目に見えない根を

5月2日、牧師園長として大先輩である、輿水正人先生が88歳で召天されました。鹿児島県阿久根市にある、阿久根伝道所の牧師として、そして阿久根めぐみこども園の園長として50年近く仕える姿に、ただただ頭が下がる思いでした。いま園は、息子の基先生が引き継いでおられます。阿久根市(現17,970人)では人口減少が著しい中で、阿久根めぐみこども園は、「おもしろいをおもしろがる」をテーマとして、とても温かい子ども主体のキリスト教保育を実践されており、8月に予定されている法人研修の講師に基先生をお招きします。阿久根めぐみこども園のHPに次のように綴られています。

目に見えない神さまを通して子ども達は感受性を伸ばします。大きな存在に守られていること、保育者からたくさんの愛情を受けること、友だちから受け入れられることで、子どもの心は安定し、どっしりと地に足の付いた育ちを見せます。優しさも育ちます。

めぐみでは年齢の違う子ども達が一緒に活動する「縦割り保育」にこだわっています。縦での年齢のつながりは、きょうだい体験につながります。発達の違いの大きな子ども達が共に生活することで「みんなちがってみんないい」と思えるようになります。これもまた、違いや多様性を受け入れる優しさにつながります。

このように、めぐみの保育のこだわりはあまり目立つものではありません。しかし、樹木が目に見えない根をしっかりと地に張るように、人間形成の土台となる乳幼児期の根っこ育てにこだわっています。

荒尾めぐみ幼稚園でも、神さまの愛の中で、しっかりと「根っこ」を育てていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.412)

しょぼくれた教会にならないために

九州教区総会が終わりました。他教区で議長をされていた方とお話をする機会があったのですが、「九州教区はとても丁寧に議論を積み重ねていて羨ましい」と言われ、その通りだと思いました。以前わたしがいた東北教区でも1泊2日でしたし、全国的にも2泊3日で行っている教区は少ないと思います。タイパ・コスパを考えたら決して有効な手段とは言い難いかもしれません。けれども、対面で3日間過ごし喧々諤々(!)議論をしていると、確かにそれぞれの顔がよく見えるようになっていくのです。一年に一度しか会えない方たちも多く、しかも自分とは違う考え方・捉え方をされている方の意見を聞く、貴重な機会ともなっています。

特に印象に残っているのは、教区財政を巡る議論です。信徒数が減少していく中で、相関して財政もかなり厳しくなってきています。特に、謝儀保障のために互助献金をどのように集めていくのか、あるいは教区全体の機構改革が求められているのです。この議論の中で、ある議員が「確かに色々な方策が必要。けれども、このままでいいのか?会員が減ったから、収入が減ったから〇〇します、という対処療法だけでいいのか?しょぼくれた教会になってしまうのではないか?もっと福音宣教のために出来ることがあるのではないか?もっと献げることが出来るのではないか?」と問いかけたのです。これを聞きながら、荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園の信仰の先達たちが、渾身の祈りと奉仕と献金を献げながらこの地で働かれたことに思い巡らしました。

小さく欠け多きわたし達ですが、「心を高く上げ」(讃18)て、神と隣人とに仕えていきましょう。(有明海のほとり便り no.411)

登山泊

GWに家族旅行へ行こうとしたら、時すでに遅く😥どこもホテルは空いておらず、残っているのは超高級ホテルのみ。半ば諦めかけていた時に、そういえばHさんは高校時代ワンダーフォーゲル部で、北海道内の山々をいくつも登ったこともあったことを思い出しました。わたしも高校時代、飯豊山や朝日岳など山形の山々によく登りました。テントを担いで登山に挑戦することに。挑戦するのは大分・九重連山にある坊ガツル。広大な草原が広がり近くには温泉もあるそうです。子どもたちにとっては生まれて初めての登山泊となります。急いで寝袋を準備して、昨日は食料品などを買いにコスモスへ。無事に帰ってくることが出来るようにお祈り下さい☺️

高校時代に登った、いわゆる百名山に入るような山々の思い出はもちろん沢山あるのですが、実はそれよりも印象に残っているのが、地元の人しか知らないような低山登山です。有名な山になればなるほど、登山道も整備されていますが、いわゆる裏山のような山には登山道と呼べるような道はありません。山毛欅潰山(ぶなつぶれやま)もそのような山の一つでした。高校3年間で5回以上登ったのですが、計画通り登れたのが半分くらいで、山頂から下山する時にコースを見失い、計画していたのと反対側に降りてきてしまうほど難しいものでした。どうしても納得がいかず、卒業前に同級生と二人で再チャレンジしたことがありました。山の中腹でテント泊して、次の日一気に山頂まで登り、下りは方角を見失わないように、時に木に登ったり(!)しながらコースを確保して、何とか無事に下山することが出来ました。自然の奥深さ・美しさを味わいました。(有明海のほとり便り no.410)