勇気について

毎日、アメリカ合同教会が発行しているDaily Devotionalというショートメッセージを読むようにしています。Daily Devotionalというのは、日本語で言えば「日々の黙想」になります。それがメールで届くので、ipadやスマホを使って、どこでも気軽に読むことが出来ます。

その日の聖書日課がまず引用されています。そしてその後に、短いメッセージが綴られるのですが、担当著者がおそらく10数名おられ、連続して同じ牧師が書くことはありません。毎回、聖書の読み方の視点や、メッセージが違うので、いつもワクワクしています。

4月9日の聖書日課はハガイ書でした。ハガイ書を読む機会はほとんどないので、聖句そのものが、心にとても響きました。

今こそ、ゼルバベルよ、勇気を出せと主は言われる。
大祭司ヨツァダクの子ヨシュアよ、勇気を出せ。国の民は皆、勇気を出せ、と主は言われる。働け、わたしはお前たちと共にいる…わたしの霊はお前たちの中にとどまっている。恐れてはならない。(ハガイ書2:4)

バビロン捕囚から戻ってきた民が直面したのは破壊された神殿でした。再建など到底出来ようもない現実を直面した民に、神は語りかけました。「勇気を出せ(Take courage)」と。けれども、突き放した言い方ではありません。神があなた達の中に留まっているのだから、「恐れなくていい」と言うのです。

わたし達の歩みの中で「勇気を出す」ことは、様々な恐れと直面することでもあります。けれども、この「狭い道」にも、いや「狭い道」だからこそ、神は共におられるのです。勇気を出して歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.407)

God is still speaking

Never place a period where God has placed a comma.

神さまがコンマ(休符)を置いたところに、ピリオド(終止符)を打ってはならない。

女優グレイシー・アレンが、召される直前、連れ合いの俳優ジョージ・バーンズに言い残した言葉です。アメリカ合同教会(United Church of Christ)では「God is still speaking」という言葉を大切にしています。この言葉のルーツの一つに、冒頭のグレイシーの言葉があることを最近知りました。

2025年度が始まりました。年度最初の教会役員会では、いつも新年度の宣教標語や宣教計画について話し合います。荒尾教会がこの地において、どのようにイエス・キリストの福音を分かち合っていくのか。地の塩・世の光として、イエス・キリストの確かな光をどのように灯し続けていくのか。荒尾教会は、わたし達は神さまから問われているのです。

確かにこの荒尾教会は小さく、出来ることは限られています。平日は家庭や職場でそれぞれに大切な働きがあり、動ける人間も限られています。予算も限られています。教会員一人ひとり、そして何よりも牧師の時間も限られています。

けれどもこんな荒尾教会が、2024年度一度も休まず主日礼拝を守ることが出来ました。山鹿教会と共に霊泉こども園の新園舎建築という幻の実現も出来ました。クリスマス礼拝で大好評だった有志による聖歌隊は、イースター礼拝でも挑戦します。

神さまは「こんなに小さな私たちさえもみわざのため用いられる」(讃516)のです。

人間は勝手にピリオド(終止符)を打って見切りをつけてしまいます。けれども、もしかしたらそれは、神さまからしたらコンマ(休符)に過ぎないのかもしれません。神さまは、いま生きて、話し、働いています。 (有明海のほとり便り no.406)

理事・評議員を覚えて

学校法人熊本キリスト教学園は、荒尾めぐみ幼稚園と霊泉幼稚園の二つの認定こども園を運営しています。運営主体として責任を負っているのは理事会および理事長であり、理事会を監督・助言するのが評議員会です。年2回(3月と5月)定例の理事会・評議員会とは別に、毎月理事会を開催して新園舎建築をはじめ直面する様々な課題について話し合っています。評議員には卒園生や近隣教会幼稚園関係者にも入っていただいています。評議員を担っていただいている前牧師園長の小平善行先生より、お便りをいただきました。

