『教会のマネジメント 明日をつくる知恵』

「教会とマネジメント??」本のタイトルを見た時にクエスチョンマークがいくつも頭の中に浮かびました。「マネジメント」は、生き馬の目を抜くビジネス社会で使われる考えであって、一週間の間そこで傷つき疲れたわたしたちが毎週日曜日に集うこの教会とは、到底結びつくものではないと思ったからです。けれども、共著者の濱野道雄牧師(西南学院大学)の名前を見て、この本が単なる「教会ビジネス本」でなく、確かな神学に基づいていることが分かりました。同時に、園長・理事長として日々こども園の運営に責任を持つ身として、「保育マネジメント」の学びを最近集中的にしており、「マネジメント」という言葉自体へのアレルギー反応(?)は、大分収まっていたのです。読み進めていくと、マネジメントとは「組織をどうしたら大きくしていけるのか」ということだと誤解をしていたことに気付かされました。

教会も、誰もがそこで生きる意味を感じ、自分の居場所になっていくことができ、広くミッションの実現に役立っていくようなあり方を考えることがマネジメントだと思うんです。(p.163) 
社会運動をするにしてもNPOにしても、マネジメントが必要です。そうでないと、あっという間に無責任で自己満足なものになってしまうところがあります…社会的な活動をしている教会のほうが数も増えることは、社会学的調査から言えそうです。けれども、数を増やすための手段として社会的なことをやるのでは、本末転倒になってしまう。そもそもイエスは、みんなと一緒にご飯を食べて、誰も友のいない人のところに行く、という素朴なところで働きました。(p.166)

では、具体的にどのようなマネジメントが教会に求められているのか。次号に続きます😉(有明海のほとり便り no.393)

2024年の歩み

能登半島地震で幕を開けた2024年でした。死者412名にも及んだ災害の傷跡が癒えることはありません。さらに、その遅すぎる復興作業に、被災された方たちの思いはいかばかりでしょうか。「風化」や「忘却」をしてはなりません。祈りに覚え続けましょう。

同じ学法で歩んでいる霊泉幼稚園(山鹿教会)では、祈り続けてきた園舎建築が本格化しました。ちょうど1年前に、園舎建築のための補助金の内示が出て、3億円規模のプロジェクトが始まりました。困難を極めたのは入札でした。入札に最低10社集める必要があり、TSMCバブルに人手不足もあり、Y先生を中心に必死で入札に参加して下さる業者を探しました。入札が無事終わるまで、ハラハラ過ごしつつ祈りました。地元の三和建設に決まった際には大きな安堵でした。2月完工予定を目指して、三和建設も象設計集団もとても丁寧かつ着実に建築を進めて下さっています。

O教会が無牧となりました。1月より新たに代務者が与えられると伺っています。地区や県は違いますが、車で10分のところにあるお隣の大切な教会です。困難な歩みに必要な支えと守りがあることを祈りましょう。

教会に関わる一人ひとりにとっても、決して平坦なものではありませんでした。悲しみや痛みを伴う出来事もありました。社会も、教会も、園も、家庭も、そして一人ひとりも、神さまからの導きと守りがあることを祈りましょう。(有明海のほとり便り no.392)

12/22 クリスマス礼拝、24 クリスマスイヴ礼拝

クリスマス礼拝 12月22日(日)10時半より
※礼拝後、愛餐会を行います。こちらもぜひご参加下さい。プレゼント交換を行うので大人1000円・子ども500円程度のプレゼントを可能な方はご準備ください。

