野の花を見なさい

金曜日の朝。出発前に終わらせないといけない仕事で頭が一杯だった。そんな時に限って、登園してきたAくんがモヤモヤしている。自分が遊んでいるおもちゃに、友達が触れただけで手が出る。クラスで過ごすのが難しかったのだろう、しばらくするとE先生と一緒に他のクラスへ遊びに来ていた。しかし、そこでもまた大声で友達に怒りをぶつけ、果ては手を上げたり、ものを引っ張ったりしていた。Aくんを抱っこして、二人になれる部屋へ。しかし、カンシャクが収まらない…。Aくんも僕も汗だくになってきた。

モヤモヤしていない時のAくんは、とても優しいし、楽しく遊ぶことが出来る。そしてお手伝いをよくしてくれる。そのことを思い出して、「Aくん、正門を閉めるお手伝いをしてくれない?」と聞いてみる。すると、カンシャクが少し収まり、「うん、いいよ」と答えてくれた。Aくんご希望のおんぶで、二人で正門まで行く。この頃にはすっかりカンシャクも収まっていた。あーでもないこーでもないと二人で言いながら正門を無事閉めると、何だか園庭が僕らを呼んでいた。おんぶのままでお散歩をすると、トンボやバッタ、蝶(おそらく蛾😉)、さらには空の上の飛行機を見つけて嬉しそう。

このままおんぶでもいいけれど、Aくんはもっと自由に遊ぶことが出来ることを知っている僕は二人で木登りすることを提案した。最初はゆっくり、でも段々しっかりした動きで登り始める。難しい箇所も、試行錯誤の末、新たなルートを見つけた。登った先のAくんの笑顔は最高だった。

木や自然は僕らのモヤモヤを受け止め、癒やしてくれる。「野の花をよく見なさい」(マタ6:28)と言ったイエスの言葉を思い起こした。(有明海のほとり便り no.426)

「間違い」

先週のメッセージで八木重吉の「草にすわる」という詩を引用しました。この詩から、詩人・谷川俊太郎がさらに「間違い」という詩を詠んでいたことを知りました。

わたしの まちがいだった わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる

そう八木重吉は書いた(その息遣いが聞こえる)
そんなにも深く自分の間違いが 腑に落ちたことが私にあったか
草に座れないから まわりはコンクリートしかないから
私は自分の間違いを知ることができない
たったひとつでも間違いに気づいたら すべてがいちどきに瓦解しかねない
椅子に座って私はぼんやりそう思う
私の間違いじゃないあなたの間違いだ あなたの間違いじゃない
彼等の間違いだ みんなが間違っていれば誰も気づかない
草に座れぬまま私は死ぬのだ 間違ったまま私は死ぬのだ
間違いを探しあぐねて

谷川の詩を読むとき、わたしはどこまで己の間違い(罪)を分かっているのか、ほとんど分かっていないではないかと気付かされました。神さまの前で、分からないという謙虚さを持って歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.425)

戦後80周年を迎えて

太平洋戦争そして植民地支配によって殺され、傷ついた命を覚えて祈りましょう。

この80年間、日本はどことも戦争を行っていません。そのことを評価しつつも、手放しで喜んでいいとは、とても言えない状況が広がっています。関連経費も含めた「防衛費」という名の軍事費予算が9兆9000億円にまで上がってきています。また、世界の軍事費の合計は約400兆円にまで膨らみ、「新たな軍拡の時代」に突入しています。

いまパレスチナのガザ地区ではイスラエルの攻撃が止むことがありません。さらにイスラエルはガザ地区への支援物資搬入を妨害し、その結果深刻な食糧不足が広がっています。ガザ地区での死者が6万1020人にもなっています。この数は、荒尾市と長洲町の人口に匹敵します。

また、特に栄養失調で死んだ方たちの内、約半数が子どもたちなのです。さらに、配給所の援助物資を求めて集まって来ていたガザ地区の人々が、イスラエル軍に攻撃されて、国連人権高等弁務官事務所によると、少なくとも1760人が殺害されたと発表しました。

戦争は、「殺してはならない」という神さまとの十戒に明らかに反するものです。戦争は、子どもたちの命を奪います。その構造は戦後80年経ったいまも変わっていないのです。(有明海のほとり便り no.424)

核をなくすために

8月15日を何と呼びますか?

韓国では「光復節」と呼び「独立記念日」としています。何からの独立でしょうか?もちろん、日本からです。では日本では何と呼ぶでしょうか?「終戦記念日」と呼んでいます。確かに長かった戦争がようやく終わった、その意味を噛みしめる言葉として「終戦」は相応しいかもしれません。けれども、「加害者としての日本人」という反省に立つ時、「敗戦記念日」と呼ぶ方が、意味があるのではと考えています。

ノーベル平和賞を受賞した被団協が「被爆80年声明」を発表されました。

広島・長崎に原爆が投下され、人類が核時代に入って80年。…今や、被爆者健康手帳所持者は10万人を割り、平均年齢は86歳を超え、残された時間は少なくなりました。一方で、核リスクは極限に達し、科学者が警告する「世界終末時計」が終末まで89秒とこれまでで最短時間を示すなど、かつてない危機に直面しています。…、「唯一の戦争被爆国」を自称する日本政府の役割が不可欠ですが、同条約の締約国会議へのオブザーバー参加さえも拒否。防衛費を増大し、有事を想定した日米演習に核使用を求めるに至っては、「核共有」へ進む危うさがぬぐえません。国是の非核3原則の破壊、「核なき世界」への逆行を到底、許すことは出来ません。…私たちは、核兵器が人間とは共存できないことを、命ある限り訴えてまいります。国民と世界の皆さん、平和国家の道を確かにして人類の危機を救うため、ともに核兵器も戦争もない人間社会を求めてまいりましょう。

核兵器はもちろん原子力発電を含め核が人間とは共存できないことを、歴史が示しています。被団協の方たちの訴え・祈りをわたし達も共にしていきましょう。(有明海のほとり便り no.423)

「おばあちゃんの歌」

終戦から80年を迎えます。キ保連熊本地区園長会である先生が、「おばあちゃんの歌」を紹介してくれました。6月23日沖縄慰霊の日に戦没者追悼式で、城間一歩輝さん(小6)の詩です。

…一年に一度だけ おばあちゃんが歌う「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー」 泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた 歌った後に「あの戦の時に死んでおけば良かった」と言うからぼくも泣きたくなった

…五歳のおばあちゃんが防空壕での歌を歌い 「艦砲射撃の食べ残し」と言われても
生きてくれて本当に良かったと思った
おばあちゃんに 生きていてくれて本当にありがとうと伝えると
両手でぼくのほっぺをさわって
「生き延びたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」生き延びたから 命がつながったんだね
とおばあちゃんが言った 八十年前の戦争で おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った
その傷は何十年経っても消えない
人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように
おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく
おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして 一生懸命に生きていく

約20万人もの尊い命が奪われた沖縄戦。せっかく生き残った人たちに対して、辛い言葉を投げかけられたことがあったのです。2000年前の十字架を覚え続けるキリスト者として、沖縄戦の歴史、広島・長崎の歴史、日本による植民地支配の歴史、その一つ一つの十字架を覚え続けていきましょう。(有明海のほとり便り no.422)