ハッピー・バースデー

※ハッピー・バースデー 生まれてきて良かったね
 ハッピー・バースデー きみに会えて良かったよ

1 大きな宇宙の 小さな地球で きみは生まれた
 今日生まれた 僕のすぐそばで 生まれた
 きみの眼 きみの声 きみの笑い顔 みんな すてきだよ ※繰り返し

2 暑い夏の日 寒い冬の日 きみは生きていく
 ずっと生きていく 僕と一緒に ずっと生きていく
 きみの夢 きみの歌 きみの走る姿 みんな すてきだよ ※繰り返し
作詞:成井豊、作曲:林あづさ

『ハッピー・バースデー』という歌です。高校時代の恩師が紹介してくれた曲で、ダウン症の子どもと共に歩まれているお母さんたちの集まりで歌われてきたと伺っています。「神さま」は出てきませんが、これも讃美です。

 秋に予定されているらっこ組(0歳児)を除く、各クラスのクラス参観および保護者懇談会が終わりました。特に保護者懇談会では、保護者同士が我が子のストレングス(育ちや素敵なところ)を分かち合う時間を大切にしています。普段は仕事や家事に追われてしまいますが、保護者の方たちから多くのストレングスを聞くことが出来て嬉しかったです。

キリスト教保育そして育児の原点である、「きみに会えて良かった」という全肯定をこれからも大切にしていきます。(有明海のほとり便り no.418)

牧会便り

先日、北海道の久世そらち牧師より、お手紙と資料をいただきました。久世牧師は長く、わたしやHさんにとっての母教会である札幌北部教会を牧会されていましたが、いまは同じ北海教区にある美唄教会・美唄めぐみ幼稚園の牧師園長をされています。熊本にある荒尾めぐみ幼稚園と、北海道にある美唄めぐみ幼稚園で、オンラインで繋がって何か出来ないかと二人で話し合っているところです。

わたし達が通った札幌北部教会の週報には、毎週牧会便りが掲載されていました。初代の榎本栄次牧師から始まった習慣だと伺っています。わたしもその慣習に習って、荒尾教会に来てから週報に牧会便り「有明海のほとり便り」を掲載することとしました。説教だけでは、普段の牧師の思い・祈り・人柄(駄目さや弱さも?)などを分かち合うことが難しいからです。毎週説教以外にもお便りを書くため、時間的には厳しいのですが、不思議と話題が尽きることはありません。これからも忍耐して付き合っていただければと願っています。

嬉しかったのは、先日久世牧師から送っていただいた美唄教会の週報にも「そらち通信」が掲載されていたことです。(北海道の美唄市を含む空知地方で産まれたため、「そらち」と名付けられたと聞きました;)。礼拝のこと、地区・教区・教団のこと、キリスト教保育のこと、社会・地域のこと、話題は多岐にわたっていました。

小さな発信です。けれどもこの言葉が、どこかで思いもかけない不思議な繋がりへとなっていくことを願っています。(有明海のほとり便り no.417)

霊泉新園舎献堂式メッセージより

スペイン・バルセロナの世界遺産「サグラダ・ファミリア」をご存知でしょうか。大きな大きな教会です。建築開始から140年以上経っていますが、いまだに建築が続いています。当時この教会を設計した、建築家アントニ・ガウディは、その晩年を「サグラダ・ファミリア」のためだけに捧げました。私財も捧げたガウディの、晩年の服装はみすぼらしいものであったと記録されています。

あまりに壮大な教会建築に、資金繰りにも困難を覚え、継続も危ぶまれる中で、ガウディは周りの人々から一体いつ完成するのかと問われます。その時に、ガウディはこう答えました。

サグラダ・ファミリアの工事はゆっくり進む。なぜなら神さまは急がれないから。

そうです。神さまは完成を急がれません。霊泉こども園の新園舎が出来たから、霊泉こども園が完成したわけではありません。 「キリストにおいて、共に建てられ、神の住まいとなる」(エフェ2:22)ように、山鹿の地に生きる子どもたちのとまり木となるように、これからも、わたし達は霊泉こども園の働きを、急がず、焦らず、けれども一歩ずつ歩んでいくことを、神さまは望んでおられるのです。神さまが与えて下さったこの新園舎と共に、心をこめて、子どもたちを愛し、子どもたちに仕えていきましょう。(有明海のほとり便り no.416)

霊泉献堂式を前に

いよいよ土曜日には霊泉こども園の新園舎献堂式が執り行われます。原野先生はじめ霊泉の先生たちが心を込めて準備して下さっています。今回参加できない方も、来月7月27日には山鹿教会での合同礼拝を予定していますので、ぜひご一緒しましょう。ちょうど6年前のペンテコステ礼拝での「有明海のほとり便り」に、こんなことを綴っていました。