クリスマスイブ礼拝 12月24日(日) 18時より
※荒尾めぐみ幼稚園きりんさん(年長)・うさぎさん(年中)によるページェントがあります。

世界では戦禍にある人々が沢山おられます。このような時だからこそ、神さまの独り子イエスさまの降誕を共に喜びましょう。神さまは共にいて下さいます。

「荒尾教会の伝道」

『日本基督教団熊本坪井教会 独立五十周年記念誌』(1958年発行)の中に、信徒・宮崎貞子先生による文章「荒尾教会の伝道」が掲載されています。

…初め二年間程は集会の人数も不定で出席者は入れ代りたち代わりまことに淋しい思いをいたしましたが、その中、十五人前後のやや安定した集会を持つに至りました。1948年のクリスマスには初穂として三名の方々が受洗せられ大きな感謝と喜びが与えられました。引きつづき毎年約三名の受洗者がありまして、1949年の春には松木先生と坪井教会の御厚意により同教会荒尾伝道所として新しい出発をいたすことが出来ました。…予算七十万円をもって会堂の建築を思い立ちました。このために内外協力会より三十五万円の援助がありましたが残り三十五万円の募金は相当骨が折れました。教会員は婦人と青年のみでその上少数でありますから広く土地の人々にも援助を仰がねばなりません。或る時は数日間旧友を歴訪し或る時は婦人の会員四、五名が市議会の席に出かけて議員方に訴え、又小中学校の運動会その他の催しには売店を開きなどして全会員が祈をあつめ力を尽して、ようやく二年間に予定の額を与えられました。・・・1951年4月26日荒尾市のやや南寄り有明海を見渡す増永の小高い丘に三十二坪余の会堂献堂式と共に第二種荒尾教会設立式を挙げることが出来ました。又これと同時に附属幼稚園を開設致しました…とは申せ荒尾の伝道はまだ決して容易なことではございません。農夫が堅い堅い土を耕して種子を蒔くように、農村に特有な根強いいろいろの困難を一つ一つ克服してキリストの救の聖言の宣教に当られる牧師先生とこれを援ける教会の兄弟姉妹方のために一日も祈を忘れることは出来ないと考えて居ります。

この祈りを繋いでいきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.391)

『生きる』

詩人・谷川俊太郎さんが召されました。詩作だけでなく、『スイミー』『ピーナッツ』の翻訳など、作品の価値は計り知れません。特に詩『生きる』は、わたしの中でとても大切な詩であり、読むたびに深い慰めをいただきます。

生きているということ いま生きているということ それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること あなたと手をつなぐこと
生きているということ いま生きているということ それはミニスカート
それはプラネタリウム それはヨハン・シュトラウス それはピカソ それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ そして かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ いま生きているということ 泣けるということ 笑えるということ
怒れるということ 自由ということ
生きているということ いま生きているということ いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ いま生きているということ 鳥ははばたくということ
海はとどろくということ かたつむりははうということ
人は愛するということ あなたの手のぬくみ いのちということ

このような福音を分かち合っていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.390)

『日本基督教団熊本坪井教会 独立五十周年記念誌』

創立78周年記念礼拝にお招きした川島直道牧師より、『日本基督教団熊本坪井教会 独立五十周年記念誌』(1958年発行)をお借りしました。熊本坪井教会(現・錦ヶ丘教会)の歴史自体、日本の教会史としてとても興味深いものなのですが、やはりわたしの関心は、そこに荒尾教会がどのように記されているかに注目しました。わたしが見つけることの出来た関連記述を抜粋します。

1948年9月22日23日 青年会主催修養会於荒尾伝道所

1951年4月29日 荒尾伝道所は第二種教会に昇格し川崎嗣夫伝道師を迎え、教会設立式及び就任式が行われた。

(1953年)仝年9月ー翌年1月 荒尾教会牧野富士男(夫)牧師は、毎月一回、聖日説教の奉仕をされた 本年度も引続いて松木牧師、関西学院滞在中は戸田副牧師(5月まで)荒尾牧野牧師当教会長老により、聖日礼拝を守った。

(1954年)仝年4月11日  荒尾教会より来信(抜) 『母教会、熊本坪井教会の祈りと物心両面にわたる援助を心から感謝します。(中略) 私共はここに無より有を創り給うた全能の父なる神への信頼の決断と、私共の悔い改めと献身により過去数年にわたりました貴教会よりの財的援助のみを辞退申し上げる決意をしました。…』

