ことばのうちがわへ

この聖書(よいほん)(よいほん)のことばを
うちがわから
みいりたいものだ

ひとつひとつのことばを
わたしのからだの手や足や
鼻や耳やそして眼のように
かんじたいものだ

ことばのうちがわへ
はいりこみたい

キリスト者詩人・八木重吉の詩です。まず気付かされるのは「聖書」という漢字に、「よいほん」というルビをふっているのです。重吉は聖書の言葉を、身体全身で入り込み、身体全身で感じ取りたいというのです。

読書にも様々な読み方があります。重吉が示すのは速読でもなく、単なる遅読でもありません。もっともっと入り込む聖書の読み方です。頭だけでなく、脳だけでなく、耳や手、全身で。あたかも、自分の体を聖書の中にすっぽり入れ込むかのように…。

そのような読み方をしていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.446)

キリスト教保育はアタッチメントの保育

小さな子ども、特に赤ちゃんはよく怖がります。大好きなお母さんやお父さんが見えなくなった時、大好きな先生が見えなくなった時に。不安を泣くことで教えてくれます。「ここに来て!助けて!」と。その時に、しっかりとその感情、不安や恐れを受け止めて抱きしめるならば、その子どもは、すぐに元気を取り戻すことができます。

子どもが不安を抱いたり、感情が崩れてしまった時に、特定の大人のところ行って、抱きしめてもらって元気を回復すること、そしてそこからまた冒険に出かけていく勇気をもらうことをアタッチメント(愛着)と言われます。子どもの育ちにとって、親や先生とのアタッチメントは、必要不可欠と言っていいほど重要であることが、最近の研究で明らかにされています。

神さまが無条件で一人一人を愛し、かけがえがない<いのち>として下さっている。この神さまの愛を土台にしてなされるキリスト教保育は、大人の都合での保育ではなく、一人一人の子どもとしっかりアタッチメントを作っていく保育なのです。

いくつになってもアタッチメントは必要であり、大人にとっても、感情が崩れた時に帰っていく避難所・安心基地が必要です。神さまという存在、復活されたイエス・キリストという存在、それがわたしたちにとっては避難所です。神さまによって、わたし達は元気を与えられ、そしてそこからイエスさまに倣いつつ、飛び立っていくことが出来るのです。わたしたちにとってのアタッチメント(愛着)の対象は、まさに神さまなのです。

荒尾教会が、そのような神さまとのアタッチメントを十分に感じられる場になりますように。ホット一息ついて、ここから出かけていきましょう。(有明海のほとり便り no.445)

ささやかな「接点」

『教団新報』という機関紙(月刊)の、少し古い2018年2月号にとても親しい友人でもある荒井偉作(いさく)牧師が執筆していました。

偉作くんに初めて出会ったのは、わたしがまだ高校生の頃。偉作くんは西支区(現在の西東京教区)中高生キャンプのリーダーで、自由学園中高の教師でもありました。以来、とても親しく可愛がってもらい、お互い不思議な導きで牧師となり、仙台でまさかの再会を果たしました。

偉作くんは仙台空港近くの名取教会に仕えています。東日本大震災によって、名取市沿岸部は津波によって甚大な被害を受けました。名取教会も地震によって被災、教会員と会友の4名が召されました。しかし、そのような中にあっても、偉作くんは持ち前のユーモアで明るく宣教を展開しています。名取教会には震災によって沢山の人たちが訪問するようになりました。

ある時ふと、政治的に対立する国々からそれぞれ訪問者があることに気付きました。そしてよく見れば、国内の訪問団の間にも溝や確執はあります。違いはあれ、一人ひとりの温かい笑顔が印象的です。被災地の小さな群れが、ささやかな「接点」になっているのです。

この言葉を読み、わたしが仕えていた被災者支援センター・エマオもささやかな「接点」だったことに気付かされました。この小さな荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園も、ささやかな「接点」になることを願っています。

教区で3月に企画している「東日本大震災15年を覚える礼拝」には、偉作くんに説教(オンラインで)を依頼し、快諾いただきました。いま偉作くんは東北教区議長としての責任も担っています。お時間が合う方はぜひオンラインでご参加下さい。

グレッチオの洞窟

2026年が始まりました。この一年が、お一人お一人にとって神さまの愛あふれる時となることを切にお祈りしています。

年始にはHさんの家族ともオンラインビデオで繋がり、近況を報告しあうことが出来ました。その中で特に印象深かったのは、義弟のIさんが行ってきたスペイン巡礼の旅(カミーノ・デ・サンティアゴ)についての話しです。キリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指し、徒歩で巡礼する旅です。

スペインはカトリックの国であり、旅で出会う各地の教会はカトリック教会です。Iさんはカトリック教会自体にはあまり共感しなかったそうです。「The教会」という華々しい造りの教会と、自分が抱く「教会」「キリスト教」との間にギャップがあったと。

けれども、アッシジの聖フランチェスコが過ごした、アッシジとローマの中間の山岳地帯にあるグレッチオの洞窟を訪問した時に、思いが変わったそうです。その洞窟は本当に人里離れたところにあり、「えっここが?」と驚くほど何もない洞窟だったそうです。フランチェスコはこの洞窟をあえて選び、そこで本当に質素な祈りと生活を始めていったのです。その洞窟に入り、この洞窟こそ「本当の教会」と感じたそうです。

この話しを聞いて、「教会」について考えさせられました。イエスさまが産まれた家畜小屋のような教会、イエスさまが復活された墓のような教会、そしてフランチェスコが過ごした洞窟のような教会。 荒尾教会がそのような教会になることを祈り願っています。(有明海のほとり便り no.443)