ズッコケ三人組

私が生まれた当時住んでいたのは埼玉県坂戸市にある団地でした。そこから、小学2年生に上がる時に、母方の祖母たちと同居するために東京の東村山に引っ越してきたのです。東村山に移ってよかったのは、市立図書館がとても身近にあり、自転車で通える範囲にいくつもあったことです。

小学5年生の頃でしょうか、読書にハマり、夏休みや土曜日の朝に図書館に行っては3冊借りて、一日の間に読んで夕方に返しに行ったこともありました。ハマった本の一つが「ズッコケ三人組」シリーズです。ハチベエ・ハカセ・モーちゃんと呼ばれる3人が様々なハプニングを乗り越えていくストーリーに引きつけられました。よく通う図書館の「ズッコケ」コーナーに行っては、新たな本が入っていないか、読んでいない本が返却されていないか探すのが常でした。

この3人が、性格や興味・関心、学校の成績や体格、さらには家庭環境においてもてんでバラバラなのが面白く、人間の持つ多様性や柔軟性そして友情に出会ったのも「ズッコケ」シリーズでした。

先月、作者の那須正幹さんが74歳で召されたことを知って、そのことを思い出したのです。記事を読むと、那須さんは広島市で生まれ、3歳のときに爆心地から約3キロのところで被爆されたそうです。同級生の多くは被爆して親を亡くしていました。ズッコケ三人組のモーちゃんは、離婚による母子家庭で元気に育っているという設定でしたが、背景には那須さんの幼少時の出会いがあったのかもしれません。

那須さんは精力的に書き続けた作家でしたが、『絵で読む広島の原爆』や『ねんどの神さま』など、平和をテーマにした作品もあることを知りました。早速、読みたいと願っています。(有明海のほとり便り no.225)

岩高牧師時代(1971-1973年度)

岩高澄(きよし)牧師より、「原稿・文書」と書かれたレターパックが届きました。いま岩高先生はこれまでの人生を振り返る文章を綴っておられ、荒尾時代部分の原稿を送って下さったのです。早速読ませていただき、荒尾教会牧師・荒尾めぐみ幼稚園園長として深く共感するとともに、それ以上に、一人の牧会者として奮闘される姿に、励まされました。

岩高先生の初任地は越生(おごせ)教会(埼玉)、そして須崎教会(高知)と、それぞれに附属幼稚園があるため関わってこられましたが、園長となるのは荒尾が初めてだったそうです。

「荒尾教会での三年間は、まさに幼稚園に明け暮れておりました。一つにはそれが荒尾教会の存亡に係わることでしたが、施設の改善というだけのことではなく、教育そのものが根本から問い直される時期でもあったのです」

原稿には岩高先生が過ごした3年間をイキイキと綴られています。

園バス運転手が不在で一人で運転を引き受けた苦労、荒尾市私立幼稚園連合会での問題提起、発達障がいと共に歩む子どもたちとの出会い、保護者との繋がりや支え合い、「三段の土地」が職業訓練校の実習地にしてもらい均してもらったこと、長く出席していなかった教会員が復帰して下さったこと、教会学校の夏季キャンプを阿蘇YMCAで行ったこと、礼拝堂に附属した6畳間と広い廊下が牧師館だったのを、教会員みなで献金を募り牧師館を建築したこと。

荒尾教会で歴史を振り返る時、直接的な出会いが深い小平牧師や星牧師時代の話しがついつい多くなります。けれども、岩高牧師の働きや信仰の先達たちの働きも、いまの荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園の根っこに確かに流れていることを、神さまに感謝したいと願っています。(有明海のほとり便り no.224)

車中で語る神さまの創造

K:(有明海を見ながら)「ねえねえパパ。宇宙と地球はどっちが大きいの?」

M:「宇宙だよ。宇宙の中に、地球があって、月もあって、太陽もあるんだよ。」

K:「宇宙や地球は神さまが創ったんでしょ?

