「negative capability」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。わたしがこの荒尾に来て初めて参加したキ保連の園長研修で、講師の神学者が「negative capability」を「解決出来ないことに耐える力」だと説明されたことがありました。そしてこの「negative capability」は、責任を担う皆さんにとってとても大切なものだと。どうしても変えられないもの、直せないものがある。様々な課題の中で、今すぐには解決できないものがある。幼稚園・保育園の責任者は悩む。しかし、それを受け止め耐えて生きていく。なぜなら、今は無理でも、神さまがいつか必ず解決される時が来るから。その希望を抱きつつ、いま解決出来ないことに耐えていくことが大切だと。
この話しを折に触れて思い出しています。特に難しい課題に直面した時に、このnegative capabilityを大切にしようと思っています。
けれども、このnegative capabilityが必要になるのは、園の現場に限ったことではありません。人それぞれの人生の中で、どうしても解決出来ない課題や出来事に直面することがあります。その時に、わたし達はその課題を受け止め、時を待つ力が必要です。しかし、果たして耐えることが、待つことが出来るでしょうか。正直なかなか出来ないかもしれません。無駄なことや失敗をしでかしてしまうかもしれません。でもそれでも必ず、神さまは私たちの予想をはるかに越えて、収穫の喜びの時を与えて下さるのです。その希望をイエスさまは様々な譬えによって伝えています。
わたしたちキリスト者にとって、この「negative capability」はまさにイエス・キリストが指し示す希望から来るのです。(有明海のほとり便り no.413)