先日は理事会・評議員会のご案内と共に建築中の霊泉幼稚園の園舎完成のニュース、写真等をお送りいただき大変嬉しく又感銘を覚えました。内外厳しい状況の中にあって予定通り計画が進み完成致しましたことは理事長はじめ皆様の並々ならぬお祈り、幼児教育に対する使命・熱意・努力の結果であり主の祝福の賜物であると思い感謝に耐えません。今後も伝統ある幼稚園が地域に対して、又特に幼児教育面で新たな夢と輝く希望の下に良き働きをなされますようにお祈り致しております。
…急な高熱の為に病院に入院しましたが、心配しましたことにはならず四週間程治療(リハビリを含む)後、2月21日に無事退院して、リハビリは病院の指導書に従って、自宅で心して続けている日々です。今は隈府教会への出席が主でその合間に家庭礼拝も続けている次第です。お祈り頂ければ幸いです。

この手紙を読み、襟を正す思いでした。小平先生はじめ多くの先達たちが、霊泉幼稚園・荒尾めぐみ幼稚園に祈り・使命・熱意・努力を注がれたことを胸に刻みましょう。神さまの豊かな導きに心から感謝します。(有明海のほとり便り no.405)

在日大韓基督教会との宣教協約

日本キリスト教団は、1984年に在日大韓基督教会と宣教協約を結びました。先日、教区宣教協力委員会があった際に、委員皆で音読しました。宣教協約の存在はもちろん知っていましたが、その中身をじっくり読んだのは初めてで、改めてその意義を深く味わうことが出来ました。

序文には次のように記されています。

日本基督教団は、神のみまえに、在日韓国人キリスト者たちとその同胞に対する戦前、戦後にわたる罪責を告白し、今日の在日大韓基督教会との協約締結を感謝する。教団は、第2次世界大戦下にみずから戦争に協力するのみならず、在日朝鮮基督教会を、主体性を奪ったまま日本基督教会の一部分として教団に組み入れ、日本帝国主義の戦争への協力を強制した。戦後、在日韓国キリスト者たちが教団から脱退して、在日朝鮮基督教連合会を形成していったとき、教団はこれを真摯に受け止めることをせず、また 1967 年の「戦争責任告白」にもとづいて韓国3教会と協約を締結するときも、仲介の労をとられた在日大韓基督教会に対しては、謝罪の上に立った協約を結ぶこともなく今日に至っている。われわれ教団は、日本が戦前戦後を通じてアジア諸国の人々を抑圧していることを認識し、国の内外を問わず、この抑圧下にある人々とその教会への責任を覚え、在日韓国・朝鮮人問題を受け止めてそれに取り組み、在日大韓基督教会との言葉とわざによる宣教協力をその課題とすることを決意する。

この協約では、①職制と聖礼典の相互承認、②宣教協力、そして③在日韓国・朝鮮人の人権問題への取り組みが約されています。荒尾教会においてもこの協約を大切にしていきましょう。(有明海のほとり便り no.404)

東日本大震災から14年

東日本大震災から14年になります。一つの記事が目に留まりました。

「津波で犠牲の女児 20歳をイメージして描かれたパネルを展示 宮城・石巻市」と題された記事には、当時6歳(年長)だった二人の園児が津波で亡くなり、その二人の子が20歳の成人式を迎えたことをイメージして描かれた作品が紹介されていました。素敵な振袖姿に包まれた二人の女性は、何もなければ成人式を迎えることが出来たのです。描かれた園児のお母さんが次のようにコメントしています。

「大きくなった成長した姿がなかなか思い描けなかったが、画家の小林さんの力を借りて成長した娘の姿に出会うことができてうれしかった」

被災された方たちの傷が癒えるにはまだまだかかるのです。この二人の園児を含め5名の園児が、園バスに取り残され津波に流され、その後の火事により亡くなったのです。大地震が石巻を襲った際、高台にあったH幼稚園では、なぜか乗せる必要のなかった園児を園バスに乗せて山を下って沿岸部へと向かって行ったのです。一度は園バスごと小学校へ寄ったにも関わらず、さらに沿岸部を走り続け津波に流されます。運転手のみ逃げて助かったという、痛ましい事件でした。その後、遺族による裁判へと発展し、高裁での和解という形で裁判は終わりました。十分な安全・防災対策がなされていれば、この5名の命は助かったことを思う時、東日本大震災は自然災害であっただけでなく、「人災(人が起こした災害)」でもあったことを忘れてはなりません。

