問いを生きる

あなたの心の中の未解決のものすべてに対して忍耐を持たれることを。
そうして問い自身を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは非常に未知な言語で書かれた書物のように、愛されることを。今すぐ答えを捜さないで下さい。
あなたはまだそれを自ら生きておいでにならないのだから、今与えられることはないのです。すべてを生きるということこそ、しかし大切なのです。
今はあなたは問いを生きてください。
そうすればおそらくあなたは次第に、それと気づくことなく、
ある遙かな日に、答えの中へ生きて行かれることになりましょう。
ブレーメン近郊ヴォルブスヴェーデにて、
1903年7月16日、若き詩人カプス君宛のリルケの手紙より

母校を訪問し、とても久しぶりにお世話になった先生たちと再会したことが、どうも自分の中にあった「格言集」を呼び起こしたようです。ふとリルケの言葉を、当時の助川暢校長がよく引用していた姿と合わせて思い出しました。ただし、「問いをポケットにしまっておく」的なリルケの言葉という曖昧模糊とした記憶のみ…。何回かAI(複雑な条件での情報収集が得意)とやり取りをしている内にたどり着いたのは、「問いを生きる」でした。

問いを捨て去るのでも、性急に答えを求めるのでもなく、問いを温めていくこと。いまを生きていくことで、「それと気づくことなく」答えが与えられることがあるのだから。

「明日のことまで思い悩むな」(マタ6:33)とイエスの言葉と深く響き合っています。(有明海のほとり便り no.432)