中田善秋と宣撫工作

終戦=「敗戦」から77年を迎えます。

『BC級戦犯にされたキリスト者―中田善秋と宣撫工作―』(小塩海平著)を読み衝撃を受けました。「宣撫工作」とは「被占領地住民が敵対せず協力するよう住民を懐柔する行為」(p.2)です。キリスト教会は、「福音宣教」の名の下で植民地政策に協力し「改宗」させ、そのためには暴力も辞さなかった歴史があります。日本のキリスト教会においても、日本の植民地政策に積極的な協力をしてしまった歴史があります。

その一つが、1941年26名のキリスト者たちが「宣撫工作班」としてフィリピンに派遣されたという事実です。その中に、当時まだ神学生で英語が堪能であった中田善秋(旧・日本基督教会)がいました。計画は1年でしたが中田だけは「日比両国のかけ橋になりたい」(p.46)と願い、残りました。けれども、戦局が泥沼化していく中で、日本軍は「一般住民の虐殺を行うようになっていった」(p.47)のです。1945年2月24日「サンパブロ事件」が起きます。日本軍はサンパブロ教会に集めた中国人500余名、フィリピン人80余名を教会裏で殺害しました。中田は計画時から反対しますが強行される中で、教会からフィリピン人10余名と華僑協会の元会長を助け出しました。

けれども戦後、この事件に関するBC級戦犯として重労働30年の刑が言い渡されました。直接的な指導者たちが偽り自己保身に努め刑を逃れる中で、中田は日本が犯した罪を正面から受け止めていったのです。10年後、中田は釈放されますが、教会に戻ることはありませんでした。

私は、あの中華系の住民たちが殺されることを確かに肯定を心の中でしていたと、はっきり認めざるを得なかったのだ。私はうなづいていたのだった。その意味において、確かに「有罪」と云われても仕方がない。(p.86) 

わたし達は、このような歴史を繰り返してはなりません。(有明海のほとり便り no.273)