辻啓蔵牧師を覚えて

園内研修でお招きしたK先生とお話ししていると、静岡大学で教育を学ばれている際に、大学で行われていた聖書研究会に参加していたことを伺いました。そこから静岡草深教会を当時牧会されていた辻宣道(のぶみち)牧師の名前が出てきて、とても驚きました。さらに『信徒の友2月号』をふと開くと、辻宣道牧師のお連れ合いである辻哲子牧師(90歳)が寄稿されており、神さまの不思議な導きを感じました。

辻宣道牧師は元教団議長でもあり、教団史を学ぶ際によく名前が出てくる人物の一人です。宣道牧師の祖父は中田重治であり、日本ホーリネス教会の創始者の一人です。そして、父は辻啓蔵牧師といって、戦時中弾圧され獄中死された方です。

つまり天皇統治がキリスト再臨により廃止されるべきもの、天皇よりも再臨のキリストが上位に立つのかと糾弾されたのでした。…啓蔵は天皇制の下に過度の屈辱を強いられ妥協へと歩まされました。それでも翌年4月30日上告は棄却され、啓蔵は刑務所に再び収監され、45年1月18日獄中で死にました。…あらためて思うのは、戦時下のキリスト教会およびキリスト者の信仰の体質です。国家体制に傾く人、神の国を心霊的な事柄とする人、嵐が静まるまで沈黙する人と、妥協と逃亡にあふれていました。果敢に闘うキリスト者いましたが、わずかでした。…ところが敗戦から75年がたつ今日、時代に対する危機意識が欠落していることを痛感します。…自己保身、無責任、無関心が広がっています。なぜ勾留されるのかすらわからなかったあのころのように。

辻啓蔵牧師の獄中での弾圧死、そして「信教の自由」が持つ大きな意味を覚え続けましょう。(有明海のほとり便り no.195)

核兵器禁止条約発効

昨日は、Sさん・Sさんの結婚式を無事執り行うことが出来ました。新型コロナウイルス感染対策や雨のために、式以外にもみんなの知恵を合わせて、それぞれの努力と気遣いが普段以上に溢れた、温かい式となりました。新たな歩みを始めていくお二人そしてゆうちゃんのことを覚えてお祈りしましょう。

22日は、国連で核兵器禁止条約が発効されました。これにより核兵器の開発、保有、使用が全面禁止されることとなりました。とても残念なことに、被ばく国である日本がこの条約に参加していません。

教団ジャーナル『風』第68号に、Kさん(三木志染教会信徒)が証しを綴られ胸を打ちました。

1945年8月6日8時15分、新型爆弾は投下され、一瞬にして広島は廃墟と化しました。生後8ヶ月の私は、爆心地から1.1キロの広島流川教会の牧師館で、母に抱かれて家の下敷きになるも、生き残ることが出来ました。…幼かった私が忘れることの出来ないのは、多くの親を亡くした子ども達、それと火傷を負ったお姉さん達です。

Kさんは両親から「おまえは町内で生き残ったたった一人の赤ん坊だから、広島のために、世界平和のために生きて欲しい」という言葉に、反抗していた時期もあったそうです。けれども、イエスの山上の説教「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」が、ヒロシマへの取り組みへと歩みだされていきます。

被ばく国である日本が参加していないのはとても残念です。広島・長崎を経験した日本が先頭に立たないで、どこが立つのかと海外の人たちに問われます。核の無い世界を被ばく国日本から発信したいものです。

(有明海のほとり便り no.194)

90歳を超えてもピアノに挑戦

『信徒の友12月号』の「金さんのスケッチ散歩」で荒尾教会を取り上げて下さいました。そこに金斗鉉画伯が「教会員は60歳が一番若く、高齢の方が多いがゆるぎない信仰で教会を支えてくれているので頼もしい」と書いて下さったために(?)、ある時編集部から連絡がありました。2月号でご高齢の信徒たちの証しを取り上げたいので、教会員を紹介してほしいと。でも、ど・う・し・よ・うと…悩み、荒尾教会の方を紹介するのは丁重(^_-)に辞退させていただきました。

そのかわりに、地区牧師会で金聖孝先生から伺った在日大韓基督熊本教会のご高齢信徒を紹介しました。先日届いた2月号を開くと、「敬虔な信仰者になりたい」というMさんの証が掲載されていました!

