「牧師」にとっては、とてもショッキングなタイトルの本が出版されました。しかも、この本の著者は同じ日本キリスト教団の沼田和也牧師です。
恐る恐る本を開くと、沼田先生の経験が自分のものとオーバーラップし、これは買わねばと思ったのです。沼田先生は関西学院大神学部を卒業後、少子化が進む地方にある小教会の牧師と、「それなりに大きな幼稚園の理事長兼園長」(p.12)を担っておられました。
しかしとくにここ数年、幼稚園教育は専門性を増していき…もはや素人の手に負えるものではなくなってきていた。…我が園も来るべき経営難に備えて、県や市からの援助も潤沢な幼保連携型認定こども園への変更準備を進めていたのである。ところがそのための膨大な書類や職場管理の厳密さは、それこそしょせん保育の素人に過ぎないわたしの手に余った。(p.12-13)
その重責の中で、「自分は牧師なんだろうか?むしろ幼稚園職員ではないのか?」(p.130)と迷いながら、沼田先生は常に緊張した日々を過ごし、笑顔も失っていきます。ある日、一気に爆発してしまい園を飛び出します。
逡巡した後に、お連れ合いからの支えもあり、精神科の主治医に相談すると、閉鎖病棟に入院することになります。教会と幼稚園は辞されました。特に私に響いたのは、一人の牧師として自分自身を振り返る姿でした。
牧師として、悩んだり苦しんだりしている人をケアしたり指導したりしているとこれまで思ってきたが、それは神の前で思い上がることであった。わたしもまた、弱い一人の人間に過ぎなかった。(p.204)
牧師園長として「相応しい振る舞い」があり、自分なりに努めてはいるつもりですが、神の前で思い上がっているのではないか、重荷を重荷として分かち合い、弱い一人の人間として歩めているか、振り返る機会となりました。(有明海のほとり便り no.228)