荒尾めぐみ幼稚園・霊泉幼稚園でも、東日本大震災のことを覚え続け、安全・防災対策を見直していきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.402)

霊泉新園舎建築感謝

無事、新園舎引渡しが終わりました。そこに集った、霊泉・三和建設・象設計集団の一人一人に安堵の笑顔が溢れたのは言うまでもありません。特に、現場監督を務めて下さったSさんが顔を真赤に感無量の思いをお話しされたのを見て、改めて心を込めて工事に当たって下さったことを感じ、感謝に絶えません。

原野牧師園長、渡辺理事、そしてわたしの3人で建築委員会を始めたのが2021年6月でした。それから80回を超える建築委員会を重ねてきました。さらに遡ると、2019年6月に小平善行牧師(元荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園)に霊泉幼稚園の園長としてピンチヒッターとして入っていただいたことから始まります。そもそも継続すら危ぶまれたその時に、小平園長はしっかりと責任を果たすだけでなく、霊泉幼稚園の灯火を消してはならないと、力強くビジョンを打ち立て、弱気になっていたわたしや理事会を鼓舞されたのです。

そのビジョンにあったトイレの改修工事、北西隣地の取得、さらには園舎建替えに至るまで、2019年春には誰一人として予想だにしていなかったことです。小平先生からバトンが渡された原野先生はじめ、関係者一人一人の懸命な働きと祈りがなければ、この6年間はありえませんでした。

まさに、神さまの不思議な御業として言いようがない「奇跡」に出会わせていただきました。この感謝から、霊泉幼稚園・山鹿教会の歩みを繋いでいきましょう。(有明海のほとり便り no.401)

選択的夫婦別姓を

霊泉の新園舎建築に際し、学法理事長として数多くの書類を作成し押印をしています。昨日も、借入れのための書類や県庁宛の書類に押印しました。いつもこの作業で違和感を覚えるのは、わたし自身の名前の表記です。

我が家は「別姓」で生活をしているので、初めてお会いする方たちの中には、混乱される方もいらっしゃいます。一日も早く「選択的夫婦別姓」制度が実現することを願いつつ、暫定的に私が戸籍では「後藤」としているので、子どもたちも「後藤」で生活しています。つまり「家族別姓」なのです。

法人の登記簿には「理事長 後藤真史(佐藤真史)」といわゆる「旧姓」を併記出来るため、普段法人の関係書類は「佐藤」で通すのですが、行政関係はまだまだ理解が浅く、「後藤真史」とだけの表記を求められることが多々あるのです。

姓を変えると、免許や銀行などの名義変更ももちろん面倒なのですが、研究者などの場合はこれまでの業績が分かりづらくなってしまいます。ましてや名前というアイデンティティに関わる根幹を揺るがすものでもあるのです。

一番問題に感じるのは、姓の選択の自由があると言いながら、実際は女性が改姓するケースが96%にも及ぶという事実です。これは「女性が結婚したら夫の姓を名乗るもの」という旧来の「家制度」(女性は男性(夫・父)のもの)から来る考え方が根強く残っているからです。世界的に見てもこのような制度が残っているのは日本くらいですし、もちろん聖書が語る福音とは逆行する考え方です。

選択的夫婦別姓制度とは、結婚時に同姓か別姓か選べるようにするものです。法制化に向けてますます進展があることを願っています。(有明海のほとり便り no.400)

トランプ2.0とキリスト教

日本キリスト教団では、2月11日を「信教の自由を守る日」としています。「紀元節」として神武天皇が即位した日を祝われていたものが、戦後廃止されたにも関わらず、「建国記念の日」として再び制定されたことに反対して、キリスト教界・宗教界が「信教の自由を守る日」としたのです。

「信教の自由」は人間が持っている根源的な権利です。戦時中、天皇を神とする国家神道によって、「信教の自由」が脅かされ、迫害され殉教していった先達たちがいたこと、けれども多くの日本人キリスト者たちは迎合していったことを、忘れてはなりません。

毎年熊本地区では2月11日に信教の自由を守る日特別講演会を行っています。今年は、関西学院大学の大宮有博教授を招き「トランプ2.0とアメリカ・キリスト教」という題で講演をいただきました。