山鹿教会の代務を担うこととなり、正直戸惑っています。荒尾教会に赴任してからの2年間、よもやこのような形で山鹿教会に関わることになるとは、まったく思いもしませんでした。山鹿教会の現状は、決して明るいものではありません。…けれども確かなことは、山鹿教会の歴史の中で日曜の主日礼拝は、必ず続けてきたということです。福音のともしびを消すことなく、ともし続けてきたということです。それを安易に消すようなことはしてはならないと感じています。いやむしろ、代務者として精一杯、山鹿の地における福音の分かち合いに努めたいと願っています。
…今は始まったばかりで何も見えていません。しかし、3年後・5年後・10年後に振り返ったときに、きっと神さまの思い・意図・計画が見えてくるのではないでしょうか。どうぞお祈り下さい。

あれから、6年。いま振り返ると見えてくること。この荒尾教会と山鹿教会とが、そして荒尾めぐみ幼稚園と霊泉こども園とが、共に手を携えて歩んでいくようにと、神さまが望まれたということです。その一つの業として、新園舎建築という幻が与えられたのです。

神さまはわたし達にさらに風(プネウマ=聖霊)を吹き続けていくに違いありません。その風に励まされ歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.415)

正門工事

長年の懸案だった正門工事が無事終了しました。とても味わいのある正門でしたが、作って数十年(?)となる門は、老朽化が進んでいました。ここ5年間は、度々車輪が回らなくなっていました。その都度、教会員の舛田さんにお願いして直していただきました。また、鉄製門でしたが、特に下の部分は錆によってボロボロで、車輪を受ける箇所が使えなくなり、車輪自体をズラして付けなければならない状態でした。さらに、昔ながらのガラガラと引いて開ける門だったため、子どもたちの挟み込み事故が心配でした。役員会・理事会を中心に話し合って来ましたが、予算の心配もあり踏み出せずにいました。けれども、霊泉こども園に出来た新たな正門が、荒尾めぐみ幼稚園のイメージとも重なるもので、早速象設計集団にデザインをお願いしたのです。木をふんだんに使ったもので、温かみある門となりました。予算的にも三和建設さんにかなりご協力いただきました。

十字架の位置に悩みましたが、あえて左側に寄せて、教会との繋がりを意識しました。開き戸にしたため、門を引くスペースがいらなくなり、その分園庭が少しですが広くなり、安全性もかなり向上しました。霊泉のようにインターホンや電子錠も検討しましたが、予算的な問題と共に、教会・牧師館・園舎が同じ敷地にある中で、鍵はせずに代わりに閂と子どもが届かない場所にある簡易なロックにしました。

門につける看板は、いままでの看板を磨いていただきました。この門を通る一人ひとりに祝福がありますように。(有明海のほとり便り no.414)

negative capability

「negative capability」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。わたしがこの荒尾に来て初めて参加したキ保連の園長研修で、講師の神学者が「negative capability」を「解決出来ないことに耐える力」だと説明されたことがありました。そしてこの「negative capability」は、責任を担う皆さんにとってとても大切なものだと。どうしても変えられないもの、直せないものがある。様々な課題の中で、今すぐには解決できないものがある。幼稚園・保育園の責任者は悩む。しかし、それを受け止め耐えて生きていく。なぜなら、今は無理でも、神さまがいつか必ず解決される時が来るから。その希望を抱きつつ、いま解決出来ないことに耐えていくことが大切だと。

この話しを折に触れて思い出しています。特に難しい課題に直面した時に、このnegative capabilityを大切にしようと思っています。

けれども、このnegative capabilityが必要になるのは、園の現場に限ったことではありません。人それぞれの人生の中で、どうしても解決出来ない課題や出来事に直面することがあります。その時に、わたし達はその課題を受け止め、時を待つ力が必要です。しかし、果たして耐えることが、待つことが出来るでしょうか。正直なかなか出来ないかもしれません。無駄なことや失敗をしでかしてしまうかもしれません。でもそれでも必ず、神さまは私たちの予想をはるかに越えて、収穫の喜びの時を与えて下さるのです。その希望をイエスさまは様々な譬えによって伝えています。

わたしたちキリスト者にとって、この「negative capability」はまさにイエス・キリストが指し示す希望から来るのです。(有明海のほとり便り no.413)

目に見えない根を

5月2日、牧師園長として大先輩である、輿水正人先生が88歳で召天されました。鹿児島県阿久根市にある、阿久根伝道所の牧師として、そして阿久根めぐみこども園の園長として50年近く仕える姿に、ただただ頭が下がる思いでした。いま園は、息子の基先生が引き継いでおられます。阿久根市(現17,970人)では人口減少が著しい中で、阿久根めぐみこども園は、「おもしろいをおもしろがる」をテーマとして、とても温かい子ども主体のキリスト教保育を実践されており、8月に予定されている法人研修の講師に基先生をお招きします。阿久根めぐみこども園のHPに次のように綴られています。

目に見えない神さまを通して子ども達は感受性を伸ばします。大きな存在に守られていること、保育者からたくさんの愛情を受けること、友だちから受け入れられることで、子どもの心は安定し、どっしりと地に足の付いた育ちを見せます。優しさも育ちます。

めぐみでは年齢の違う子ども達が一緒に活動する「縦割り保育」にこだわっています。縦での年齢のつながりは、きょうだい体験につながります。発達の違いの大きな子ども達が共に生活することで「みんなちがってみんないい」と思えるようになります。これもまた、違いや多様性を受け入れる優しさにつながります。

