礼拝に参加されたことのない方も、ぜひご参加下さい!
日時 2025 年 11 月 16 日(日) 10時半 ~ 11時半
説教(メッセージ)「ぬくもり」
講師 鈴木恵牧師(日本キリスト教団福岡城東橋教会・九州教区セクシュアル・ハラスメント対策特設委員会委員長)
礼拝後、ささやかな昼食会(無料・要申込)そして12時30分から90分程度の研修を「あなたならどうする」 と題して行います。そちらもご都合があえばぜひご参加下さい。
※もしリモートで参加したいという方があれば直接メールなどでご連絡下さい。
茨城の叔父が召天したと聞き、21日に日帰りで葬儀に参加しました。叔母(母の妹)のお連れ合いとなりますが、一人っ子の従兄弟とわたしが一歳しか違わないこともあり、小さい頃からとてもよく可愛がってもらいました。長期休みには茨城の家によく泊りがけで、わたし一人遊びに行かせてもらったこともありました。家族葬だったので、集まった人数は少なかったですが、昔の写真を見ながら沢山の思い出話に花が咲き、温かい見送りとなりました。
初めて神道の葬儀に参加しました。葬場祭と呼ばれる告別式を行ったのですが、神職が二名来て下さり、丁寧にその儀式を行われる姿に、宗教は違えどある種の感銘を受けました。特に、神詞奏上(しんとそうじょう)と呼ばれる儀式では、叔父の生まれからこれまでの歩みについて祝詞(のりと)が奏上されていきました。「宣命調」と呼ばれる独特の節回し(語りの旋律)を通してすっと入ってくる言葉遣い・息遣いに、古代からこうやって一人一人を見送っていたのかと、思わず聞き入りました。
改めてキリスト教会での葬儀について考える機会となりました。
死者を何か人間以上の存在として崇めたり拝んだりすることは、偶像崇拝としてしりぞけなければなりません。しかしそれは、死者を忘れ去ること、死者の思い出を遠ざけることとは違います。先に召された愛する親しい者たち、神の恵みの中を生きた先達を、神への信仰と共に思い起こすとき、その人々の記憶は、私たちの生涯を神のもとへと導く証人として語りかけてくることでしょう。死者を思い起こしつつ、共に神を仰ぐものでありたいと思います。(「葬儀について」)
来週の召天者記念礼拝においても、共に神を仰ぎましょう。(有明海のほとり便り no.434)
ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。
それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。
さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであった。
マルティン・ニーメラー(ドイツ告白教会牧師)
出入国在留管理庁が「不法滞在者ゼロプラン」を始めて3ヶ月が経ちました。そもそも「不法滞在」という表記が問題です。この間すでに119名の方たちを強制送還していますが、3割にあたる36名が、難民認定の申請中だったそうです。難民認定を申請するということは、母国に帰国することによって迫害などの危険が及ぶ可能性があるということです。
今まで難民認定申請中の方たちを強制送還することはしていなかったのですが、昨年6月に施行された改正入管難民法により、可能となってしまったのです。すでに日本生活も長く、家族の中でも母子には在留資格があり、父だけが難民申請中だったにも関わらず強制送還される事例も起こっています。子どもたちは日本育ち・日本生まれにも関わらず、家族が分断されてしまったのです。
「最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」(マタ25:40)というイエスの言葉を胸に刻みましょう。(有明海のほとり便り no.433)
あなたの心の中の未解決のものすべてに対して忍耐を持たれることを。 そうして問い自身を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは非常に未知な言語で書かれた書物のように、愛されることを。今すぐ答えを捜さないで下さい。 あなたはまだそれを自ら生きておいでにならないのだから、今与えられることはないのです。すべてを生きるということこそ、しかし大切なのです。 今はあなたは問いを生きてください。 そうすればおそらくあなたは次第に、それと気づくことなく、 ある遙かな日に、答えの中へ生きて行かれることになりましょう。 ブレーメン近郊ヴォルブスヴェーデにて、 1903年7月16日、若き詩人カプス君宛のリルケの手紙より
母校を訪問し、とても久しぶりにお世話になった先生たちと再会したことが、どうも自分の中にあった「格言集」を呼び起こしたようです。ふとリルケの言葉を、当時の助川暢校長がよく引用していた姿と合わせて思い出しました。ただし、「問いをポケットにしまっておく」的なリルケの言葉という曖昧模糊とした記憶のみ…。何回かAI(複雑な条件での情報収集が得意)とやり取りをしている内にたどり着いたのは、「問いを生きる」でした。
問いを捨て去るのでも、性急に答えを求めるのでもなく、問いを温めていくこと。いまを生きていくことで、「それと気づくことなく」答えが与えられることがあるのだから。
「明日のことまで思い悩むな」(マタ6:33)とイエスの言葉と深く響き合っています。(有明海のほとり便り no.432)
荒尾教会に赴任した時には、有明小1年だったBさんが、いまは中3。いよいよ受験のシーズンです。独立学園(山形)、愛農学園(三重)、愛真高校(島根)はともに無教会の流れを汲む、一学年定員25名というとても小さな全寮制の高校です。この間、教会や園に休みをいただき、わたしの母校である独立学園と、愛農学園の一泊見学会に二人で参加してきました。
独立学園を、一泊して衣食住を共にするほどじっくり訪問するのは20年ぶりでした。新しい校舎や改築した講堂などに驚きつつ、男子寮はまったく変わっておらず、ゴチャゴチャしたカオスな感じもそのまま…でした。
「あなたの人生にとって欠かせない時期は?」と問われたら、間違いなく「独立学園で過ごした3年間」と答えます。他者と「共に生きる」と、まったく綺麗事ではないゴチャゴチャした感情や言動に振り回される3年間でしたが、それでも何だか楽しく、シンドいけれど「喜び」があったのです。学園で数学に出会い大学や院で学びましたが、そこからの道に悩みました。最後は牧師の道を選んだのも、この「喜び」を学園生活で味わっていたからです。隣人と、こどもたちと共に生きることの喜び、皆でワイワイ遊具をDIYする工夫、そして信仰。このすべてをわたしは学園で学んだと改めて確認することが出来ました。
愛農学園は、日本で唯一の「私立」農業高校です。「神・人・土を愛する」三愛精神のもと、持続可能な有機農業を実践している教育の意義はとても大きく深いものです。
ただ、最後はBさんと神さまに委ねなければと、祈っています。(有明海のほとり便り no.431)