完璧な献げものなんてない

Forget your perfect offering. There’s a crack in everything. That’s how the light gets in.(完璧な献げものなんか忘れなさい。すべてにひびがあり、そこから光が差し込むのです。)”

アメリカ・セントルイスにあるPeace合同教会のウェンディ・ブルーナー牧師により、説教前の短い祈りの言葉が胸に響きました。

私自身を振り返ると、完璧を追い求める傾向が強く、大分そこから自由になったと思ったら、またそこに戻ってくる…の繰り返しです。イエス・キリストの福音宣教についても、完璧さを追い求めがちです。そして、その「完璧さ」が自分を苦しめます。到底そんなことは出来ないのですから。

ちょうどこの言葉をYouTubeで聞いた時、自分の中で様々なことがモヤモヤしていた時でした。新型コロナウイルスの蔓延を目の前にして、様々なことが重なりました。

けれども、ウェンディ牧師が指摘するように、私たち人間に「完璧な献げもの」は不可能であり、「すべてにひび」があるのです。まさに土の器(IIコリ4:7)なのです。「完璧さ」を追い求めてしまうというのは、「すべてにひび」があることを受け入れられていない証拠であり、あたかも「自分が神になろう」としてしまうことです。

「ひび」は私たち人間の目からしたら欠点であり、弱さかもしれません。けれども、神さまはこの「ひび」にこそ光を、愛を注ぎ込む方なのです。ウェンディ牧師の祈りにはその信仰が込められています。 「(神の)力は弱さの中でこそ十分発揮される」(IIコリ12:9) (有明海のほとり便り no.156)