『迷える社会と迷えるわたし』②

4月に紹介した精神科医・香山リカさんの著書です。特に後半に掲載されている賀来周一牧師(1931-)との対談が非常に興味深いものでした。賀来牧師は日本福音ルーテル教会の牧師であり、長くキリスト教カウンセリンセンターの働きにも従事され、日本におけるキリスト教カウンセリングの第一人者です。香山さんの鋭い質問に対し、賀来牧師が答えていきます。

教会の働きは大きく伝道と牧会に分けられます。大まかに言えば、伝道とは教会が社会に向かって呼びかける働きと言えるでしょうし、牧会とは社会が教会に求めることに応じる働きと言えます。(p.116)

宗教でしか解決できないような問題、例えば先ほど申し上げた死の問題、それに不条理の問題ですね。「あなたはもう大丈夫。自分のことは自分で主体的に責任が取れます」では済まされない世界が広がっていて、信仰の世界が必要となる。(p.120)

考えてわかる、目で見て実証する知の世界では答えがない問題に人はぶつかることがあるのです。それこそ「スピリチュアルペイン(痛み)」の問題でWHOが取り扱うべき問題の中に加えています。(p.145)

私はよく神学生に、牧師になったら絶望と徒労に慣れなさいと言うことがあります。生身の人間としてはそのようなところに身を置くことがしばしばあるからです。 (p.166) 

印象的だったのは、キリスト教カウンセリングはあくまでキリスト教の人間観・世界観に立った上でのカウンセリングであり、信仰を求めるものではないという点です。つまり、賀来牧師の分類で言えば、社会が教会に求めることに応じる牧会の働きだということです。そして、キリスト教保育も牧会の働きの一つなのだと気付かされました。(有明海のほとり便り no.370)