Mさんは戦争のために小学校しか行くことが出来ませんでした。それが62歳のときに何とアメリカまで留学へ行かれます。そこで初めてキリスト教と出会い信仰が与えられます。

聖書の勉強会で「人はパンだけで生きるものではない」(マタイ4:4)というみ言葉に触れたとき、47歳という若さでこの世を去った母が語っていた言葉が浮かんできたのです。「サラムン パンモンモッコ モッサラ」(人はご飯だけ食べては生きられない)。母はクリスチャンではありませんでしたが、このみ言葉どおりに生きたように思います。

お母様への思いに胸が打たれました。そんなMさんですが、90歳を超えて生まれてはじめてピアノを弾くことにチャレンジされました。目標は「いつくしみ深き」を弾くことで、1日30分18ヶ月間欠かさず練習をされているそうです。何歳になってもチャレンジする姿に、信仰者としての逞しさを感じました。(有明海のほとり便り no.193)

ポレポレやまのぼり

『ポレポレやまのぼり』(たしろさと作)という絵本が我が家にあり、先日子どもたちと一緒に読みました。

はりねずみくん・ぞうくん・やぎくん3人で大きな山へと登っていきます。

山登りが得意なはずのやぎくん、なぜか一番大きなリュックを背負っています。どんどん進もうとする、はりねずみくんのペースにはついていけません。2人はやぎくんのペースに合わせて、ポレポレ(スワヒリ語「ゆっくりゆっくり」)登っていきます。大きな岩壁では、力持ちのぞうくんに、やぎくんの荷物を背負ってもらい、お尻を押してもらい手伝ってくれました。はりねずみくんもぞうくんの頭に座らせてもらっています。

とうとう頂上に着くと、3人は大喜び。さっそく頂上の回りにいる人たち(くま・さる・ぶた・うさぎなど)と同じようにテントを張ります。すると…やぎくんの大荷物の中からは、大きな鍋と調理器具、食材に食器、そして…何とコック帽まで!

やぎくんはポレポレ(ゆっくりゆっくり)心を込めて、大鍋でスープをつくります。すると、美味しそうな匂いにみんなが集まり、ねこさんはお魚を持ってきて一緒に焼いたりして、持ち寄りパーティーが始まりました。

最後はみんなで焚き火の回りを、楽しそうに踊ります…。

イエスさまが、神の国・救い・愛・正義・平和を分かち合うためにガリラヤを旅したのはおよそ3年間でした。期間としてはあっという間です。けれども、新幹線や飛行機を乗り継ぐような慌ただしい旅ではなかったはずです。むしろ、ポレポレ(ゆっくりゆっくり)心を込めて一人ひとりと出会い、食事を分かち合い、救いの希望が生まれていったのです。

ポレポレと、一歩一歩。(有明海のほとり便り no.192)

ソーシャルディスタンスではなくフィジカルディスタンスを

新型コロナウイルス感染拡大に収束の見通しが中々立ちません。このような状態で東京をはじめとする4都県は緊急事態宣言を政府へ発令を要請しました。何よりも<いのち>を守るために、積極的な経済支援を含めた対策が必要なことは明らかです。コロナ禍にあって、特に小さくされている<いのち>を覚えてお祈りしましょう。

感染対策のために日本でさかんに使われている「ソーシャルディスタンス」という言葉遣いに違和感を覚えています。単純に訳せば「社会的距離」となる言葉ですが、私たちにいま必要なことは「物理的距離(フィジカルディスタンス)」であって、「心理的距離」は孤立を招き問題を深刻化します。

例えば、「コロナうつ」を予防するために「温かいコミュニケーション」が欠かせません。あるいは、保育の現場で「心理的距離」を子どもたちと取るなんていうことはありえません。抱っこなどの身体的接触による愛着形成が最も必要なこの時期に、そもそも「物理的距離」を置くことすら至難の業です。

イエス・キリストの生き様は、重い皮膚病や障がいのために差別された人のところへと自分から飛び込んでいくものでした。様々な「ソーシャルディスタンス」を乗り越え、神さまの愛、救いを分かち合っていったのです。

