かかわらなければ

受難節(レント)を過ごす中で、国立療養施設大島青松園で人生の多くを過ごした、キリスト者塔和子(詩人)による『胸の泉に』を通し、隣人そしてイエス・キリストとのかかわりに思いを馳せたい。

かかわらなければ
この愛しさを知るすべはなかった   この親しさは湧かなかった
この大らかな依存の安らいは得られなかった
この甘い思いや  きびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
子は親とかかわり  親は子とかかわることによって
恋も友情も   かかわることから始まって
かかわったが故に起こる  幸や不幸を
積み重ねて大きくなり  くり返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り 思いをふくらませ
生を綴る
ああ  何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
私の胸の泉に 枯れ葉いちまいも 落としてはくれない  

(有明海のほとり便り no.199)

C・D・Fキリスト者として

受難節(レント)に入りました。この時にもう一度それぞれの信仰を振り返り、歩んでいきたいと願っています。

アメリカ元大統領の一人にジョージ・W・ブッシュがいます。2001年9月11日に同時多発テロがアメリカで起こりますが、その際の大統領がこのブッシュでした。テロへの報復を始めていった政治家です。私がアメリカに留学していた際の大統領でもあり、政治家としては、かなり問題を感じています。

このブッシュ元大統領はイェール大学やハーバード大学を卒業していますが、決して成績は優秀ではなく、むしろ平均ぎりぎりかちょっと悪いくらいでした。数年前イェール大学の卒業式に招かれ面白いスピーチをしました。

様々な表彰状をもらい首席で卒業する
みんなにはこう言いたい。
よくやった、と。

Cしか取れなかったみんなには
こう言いたい。
あなたもアメリカ大統領になれる、と。

あるアメリカの牧師がこのスピーチを引用しつつ、こんなことを言っていました。「決して信仰深く敬虔に歩むことが出来ない私のようなC・D・Fキリスト者仲間たちにこう言いたい。あなたも生ける神の子だと。」

表面上は取り繕っているかもしれませんが、私たちの内なる心のどうしようもない動きを、神さまはよくご存知です。私は「牧師」ですが、一体全体こんなんでいいのだろうかと思うことが多々あります。

けれども勘違いしてはならないのは、私たちではなく、神さまが一方的に私たち一人一人を愛し、救って下さっているのです。そこには合格や不合格もありません。A(優)もF(落第)もないのです。

その圧倒的な恵みの中で一歩ずつ歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.198)

信教の自由を守る日

1873年から1948年まで、2月11日は「紀元節」と呼ばれ、初代天皇とされる神武天皇が即位した記念日でした。学校では、日の丸掲揚、君が代斉唱、「御真影(天皇の写真)」の前での「教育勅語」、「皇室のありがたさ」等が説かれました。1966年、旧「紀元節」復古を願った政府によって今度は「建国記念の日」と再び制定されます。そのような中で、キリスト諸教会は抗議の意味をこめて、「信教の自由を守る日」としているのです。

いま子ども達が通う小学校では、当たり前のように「日の丸・君が代」が使われ、道徳も教科化されています。「イエス・キリストの神が私たちにとってただ一人の神」ですから、天皇は私たちにとって神ではありません

そして日本学術会議が推薦した会員候補6名を菅首相が任命拒否するということが起こりました。このようなことが続くと何が起こるでしょうか?学者たちは、政治家の顔色を見て発言を余儀なくされていきます。学問の自由が明らかに損なわれていく時、戦前とまったく同じ道程を進むでしょう

ナチス・ドイツに迫害されたマルティン・ニーメラー牧師の詩を噛み締めましょう。

ナチスが共産主義者を攻撃し始めたとき、私は声をあげなかった。
なぜなら私は共産主義者ではなかったから。

次に社会民主主義者が投獄されたとき、私はやはり抗議しなかった。
なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。

労働組合員たちが攻撃されたときも、私は沈黙していた。
だって労働組合員ではなかったから。

そして彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる人は一人もいなかった。

(有明海のほとり便り no.197)

資本主義というバベルの塔

「資本主義」によって日本含むほとんどの世界経済社会が成り立っていることは、みなさんもよくご存知のことではないでしょうか。では、「資本主義」とは一体何なのか、そして一体何が問題なのでしょうか?

マルクスの『資本論』を「解説」している本を少しずつ読んでいます。私自身まったく分かっていなかったのですが、『資本論』は共産主義ではなく、資本主義を論じているのです。1886年に出版された『資本論』に関する本が毎年のように出されることからも、その影響が大きいことをうかがい知れます。しかも、どうもその分析や批判が、かなり的を得たものであることが分かってきました。

マルクスの指摘によると、資本主義は止まることの知らない飛行機のようなものです(多分…)。ひたすら世界中を飛び回り、飛行距離(利益や富)をどんどんと伸ばしていきます。そのためにもちろん燃料(天然資源や人間の労働力)を消費していきます。空中給油しながら飛んでいるため、いつまで経っても着陸しません。こんな飛び方をしていたら、最後はどのようになるでしょうか?

この地球が有限であること、そして私たち人間自身が神さまに創られた有限(限界が有る)存在であることは言うまでもありません。気候変動や富の格差拡大に見られるように、もうこの地球は限界に突入しつつあるのです。無限に飛び続けようとする飛行機は墜落しつつあるのです。

貪ること、神以外のものである富を崇拝することを、神さまは十戒を通して禁じられました。にも関わらず私たち人間は、有限な被造物であることを忘れ、あたかも無限な存在(神)であるかのように資本主義という大きなバベルの塔を作り上げてしまっているのではないでしょうか。(有明海のほとり便り no.196)