黙示的想像力

敬愛する友人・有住航牧師(下落合教会)による「黙示的想像力を取り戻すーパンデミック資本主義と対峙する解放の神学」という小論が『福音と世界』10月号に掲載されました。航さんとは学生YMCAなどの繋がりで10数年前に出会い、いつも多くの刺激をもらっています。論文の内容は決して易しくはありません。けれども、非常に重要な指摘がなされています。

新型コロナウイルス感染のパンデミック(世界的大流行)の中で、「ウイルスとの戦争」「非常事態」「自粛」「世界の終わり」といった言葉によって、私たちはいつの間にか「『世界を終わらせない』ための惜しみない協力と奉仕を提供させられつづけて」います。そして「神とウイルスの戦争」を強調する神学的・黙示的言説も叫ばれています。

けれども、ヨハネ黙示録に描かれる「黙示」とは、「世界の終わり」を意味するものではありません。

ほんらい隠されていたものが思いがけないおどろくべきかたちで「暴露」され「発覚」することを指し示す躍動的概念である。

…このパンデミックによって明らかにされていることは、医療・福祉にかかる予算を削減・縮小してきた医療制度「改革」が招いた医療崩壊の事態であり、人々のいのちよりも経済を優先する国家=資本の無制限な欲望であり、この「危機」に乗じて人びとの管理を強めようとする統治権力の目論見である。…「黙示」とは「暗黙のうちに示される」静的なお告げではなく、これまで黙らされてきた人びとがこの世界の現実を見抜き暴露することであり、「旧い世」を終わらせ「新しい世」を到来させる躍動的な希望そのものである。黙らされている現実のただなかにこそ、沈黙を打ち破る黙示のことばが生み出されてゆく。

(有明海のほとり便り no.181)