・旧統一協会の関連団体であるUPF(NGO)やWashinton Times(日刊紙)と、トランプ政権が深く結びついている
・トランプ政権は「信教の自由」および「テロ対策」を口実に、イスラム教徒の多い中東・アフリカからの入国制限という差別的政策を行った
・フランクリン・グラハムは父ビリーより政治的であり、福音派よりも宗教右派
・中絶やトランスジェンダーを「反キリスト教」とラベリングし、一気に保守化させた
・トランプ現象は、今の社会に不満を抱いている層を、根拠のない主張で真実を曲げて、惹きつける。選挙・議会・世論といった民主主義の根幹を劣化させていく

「信教の自由」をトランプ政権は乱用し、むしろ他者の「信教の自由」を大きく侵害しているのです。常に目を覚ましていなければなりません。(有明海のほとり便り no.399)

『教会のマネジメント 明日をつくる知恵』④

いままで、この本から様々なヒントを得て来ましたが、最後の第三部は著者二人の対談となっていて、特に分かりやすい箇所となっています。

(濱野道雄)他の教会をモデルにしてマネジメントやリーダーシップのスタイルを模倣すると、やらなくてもいいことをやっているような徒労感だとか、あるいは、やらなくてはいけないことをやっていなかった、ということが生まれるケースがままある気がします。だから、何か新しいことをしなくてはいけない、変えなくてはいけないというのではなく「肩の力を抜いていい」、そして「できることがまだたくさんあるんじゃないですか」ということを伝えたいです。(p.170)

何かをモデルにして模倣していくことは、はじめ方としてとても有効な手段です。けれども、そのモデルとまったく同じようには出来ないことにも、往々にして気付かされます。その時に、諦めるのではなく、楽しく続けられるように工夫することではないでしょうか。

(濱野道雄)教会に生き生きしてほしいですね。誰かにやらされているのではなく。…イエスの物語をきちんと生き続けること。少し立ち止まり、このことを一度言葉にして整理してみる。マネジメントはこういうときのツールとして、とても役立つと思っています。…元気というのは単に声が大きくなるというようなことではありません。ああ生きていて良かった、これからも生きていこうと思えるようになったとき、初めて世界も日本も、ゆるされるならば変わり始めていくだろうという希望を持っています。(p.177)

最も根源的な「これからも生きていこう」「ゆるされている」というメッセージを、「生き続けて」いきましょう。(有明海のほとり便り no.398)

『教会のマネジメント 明日をつくる知恵』③

大きく三部構成になっています。第一部は経営学者であり教団の信徒である島田恒さんが、第二部は神学者の濱野道雄教授(西南学院大)が、そして第三部は二人の対談で構成されています。特に第二部での議論は、現在の教会が直面している課題に対して、鋭く問題提起をしています。

ミッション・ステートメントとは何でしょうか。簡単に言えば、「神が、私たちの教会に、『~を一緒にしよう』とおっしゃっていること=使命(ミッション)を言葉にして、教会の人、教会の外の人に宣言(ステートメント)したもの」となるかもしれません。…ミッション・ステートメントが有益だとすれば、それは何故でしょうか。一つには、教会も歴史が長くなり、第2、第3世代となってくると、自らの組織維持が一番の「ミッション」になりがちだからです。「世のため・世と共にある教会」ではなくなるのです。…教会は、変わり続けることによって、少し居心地が悪いくらいでいい(!)と私は思います。(pp.102-103)

荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園の場合、組織維持が一番の「ミッション」になっているとは思いませんが、常に振り返ることは大切です。神さまが、荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園に何を一緒にやろうと呼びかけておられるのか。

牧師園長という立場になり常々感じることがあります。それは、わたし自身に神さまから求められている資質として、与えられている環境に合わせていく柔軟性と共に、課題やヴィジョンを提案していくささやかな(時に大きな)勇気です。特に、何か変化がもたらされる際には、誰かしらモヤモヤを抱えやすいことに気付かされています。そのモヤモヤが大きくなりすぎないように配慮すると共に、一緒に考えていくきっかけとしたいと願っています。(有明海のほとり便り no.397)