感染拡大を防ぐために「物理的距離(フィジカルディスタンス)」を保ちつつ、「心理的距離」や「霊的距離」を縮めるための知恵が求められています。 2021年においても、イエス・キリストという確かな希望を抱きつつ歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.191)

障がいを負う人々・子ども達と『共に歩む』ネットワーク

「障がいを負う人々・子ども達と『共に歩む』ネットワーク」が東京・調布にあり、定期的に『共に歩む』という機関誌が教会に送られてきます。目が不自由な青木優牧師(調布柴崎伝道所)そしてお連れ合いの道代さんが1986年につくりました。活動内容の紹介には次のように書かれています。

月一度「聖書を学ぶ会」を開き、それを原点に「共に歩む」ネットワーク活動を進めている。「障がい」が「マイナス」でなくその人の「個性」であることを確認しつつ、互いに「パートナーシップ」を育て合うことを目的とし、「障がい者」「障がい児」とよばれる人々へのバリアーを除き、その人権を守りつつ、共に歩むことを目指している。

https://chofu-npo-supportcenter.jp/01a001/

私の姉が西支区(現・西東京教区)の中高生会の活動で優牧師・道代さんと出会い、イベントに参加していました。私もそこに連れられて何度か参加させていただき、様々な「障がい」と共にある子どもたちとの出会いが与えられました。あるお母さんが「一緒に〇〇と遊んでみませんか」というチラシをそこで配られており、一度その子のお宅に行き、公園へ遊びに行ったことがありました。いま振り返れば、おそらく自閉症スペクトラムの子で、言葉でのコミュニケーションは難しかったけれども、思いの外二人で楽しく過ごすことが出来ました。

優牧師は召天され、道代さんも今年代表を退任され、いまは高齢者ホームにお住まいであることを知りました。そのホームでキリスト者は道代さん一人なのですが、ホールにあるエレクトーンで『聖しこの夜』を弾くと一人また一人と集まり、皆で唱和し「心こもる小さなアドベント」が出来たそうです。ここでも「共に歩む」姿に、感銘を受けました。(有明海のほとり便り no.190)

新型コロナウイルス「第3波」

昨日、新型コロナウイルスの新規感染者数が3041名となり過去最多となった、というニュースが流れました。熊本県内でも32名の新規感染者があったそうです。何よりも感染された方たち、ご家族、医療従事者の方たち、様々な形で不安や心配を覚える方たちに、神さまからの癒やしと回復があることを祈りましょう。

ドイツのメリケル首相の演説を読み心が打たれました。言葉に力があるだけでなく、高齢者の方たちや重症化リスクの高い方たちのいのちを守らなければという熱意・真実が伝わってきます。このような言葉が、日本にも必要なのではないでしょうか。

クリスマスまであと14日です。14日!その間に再び感染が拡大してはなりません。レオポルディーナ(ドイツ国立科学アカデミー)は、この間は不要な接触を絶対に避けるべきだと言っています。これがとても辛い要求であることは承知しています。…申し訳ない、本当に心の底から申し訳ないと思っています。でも、毎日毎日、590人の死者という代償を払い続けることは、私には受け入れられないのです。…私が言いたいのは、クリスマス前に多くの人と接触したせいで、「あれが祖父母との最後のクリスマスだった」なんてことにはさせたくない、それだけは避けたいのです。…人と距離を取れ、人と会うな、マスクをしろなど、確かに非人間的な要求かもしれませんが、私たちの命を奪うほどのことではないでしょう。出来る限り多くの命が救われるよう、なおかつ滞りなく経済が回るよう、容易ではないこれからの日々を力を合わせて頑張っていきましょう。(ギュンターりつこさんのFacebookより)

(有明海のほとり便り no.189)

北大YMCA汝羊寮

私が札幌で過ごしたのは修士課程の2年間のみでしたが、信仰生活において大きな影響を受けた出会いが2つあります。一つは札幌北部教会との出会い。もう一つは、同じ釜の飯を食べた北大YMCA汝羊寮(じょようりょう)との出会いです。

このどちらが欠けても、神学校に行くことはありませんでした。卒寮後、札幌に帰った際には必ず寮に顔を出し、お世話になった寮母さんとランチに出かけています。けれども、荒尾に来てからは園や教会の業務でそもそも札幌へ帰る機会がつくれず、すっかりご無沙汰をしていました。

