荒井献(ささぐ)先生を覚えて

新約聖書学者・荒井献先生が94歳で召天されたと知り言葉を失いました。とても著名な新約学者で、『イエスとその時代』をはじめ数多くの著作を残しました。決して護教的ではなく、むしろキリスト教を批判的に論じ、常に「イエス」に立ち返ることを求めました。その関心は、聖書学に留まることなく、聖餐問題、平和問題、性差別、3・11など多岐に渡ります。

川崎にあるまぶね教会の教会員として、礼拝出席を欠かさず教会を支え続けました。わたしが農伝時代2年間をまぶね教会で過ごした際には、いつも声をかけて下さり、生意気な(?)質問にも丁寧に答えてくれました。わたし達を食事に招いて下さり、橅が生まれた時もとても喜んで下さり、農伝の卒業式にも駆けつけて下さいました。2012年12月に仙台の被災者支援センター・エマオを訪ねて来て下さった時のことを、著書に書いて下さっています。

 その前にどうしても被災地を訪れなくては、という想いに駆られ、前日の18日にエマオのスタッフ・佐藤真史君の案内で仙台の荒浜に立った。そこで改めて、「所奪性」の悲惨に直面し、荒廃の沿岸地域にポツリポツリと残された家屋に一人住む高齢者の孤独や、市内の仮設住宅に寒さに耐えて住み続けざるを得ない被災者を想い、それでも「所与性」など口に出すこともできなかった。弱さを絆に、悲しむ者と共に悲しむ以外に、生きる希望を紡ぎ出し得ない、というのが私の実感である。「復興はこれからです」という真史君のことばが身に沁みた。
 その二日前、12月16日衆議院総選挙があった。結果、「犠牲のシステム」の強化を志向する政党メンバー圧倒的多数で選出され、それの推進を政策に掲げる党首が内閣を組織した。この「強さ」の時代に抗して、キリスト者は「弱者」との共生を貫き得るか、その存在価値が問われている。(『3.11以後とキリスト教』pp.216-217)

献先生との出会い、そして与えられた問いを胸に刻みます。