(1956年)仝年8月28日ー30日 夏期修養会 於阿蘇赤水YMCAキャンプ 主催 坪井、荒尾、羽犬塚、三教会連合 主題 「信仰告白」 講師 田中従夫、牧野富士男(夫)、西豊

(1957年)仝年8月21日ー23日 記念夏期合同修養会 主催 坪井、荒尾、羽犬塚、三教会 主題 「正しい教会の在り方を求めて」 指導、田中従夫、西豊、浜辺達男。出席、坪井26名、荒尾12名、羽犬塚6名

「荒尾伝道所」として始まった荒尾教会にとって、熊本坪井教会は「母教会」であったことを、改めて教えられました。当時の荒尾教会牧師・牧野先生が言われているように、神が「無より有を」創られたこの恵みに感謝しましょう。(有明海のほとり便り no.389)

doing ではなくbeing

金曜日にらっこ組(0歳児)のクラス参観を行いました。現在5名の子どもたちが通っていますので、参加した保護者の数も多くなく、とても落ち着いて行うことが出来ました。そして保護者懇談会では、我が子のストレングス(素敵なところ)を出し合うワークを行いました。すると、あるお父さんが「存在がかわいい」と言われた言葉が、とても心にしみました。

まったくその通りなのです。らっこ組の5人の子どもたち一人ひとりが、そこにいるだけで、たまらなく愛おしくなります。らっこ組の子どもたちだけではありません。めぐみ幼稚園に通う子どもたち一人ひとりに、わたしだけでなく教職員皆が愛おしさを感じています。何をするにしても、無性に愛おしさを感じるのですから、「doing(何かを出来る・出来ない)」とはまた別の次元で感じていることが分かります。むしろ「being(存在・あること)」です。荒尾めぐみ幼稚園が本当に大切にしたいことも、この「being」に尽きます。「生まれてきてくれてありがとう」「今日も会えて嬉しい」。この温かい思い・祝福が、園生活においても満ち溢れるものであってほしいと願っています。なぜなら、先週の川島教師の子どもメッセージにもあったように、神さまは一人ひとりを素晴らしい作品として、かけがえのない命として祝福されているからです。わたし達人間が抱く愛情はとても不確かなものですが、神さまの愛は永遠に揺らぐことがありません。この「神の愛の土台」に立ち続けていきたいと願っています。けれども、日本のキリスト教園を含む保育業界では不適切保育が尽きません。この課題について、キ保連の園長研修で学んだことをいま先生たちと分かち合っています。(有明海のほとり便り no.388)

創立78周年を迎えて

よくこんなに小さな地方教会が、今日まで続けることが出来ていることに驚かされています。まさに神さまの不思議な御業としか言いようがありません。

1974年に小平善行牧師園長が着任するまでは、5名の牧師が赴任しましたが、それぞれ3年~5年と短い在任期間でした。それぞれに理由があり、単に教会・幼稚園だけが原因ではなかったであろうと推察しますが、それでも、苦しい日々であったであろうと想像します。礼拝出席者数(年平均)は、最も多かった1955年は26名ですが、無牧師となった1965年は7名だったと記されています。

無牧師で7名…。まさに消えようとする灯火の中で、「祈り・支え合う」という奇跡が起こりました。平島ふさ子さんが次のように振り返っています。

数少ない信徒で礼拝を守る時、育ってきていた中学生、高校生が、聖日礼拝に出席し、求道し共に祈り、信徒の励みになってくれました。無牧の時も幼稚園は続けられました。運動会や夏のお泊り保育の手伝いはじめ、園庭の草刈りや、会堂の掃除は、中学生、高校生が進んでやってくれました。荒尾教会に集う一人一人が、心をひとつにして教会を守りました。その大きな支えとなり導いて下さったのが田中従夫先生でした。

