧師が書くことはありません。毎回、聖書の読み方の視点や、メッセージが違うので、いつもワクワクしています。

4月9日の聖書日課はハガイ書でした。ハガイ書を読む機会はほとんどないので、聖句そのものが、心にとても響きました。

今こそ、ゼルバベルよ、勇気を出せと主は言われる。
大祭司ヨツァダクの子ヨシュアよ、勇気を出せ。国の民は皆、勇気を出せ、と主は言われる。働け、わたしはお前たちと共にいる…わたしの霊はお前たちの中にとどまっている。恐れてはならない。(ハガイ書2:4)

バビロン捕囚から戻ってきた民が直面したのは破壊された神殿でした。再建など到底出来ようもない現実を直面した民に、神は語りかけました。「勇気を出せ(Take courage)」と。けれども、突き放した言い方ではありません。神があなた達の中に留まっているのだから、「恐れなくていい」と言うのです。

わたし達の歩みの中で「勇気を出す」ことは、様々な恐れと直面することでもあります。けれども、この「狭い道」にも、いや「狭い道」だからこそ、神は共におられるのです。勇気を出して歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.407)

God is still speaking

Never place a period where God has placed a comma.

神さまがコンマ(休符)を置いたところに、ピリオド(終止符)を打ってはならない。

女優グレイシー・アレンが、召される直前、連れ合いの俳優ジョージ・バーンズに言い残した言葉です。アメリカ合同教会(United Church of Christ)では「God is still speaking」という言葉を大切にしています。この言葉のルーツの一つに、冒頭のグレイシーの言葉があることを最近知りました。

2025年度が始まりました。年度最初の教会役員会では、いつも新年度の宣教標語や宣教計画について話し合います。荒尾教会がこの地において、どのようにイエス・キリストの福音を分かち合っていくのか。地の塩・世の光として、イエス・キリストの確かな光をどのように灯し続けていくのか。荒尾教会は、わたし達は神さまから問われているのです。

確かにこの荒尾教会は小さく、出来ることは限られています。平日は家庭や職場でそれぞれに大切な働きがあり、動ける人間も限られています。予算も限られています。教会員一人ひとり、そして何よりも牧師の時間も限られています。

けれどもこんな荒尾教会が、2024年度一度も休まず主日礼拝を守ることが出来ました。山鹿教会と共に霊泉こども園の新園舎建築という幻の実現も出来ました。クリスマス礼拝で大好評だった有志による聖歌隊は、イースター礼拝でも挑戦します。

神さまは「こんなに小さな私たちさえもみわざのため用いられる」(讃516)のです。

人間は勝手にピリオド(終止符)を打って見切りをつけてしまいます。けれども、もしかしたらそれは、神さまからしたらコンマ(休符)に過ぎないのかもしれません。神さまは、いま生きて、話し、働いています。 (有明海のほとり便り no.406)