このように、めぐみの保育のこだわりはあまり目立つものではありません。しかし、樹木が目に見えない根をしっかりと地に張るように、人間形成の土台となる乳幼児期の根っこ育てにこだわっています。

荒尾めぐみ幼稚園でも、神さまの愛の中で、しっかりと「根っこ」を育てていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.412)

しょぼくれた教会にならないために

九州教区総会が終わりました。他教区で議長をされていた方とお話をする機会があったのですが、「九州教区はとても丁寧に議論を積み重ねていて羨ましい」と言われ、その通りだと思いました。以前わたしがいた東北教区でも1泊2日でしたし、全国的にも2泊3日で行っている教区は少ないと思います。タイパ・コスパを考えたら決して有効な手段とは言い難いかもしれません。けれども、対面で3日間過ごし喧々諤々(!)議論をしていると、確かにそれぞれの顔がよく見えるようになっていくのです。一年に一度しか会えない方たちも多く、しかも自分とは違う考え方・捉え方をされている方の意見を聞く、貴重な機会ともなっています。

特に印象に残っているのは、教区財政を巡る議論です。信徒数が減少していく中で、相関して財政もかなり厳しくなってきています。特に、謝儀保障のために互助献金をどのように集めていくのか、あるいは教区全体の機構改革が求められているのです。この議論の中で、ある議員が「確かに色々な方策が必要。けれども、このままでいいのか?会員が減ったから、収入が減ったから〇〇します、という対処療法だけでいいのか?しょぼくれた教会になってしまうのではないか?もっと福音宣教のために出来ることがあるのではないか?もっと献げることが出来るのではないか?」と問いかけたのです。これを聞きながら、荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園の信仰の先達たちが、渾身の祈りと奉仕と献金を献げながらこの地で働かれたことに思い巡らしました。

小さく欠け多きわたし達ですが、「心を高く上げ」(讃18)て、神と隣人とに仕えていきましょう。(有明海のほとり便り no.411)

登山泊

GWに家族旅行へ行こうとしたら、時すでに遅く😥どこもホテルは空いておらず、残っているのは超高級ホテルのみ。半ば諦めかけていた時に、そういえばHさんは高校時代ワンダーフォーゲル部で、北海道内の山々をいくつも登ったこともあったことを思い出しました。わたしも高校時代、飯豊山や朝日岳など山形の山々によく登りました。テントを担いで登山に挑戦することに。挑戦するのは大分・九重連山にある坊ガツル。広大な草原が広がり近くには温泉もあるそうです。子どもたちにとっては生まれて初めての登山泊となります。急いで寝袋を準備して、昨日は食料品などを買いにコスモスへ。無事に帰ってくることが出来るようにお祈り下さい☺️

高校時代に登った、いわゆる百名山に入るような山々の思い出はもちろん沢山あるのですが、実はそれよりも印象に残っているのが、地元の人しか知らないような低山登山です。有名な山になればなるほど、登山道も整備されていますが、いわゆる裏山のような山には登山道と呼べるような道はありません。山毛欅潰山(ぶなつぶれやま)もそのような山の一つでした。高校3年間で5回以上登ったのですが、計画通り登れたのが半分くらいで、山頂から下山する時にコースを見失い、計画していたのと反対側に降りてきてしまうほど難しいものでした。どうしても納得がいかず、卒業前に同級生と二人で再チャレンジしたことがありました。山の中腹でテント泊して、次の日一気に山頂まで登り、下りは方角を見失わないように、時に木に登ったり(!)しながらコースを確保して、何とか無事に下山することが出来ました。自然の奥深さ・美しさを味わいました。(有明海のほとり便り no.410)

ヘミングウェイからヘッセへ

最近、Bと中学時代に読んだ本の話をすることがあります。当時、わたしもBと同じように漫画ばかり読んでいましたが、少し背伸びして読んだのはヘミングウェイの『海流の中の島々』という作品でした。ヘミングウェイと言えば『老人と海』『日はまた昇る』など、数多くの有名作品がある中で、ヘミングウェイの死後に出版されたこの本はあまり知られていません。実は高校受験の面接で、最近読んだ一冊を紹介するようにと言われ、『海流の中の島々』と答えたのですが、読書家の先生たちも、知らなかった思い出があります。『老人と海』もまさにそうですが、ヘミングウェイの小説に「海」の存在は大きく、その一端に触れることが出来る作品です。

その後、わたしが高校時代通った基督教独立学園では、漫画やテレビがありませんでした。必然的にわたしは読書にハマっていきました。その頃、何度も繰り返し読んだのがヘルマン・ヘッセによる『デミアン』でした。主人公エーミール・シンクレールの思春期による自分自身の分裂、友人デミアンとの出会いによって深まる「本当の自己」探し…。決して明るい本ではありません。しかし、人間が出会う人生の苦難には、普遍性があることを学びました。そしていま振り返って思うことは、主人公エーミールに自分自身を投影していたことに気付かされます。また、ヘミングウェイに比べるとヘッセには、キリスト教の影響が色濃く反映されているのです。(有明海のほとり便り no.409)