10/20 ジェフリー・メンセンディーク宣教師が来られます!

ジェフリー・メンセンディーク宣教師(アメリカ合同教会、桜美林大学)が、九州訪問の折、荒尾教会の礼拝に出席され、メッセージを担当して下さいます。

ぜひご予定下さい☺️

次週主日礼拝予告 10月20日(日)午前10時半
こどもメッセージ  ジェフリー・メンセンディーク牧師
説教 「わたしは復活であり命である」  ジェフリー・メンセンディーク牧師
聖書 ヨハネによる福音書11章17~27節

礼拝後は、毎月第3主日礼拝後に行っている「キリスト教カフェ」を行います。ジェフリー宣教師とぜひご一緒しませんか?

神学校・神学生を覚えて

覚えている最も最初の神学生は、東京神学大学の学生たちです。小2で東京・東村山にある母方の祖母と同居することになり、家族で引っ越して以来、自転車で5分のところにある日本基督教団東村山教会の教会学校に出席するようになります。当時、東村山教会を牧会していたのはH牧師で東神大教授でもありました。その繋がりで、複数の神学生たちが東村山教会で実習を兼ねて過ごしておられ、わたしの教会学校の先生たちは、東神大の神学生たち。聖書の学びよりも(?)一杯遊んでもらいました。

それから高校を卒業後、父の紹介で「平和を実現するキリスト者ネット」という憲法9条を守るための超教派ネットワークの事務局でアルバイトをしばらくしました。当時、事務所が置かれていたのがNCC(日本キリスト教協議会)で、そこでも様々な牧師たちに出会う機会が与えられました。同志社、農村伝道神学校、日本聖書神学校出身の牧師たちも出会いました。

牧師になろうという決意が与えられた時に、今までに出会ってきた牧師たちの名前と出身神学校をリストアップしたのです。その時に、自分の信仰や召命に一番しっくりきたのが農伝でした。

4年通いました。特に1年の終わりにHさんと結婚し、3年の終わりにBが生まれ、喜びとともに経済的には最も貧しい時でした。それにも関わらず、最も豊かな時でもありました。毎週のように食パンを焼いて持たせて下さる方、Hさんが妊娠中には車で病院まで送迎して下さる方。Bの出産をあたかもわが孫のように喜んで下さり、教会員さんたちに「物心両面」支えていただき、一度も辛い思いをすることはありませんでした。

神学校での学びに苦労は尽きません。どうか神学生、そして神学校を覚えて祈り支えていきましょう。(有明海のほとり便り no.382)

『牧師とは何か』

18人の牧師・神学者が様々な切り口で「牧師」について語っている本(2013年出版)です。折に触れて読み返し、その度に新たな発見が与えられています。

今回目に留まったのは、「牧師の一生」と題して渡辺正男牧師が綴っている文章です。渡辺正男牧師は、1937年生、農村伝道神学校、南インド合同神学大学、プリンストン神学校で学ばれます。農村伝道神学校教師、玉川教会、函館教会、国分寺教会、青森戸山教会、南房教会の牧師を経て、2009年に引退されました。直接お会いしたことは一度だけなのですが、よくお名前を聞く大先輩の一人です。

わたしが渡辺先生の母校である農村伝道神学校の神学生だった頃に、東京にあるSCF(学生キリスト教友愛会)のワークキャンプで、毎夏訪問させていただいた教会の一つが、青森戸山教会でした。ちょうど教会のバザーがあり、前日からその準備をお手伝いしたのをよく覚えています。その頃には渡辺先生は辞され、次の牧師になっていた時代のことでした。

青森戸山伝道所は、青森市の郊外、八甲田山の麓の雪深い地に誕生したばかりの伝道所です。…十数人の会員ですが、底抜けに明るい教会でした。…広い駐車場を近所の人に負けないくらいきれいに除雪しました。連れ合い、隣の公園との間にある通学路の除雪を買って出ました。春になるとみなで花をいっぱいに植えました。ミニバザーを始めました。…会員が二十名を越えて、三年目に伝道所から第二種教会になることができました。(p.362)

わたし達がお手伝いさせていただいたバザーは渡辺先生の時代に始まったものだったことを知りました。「底抜けに明るい」青森戸山教会と、荒尾教会の「明るさ」に不思議な共通点と励ましを感じています。(有明海のほとり便り no.381)