M:「そうだよ、神さまが創ったんだよ。」

B:「神さまはどんなふうに宇宙を創ったの?最初はどうだったの?」

M:「うーん。それは人間にはまだまだ分からないんだ。宇宙の最初はビッグバンだったみたいだけど…。」

「私たち人間に分かっていることは、本当にわずかなんだ。ほら、あそこのお庭に木が一本植わっているでしょう。あの木一本にしたって、人間にはまだまだ分からないことが詰まっているんだよ。さらに木が集まって、あそこの四ツ山みたいになったら何になるんだっけ?」

K:「…何だっけ?」

M:「森になるよね」

B:「パパ、木が集まったらまず林になるんだよ。それから森の順番だよ!」

M:「確かにそうだけど(^_^;)…林に木が増えたら森になるよね。最近の研究で分かったんだけれど、森の木は木同士でお話ししているんだって。根っこから目には見えない物質(菌根)を出して、『助けて』とかを伝えているんだって。(神さまって)すごいねぇ。」

K&B:「へぇ、それはすごいね~」

科学者ニュートンは、自分は未知の大海原を前にして海岸で遊んでいる子どもに過ぎないと言いました。科学は神の創造の不思議・美しさを味わう学問であり、そして、私たち人間が神ではないという、当たり前だけれども肝心なことを伝えているのです。(有明海のほとり便り no.223)

「正しい戦争」はない

江藤直純著『ルターの心を生きる』を(ようやく?)読み終えました。実は、一ヶ月前に著者の江藤先生からメールを頂きました。先生が本について検索したところ、荒尾教会のHPに繋がり、私を見つけて嬉しかったと。すぐにでも返信したかったのですが、読み終わっていないのに、しかも適当なことを書くわけにもいかない(!)と、より丁寧に読みました。

「アウグスブルグ信仰告白」を聞いたことがあるでしょうか。私自身、神学校の歴史神学で(ちらっと;)学んだ程度でしたが、今回この信仰告白が「ルーテル教会にとっては重要」(p.322)であることを学びました。ルターを思想的に支えたメランヒトンがアウグスブルグで起草したものです。

信仰告白第16条「国の秩序とこの世の支配について」には「キリスト者は、政府、諸侯、裁判官の地位に罪を犯すことなく就くことができ、判断や判決を下し、悪人を剣によって罰し、正しい戦争を行い…」とあります。この「正しい戦争」を巡って、次のよう綴られていました。

「ルター研究所訳の『アウグスブルグ信仰告白』に収められている鈴木浩先生の解説の中で、中世以来厳密な規定の下に神学的に肯定されてきた『正しい戦争』は、核兵器をはじめとする大量兵器の出現と、戦闘員と非戦闘員とを区別しない戦略の変化により、ポスト・ヒロシマ/ナガサキの現代ではもはや支持され得ない」(p.353)。

そうです!どの戦争も常に「正しい」ものとして、「国を守るため」として始められていきますが、その結果傷つくのは誰でしょうか? 76年前の広島・長崎で、日本各地で、そしてアジア・太平洋で殺された<いのち>を思う時、「正しい戦争」など存在しません。非暴力を貫かれたイエスによる「神の平和」を祈り作り出していきましょう。(有明海のほとり便り no.222)

ルターの負の遺産

引き続き江藤直純著『ルターの心を生きる』を読み進めています。

大きなインパクトを残したマルティン・ルターですが、神格化することは避けなければなりません。特にこの8月にルターの負の遺産として受け止めなければならないのは、「ユダヤ人との関わり」です。

反ユダヤ主義の歴史は古く紀元前のヘレニズム・ローマ時代まで遡ります。そこに「キリスト教以後の反ユダヤ主義は合流し、それはキリスト教世界となった中世でもさらに強まりながら続き、中世末期のルターたちもその中で生きた」(p.219)。「ユダヤ人は『キリスト殺し』の責めを負わされ、やがてヨーロッパというキリスト教が圧倒的多数を占める社会の中で、キリスト教に改修せず…排除され、さまざまな差別と偏見、ときに迫害を受けていきます」(p.220)。

しかし初期のルターは「抜きん出てユダヤ人に好意的」(p.221)でした。「イエス・キリストはユダヤ人として生まれた」というタイトルの小冊子を発行し、「彼らは実際には我々よりもキリストに近い」とまで言っています。

けれども晩年のルターは厳しい口調で「シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)や学校を焼き払い」、「住宅を破壊し」、「祈祷書やタルムードを没収し」、青年たちに労働を強いることを言ってしまいました。「幸いというべきでしょうが、この勧告は実践に移されることはほぼありませんでした」(p.225)。けれども、近代に入りナチス・ドイツによって、600万人を超えるユダヤ人虐殺の根拠に、このルターの言葉が使われてしまったのです。

ドイツの教会はこの歴史を深く反省し、「ホロコーストへの「共同責任と罪責」の告白…ユダヤ人が今も「神の民」として選ばれており…キリスト教への改宗を求めての電動は不必要」(p.232)と宣言しつつ歩まれています。(有明海のほとり便り no.221)