地方教会として

今年度も教区総会は書面決議となりました。新型コロナウイルスによって、年に1回顔を合わせることを楽しみにしていた友人たちと長く会えなくなり、どこか疲れを感じているのは私だけではなさそうです。

総会資料に目を通していると、日下部遣志教師による議長挨拶に心打たれました。日下部教師は田川教会に8年、そして今の川内教会で16年目となります。この春、2番目の娘さんが関西の大学へと進学されました。教区のソフトボール大会などで会う度に、うちの子どもたちといつも一緒に遊んでくれる、とても素敵な娘さんです。

2番目の娘は、高校3年間、子どもや幼稚園保護者を誘って教会学校を盛り上げ、礼拝後は玄関に立って、帰って行く教会員に手を振って最後の一人まで見送りました。若者の新しい出発は喜びではありますが、教会にとっては涙、涙。寂しい思いで一杯です。地方の教会はそのようにしてようやく信仰に導かれた大切な若い信徒を送り出し続けてきたのです。

日本社会における<地方の縮図>が、地方教会にもあります。地方教会は「苗床教会」として、地元の若者たちを都市部の教会へ送り出してきた、という面があるのです。けれども、それすらも難しくなってきた現実もあります。荒尾教会はどうでしょうか。

それぞれの教会で精一杯歩みつつ、荒尾教会にとっての山鹿教会のように、他教会とも繋がっていくことで気付かされることが一杯あります。地区・教区・教団の繋がりを祈り深めていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.207)

よきリードの力をお与えください

『信徒の友5月号』が届きました。パラパラとめくっていると、その最後の方に、教団出版局からの新刊紹介が出ています。何気なく見ていると、『礼拝と音楽』『教師の友』の紹介が並んでおり、両方に「小さく」自分の名前が!たまたま私が寄稿した両誌のタイミングが重なったのです。おそらくわたしの人生で、もう二度とないでしょう(^_-)

特に5月号はペンテコステを覚えて、聖霊の導きの中で歩まれている信徒の証しが沢山掲載されており、胸に響くものばかりでした。どうぞお手にとって読んでいただきたいと願っています。

その証しの一つに、Nさん(宮崎教会員・オルガニスト)のものがありました。Nさんのお父さまは奄美にある喜界教会を長く牧会された故・M牧師です。Nさんは就職で東京に出られてから1年間、教会を離れていた時期もあったそうです。再び教会に行くようになりますが、奏楽奉仕は断られていました。けれども、お連れ合いの転勤で鹿児島に引っ越したとき、当時鹿児島教会を牧会されていた布田秀治牧師(仙台・いずみ愛泉教会)と出会い、パイプオルガンの奏楽者としてレッスンを受けるうちに、どんどんその魅力にはまっていったのです。いまは、再びの転勤で宮崎へ行った際に出会った宮崎教会で、奏楽者として奉仕されています。

奏楽者としていつも心がけて
礼拝前に祈る言葉があります。
「会衆一同が高らかに賛美できるよう、
よきリードの力をお与えください」。
布田牧師がいつもお祈りしてくださった
言葉を思い出して祈るのです。(p.61) 

奏楽者の奉仕は、ついつい当たり前のようにされてしまい、忘れられてしまいがちです。けれども私たちの賛美そして礼拝を豊かにするかけがえのない奉仕であることを覚え、祈っていきましょう。(有明海のほとり便り no.206)

天の「父なる」神さまとは

めぐみ幼稚園のお祈りは、礼拝の時も、食事やおやつの時も、いつも「天の父なる神さま」という呼びかけで始まります。子どもたちのまっすぐな呼びかけに神さまは喜んで下さっているはずです。

けれども実は、教会ではあまり使われなくなって呼びかけであることも事実です。私自身、牧師として「父なる神さま」と呼びかけることは、主の祈りなどを除いてほぼありません。

キリスト教会では長く神を「父」あるいは男性名詞で表現してきました。けれども、その歴史を振り返る時に、「もし神が男性なら、男性が神に」なってしまい、男性中心主義の教会を形成してきました。女性が一人の人間として尊重されるのではなく、あくまで従属的な存在として扱われてきました。例えば、日本の教会では多くの場合女性信徒の方が割合として多いにも関わらず、牧師は圧倒的に男性が多く、女性牧師が十分に賜物を発揮できる環境が整っていません。

神は人間が持つ「男性」「女性」という狭い性概念に縛られずもっと広く深い存在であることを聖書は語っています。そういう意味では、神は「父」でも「母」でもあるのです。

4年間ずっと考えてきたのですが、「天の父なる神さま」から「いのちの神さま」に変更することを、先日の職員会議で提案しました。すべての<いのち>を創られ祝福される神さまに、子どもたちが呼びかける言葉として相応しいのではと思ったからです。すると、先生たちはあっさり(?)「いいと思います!」と賛成してくれました。

ぜひ皆さんも、「父なる神さま」や「いのちの神さま」だけでなく、多様な(カラフルな)呼びかけをしてみてはいかがでしょうか。(有明海のほとり便り no.205)

『ただ信じること』ソラ フィデェ

1946年、当時荒尾高校の英語教師だった、宮崎貞子先生がご自宅(いまの宮崎兄弟資料館)を開放して家庭集会を始めたことから、荒尾教会が始まったと伺っています。けれども、貞子先生ご自身は牧師ではなかったので、牧師を招いての集会も企画していきます。1946年11月に、錦ヶ丘教会から松木治三郎先生を招いて、特別礼拝を持ちました。そこから毎月のように松木先生が足を運んで、貞子先生を助けてくださったのです。ですので、この特別礼拝を守った1946年11月13日が、荒尾教会の創立記念日になりました。

その松木治三郎先生が遺されたイースター礼拝の説教原稿で次のように言っています。

いま、ここでイエスと共にあるということは、
いのちのある間だけではない。
すべてが、人間のすべてが終わった、
現実の死の墓場に立っても、
なお一つだけすることが残っているということである。
それはほかでもない、
「ただ信じること」、ソラ フィデェ。

この箇所を読んで、気付かされました。75年前、この荒尾の地で、荒尾教会を立ち上げていく中で、松木先生が熊本市内から通って伝えようとしたこと。それがこの「『ただ信じること』ソラ フィデェ。」という一言にギュッと詰まっていると。貞子先生もそう信じていたはずです。

「ソラ フィデェ」とは、ラテン語で、英語に訳せば「by faith alone」になります。500年前宗教改革を起こしたルターが最も大切にした言葉でした。

私たちも、どんな時も諦めないで歩んでいきましょう。「人間のすべてが終わった、現実の死の墓場に立っても」、イエス・キリストの復活を「ただ信じつつ」。(有明海のほとり便り no.204)