すると、同寮した理事から連絡をもらいました。「汝羊寮の寮生が減って危機的状況の中、オンラインで総会を開くことにしたので出てほしい」と。心配していたので、喜んで参加しました。最後に総会へ参加したのは卒寮した2007年度なので、13年ぶりです。懐かしい理事や監事の諸先輩だけでなく、先輩・後輩OBたち、現役寮生たちに会うことが出来ました。

汝羊寮の最大の特徴はキリスト教を基盤とした「自治寮」です。食費や維持費、寮母給与などもすべて自分たちで支出し運営します。毎週の学Y活動ではそれぞれが関心のあるテーマについて発題し対話し、寮集会では寮生活全般について喧々諤々議論します。毎朝の「聖書輪読会」では、ひたすら聖書を1日1章ずつ輪読していきます。そして寮母が作ってくれたご飯を腹いっぱい食べる(人生で最も多い食事!)日々を通して、「人と共に生きる」喜びに気付かされました。

そんな汝羊寮も建物の老朽化が進む中で、寮生が5名にまで減ってしまい寮運営もかなり厳しい状況です。遠く離れた荒尾でも、寮のために祈り支えていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.188)

神さまにまかせおけば大丈夫!

信徒の友12月号』の「金さんのスケッチ散歩」に荒尾教会が掲載されました。神さまからの思わぬクリスマスプレゼントに感謝です。

金斗鉉画伯が短い紹介文の中で、このように記しています。

幼稚園と教会のつながりは難しいが、種まきから20年30年の後に実ることもあるらしい。教会員は60歳が一番若く、高齢の方が多いがゆるぎない信仰で教会を支えてくれているので頼もしいと先生は強く語った。

電話でのインタビューでニュアンスが上手に伝えられなかったのですが、教会員の方たちのことを「高齢」ではなく(^_^;)、むしろ「信仰の先輩・友」として支えて下さっていると感謝しています。

さて、もう一つ12月号に注目の記事がありました。親しくさせていただいているI弁護士の「40代、50代の証し」です。私たちにとっては「札幌北部教会の兄」のような方です。大学を卒業後、アルバイトをしながら司法試験に取り組みましたが、中々スムーズに合格しませんでした。

結婚をして、合格していなのに子どもが生まれて、家事育児兼受験勉強の生活をして…。そんな、周りから見れば危なっかしい生活をしていました。しかし私と妻は、いつも「神さまにまかせおけば大丈夫!」と話していたのです。実際、神さまは、私たちの周りに多くの助け手を準備してくれていて、そのおかげで本当に何の心配なく(少なくとも本人たちは)生きてこられました。

この「神さまにまかせおけば大丈夫!」という感覚が、私たちの信仰生活の確かな導きとなっていくのです。(有明海のほとり便り no.187)

トクベツ

新型コロナウイルスの感染者数が軒並み増えてきて「第3波」を迎えています。感染された方たちが一日も早く回復し癒やされることをお祈りしましょう。

2020年度は、新型コロナウイルスによって教会生活においても大きな影響がありました。現在も続く短縮礼拝は最たる例でしょう。また、本来でしたら今日は収穫感謝礼拝として、子どもたちと一緒に作った豚汁を礼拝後ご馳走になるはずでした。けれども、今年はそれも叶いません。このままでは愛餐会なしのクリスマスも無事迎えることが出来るのか心配です。

そんな時に、次の文章を読んで、ハッとさせられました。

コロナの影響で「今年は…」という前置きがつき、特別さが強調されています。でも、保育を考えたとき、本当はどの一年も特別な一年ですね。子どもにとっても、園にとっても、毎年がかけがえのない一年です。「うちの園の5歳児はこういう保育をすることになっている」とか「運動会では必ずこれをすることになっている」という保育をしていたら、今年の特別さは、大きなマイナス要因になるでしょう。

久保山茂樹(国立特別支援教育総合研究所) 『キリスト教保育12月号』

これは私たちの信仰生活においても同じではないでしょうか。私たち一人ひとりにとって、荒尾教会にとって、どの一年も特別であり、かけがえがないのです。(有明海のほとり便り no.186)