無牧師の期間、代務者となって支えて下さったのが熊本坪井教会(現・錦ヶ丘教会)の田中従夫牧師だったのです。そもそも荒尾教会草創期を支えてくださったのは坪井教会の松木治三郎牧師であり、荒尾教会の歴史を振り返る時に、坪井教会の支えをなしに語ることは出来ません。

創立78周年を迎えるにあたって、この歴史を振り返り、これからの使命を新たにし、「いま」を紡ぎ出していくために、本日は錦ヶ丘教会より川島直道牧師をお招きすることが出来ました。この出会いに心から感謝いたします。(有明海のほとり便り no.387)

岩高澄牧師園長を覚えて

11月5日(火)に岩高澄先生(6代目牧師・1971~1974年)が89歳で召天されたことを、小平善行先生よりご連絡いただきました。東梅田教会の東島牧師からも連絡をいただき、8日(金)に行われた葬儀に日帰りで出席してきました。

岩高先生は3年前の創立75周年記念礼拝にお招きしました。岩高先生は荒尾教会を辞されてからは、郵便局長となられ、東梅田教会をはじめ様々な教会を支えられました。農村伝道神学校の大先輩である岩高先生は、小さな地方教会での働きを志とし、四国の須崎教会や、この荒尾教会で牧会されました。農村伝道神学校も後援会長として後援献金を広く呼びかけて下さいました。いま農村伝道神学校の収入の大きな柱となっているのも、岩高先生のお陰だと聞いています。また、平和問題にも携われ、「大江健三郎・岩波書店沖縄裁判支援連絡会」の代表世話人をされたり、保護司の働きも担われました。大阪教区の各集会などにも、この春まで積極的に参加されておられたそうです。

荒尾教会での在任期間は3年間という短い期間でしたが、いまに繋がる大きな礎を築いて下さいました。多くの方たちが集まった葬儀の後に、二人の娘さんたちに、荒尾教会から来たことをお伝えすると、とても喜んでくださり「わたしも荒尾にいたんですよ」とお姉様が答えてくださいました。

創立78周年記念礼拝を迎えるにあたり、岩高先生の生涯を改めて振り返り、神さまがこの荒尾に岩高先生を遣わして下さったその恵みを覚えましょう。

生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。(ガラ2:20、岩高先生愛唱聖句)

(有明海のほとり便り no.386)

一呼吸もみな神さまのお恵み

召天者記念礼拝を迎えるごとに、キリスト教の死生観について思い巡らします。

「死生観」とは、生きることと死ぬことに対する考え方を指します。まずこの語意から分かることは、「生きる」と「死ぬ」は、切っても切り離すことが出来ないということです。わたし達、命あるものはすべて「いつか死ぬ」のです。「永遠に生きる」ということはありません。

命の有限性は、確かにわたし達に悲しみをもたらします。けれども、与えられている「いまを精一杯に生きる」ことをわたし達に与えるものでもあります。

神は創造のとき、「土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」(創2:7)とあります。つまり、人間のこの命は、他でもない神によって与えられたのです。ここに、キリスト教死生観の根っこがあります。この命は、人間ではなく神によって生み出されているのです。「息」はヘブライ語で「ルーアッハ」で、「霊」という意味もあります。単に、肉体的な「命」だけではありません。人間にとって欠けることの出来ない「心」そして「魂」を持った、完き(holistic)命を神は与えたのです。詩人・河野進は同じ日本キリスト教団の牧師でもありましたが、「一呼吸」という一遍の詩を遺しています。

どのような苦しみや  悲しみを吸うても
吐く息は  感謝と希望でありますように
一呼吸(ひとこきゅう)もみな
天の父さまのお恵みですから 

わたし達が一日に2万回以上もすると言われるこの一呼吸も、私たち一人ひとりを造られた神の息(ルーアッハ)であることを、日々感謝し、いまを精一杯生きていきましょう。(有明海のほとり便り no.385)