doing ではなくbeing

金曜日にらっこ組(0歳児)のクラス参観を行いました。現在5名の子どもたちが通っていますので、参加した保護者の数も多くなく、とても落ち着いて行うことが出来ました。そして保護者懇談会では、我が子のストレングス(素敵なところ)を出し合うワークを行いました。すると、あるお父さんが「存在がかわいい」と言われた言葉が、とても心にしみました。

まったくその通りなのです。らっこ組の5人の子どもたち一人ひとりが、そこにいるだけで、たまらなく愛おしくなります。らっこ組の子どもたちだけではありません。めぐみ幼稚園に通う子どもたち一人ひとりに、わたしだけでなく教職員皆が愛おしさを感じています。何をするにしても、無性に愛おしさを感じるのですから、「doing(何かを出来る・出来ない)」とはまた別の次元で感じていることが分かります。むしろ「being(存在・あること)」です。荒尾めぐみ幼稚園が本当に大切にしたいことも、この「being」に尽きます。「生まれてきてくれてありがとう」「今日も会えて嬉しい」。この温かい思い・祝福が、園生活においても満ち溢れるものであってほしいと願っています。なぜなら、先週の川島教師の子どもメッセージにもあったように、神さまは一人ひとりを素晴らしい作品として、かけがえのない命として祝福されているからです。わたし達人間が抱く愛情はとても不確かなものですが、神さまの愛は永遠に揺らぐことがありません。この「神の愛の土台」に立ち続けていきたいと願っています。けれども、日本のキリスト教園を含む保育業界では不適切保育が尽きません。この課題について、キ保連の園長研修で学んだことをいま先生たちと分かち合っています。(有明海のほとり便り no.388)

創立78周年を迎えて

よくこんなに小さな地方教会が、今日まで続けることが出来ていることに驚かされています。まさに神さまの不思議な御業としか言いようがありません。

1974年に小平善行牧師園長が着任するまでは、5名の牧師が赴任しましたが、それぞれ3年~5年と短い在任期間でした。それぞれに理由があり、単に教会・幼稚園だけが原因ではなかったであろうと推察しますが、それでも、苦しい日々であったであろうと想像します。礼拝出席者数(年平均)は、最も多かった1955年は26名ですが、無牧師となった1965年は7名だったと記されています。

無牧師で7名…。まさに消えようとする灯火の中で、「祈り・支え合う」という奇跡が起こりました。平島ふさ子さんが次のように振り返っています。

数少ない信徒で礼拝を守る時、育ってきていた中学生、高校生が、聖日礼拝に出席し、求道し共に祈り、信徒の励みになってくれました。無牧の時も幼稚園は続けられました。運動会や夏のお泊り保育の手伝いはじめ、園庭の草刈りや、会堂の掃除は、中学生、高校生が進んでやってくれました。荒尾教会に集う一人一人が、心をひとつにして教会を守りました。その大きな支えとなり導いて下さったのが田中従夫先生でした。

無牧師の期間、代務者となって支えて下さったのが熊本坪井教会(現・錦ヶ丘教会)の田中従夫牧師だったのです。そもそも荒尾教会草創期を支えてくださったのは坪井教会の松木治三郎牧師であり、荒尾教会の歴史を振り返る時に、坪井教会の支えをなしに語ることは出来ません。

創立78周年を迎えるにあたって、この歴史を振り返り、これからの使命を新たにし、「いま」を紡ぎ出していくために、本日は錦ヶ丘教会より川島直道牧師をお招きすることが出来ました。この出会いに心から感謝いたします。(有明海のほとり便り no.387)

岩高澄牧師園長を覚えて

11月5日(火)に岩高澄先生(6代目牧師・1971~1974年)が89歳で召天されたことを、小平善行先生よりご連絡いただきました。東梅田教会の東島牧師からも連絡をいただき、8日(金)に行われた葬儀に日帰りで出席してきました。

岩高先生は3年前の創立75周年記念礼拝にお招きしました。岩高先生は荒尾教会を辞されてからは、郵便局長となられ、東梅田教会をはじめ様々な教会を支えられました。農村伝道神学校の大先輩である岩高先生は、小さな地方教会での働きを志とし、四国の須崎教会や、この荒尾教会で牧会されました。農村伝道神学校も後援会長として後援献金を広く呼びかけて下さいました。いま農村伝道神学校の収入の大きな柱となっているのも、岩高先生のお陰だと聞いています。また、平和問題にも携われ、「大江健三郎・岩波書店沖縄裁判支援連絡会」の代表世話人をされたり、保護司の働きも担われました。大阪教区の各集会などにも、この春まで積極的に参加されておられたそうです。

荒尾教会での在任期間は3年間という短い期間でしたが、いまに繋がる大きな礎を築いて下さいました。多くの方たちが集まった葬儀の後に、二人の娘さんたちに、荒尾教会から来たことをお伝えすると、とても喜んでくださり「わたしも荒尾にいたんですよ」とお姉様が答えてくださいました。

創立78周年記念礼拝を迎えるにあたり、岩高先生の生涯を改めて振り返り、神さまがこの荒尾に岩高先生を遣わして下さったその恵みを覚えましょう。

生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。(ガラ2:20、岩高先生愛唱聖句)

(有明海のほとり便り no.386)

一呼吸もみな神さまのお恵み

召天者記念礼拝を迎えるごとに、キリスト教の死生観について思い巡らします。

「死生観」とは、生きることと死ぬことに対する考え方を指します。まずこの語意から分かることは、「生きる」と「死ぬ」は、切っても切り離すことが出来ないということです。わたし達、命あるものはすべて「いつか死ぬ」のです。「永遠に生きる」ということはありません。

命の有限性は、確かにわたし達に悲しみをもたらします。けれども、与えられている「いまを精一杯に生きる」ことをわたし達に与えるものでもあります。

神は創造のとき、「土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」(創2:7)とあります。つまり、人間のこの命は、他でもない神によって与えられたのです。ここに、キリスト教死生観の根っこがあります。この命は、人間ではなく神によって生み出されているのです。「息」はヘブライ語で「ルーアッハ」で、「霊」という意味もあります。単に、肉体的な「命」だけではありません。人間にとって欠けることの出来ない「心」そして「魂」を持った、完き(holistic)命を神は与えたのです。詩人・河野進は同じ日本キリスト教団の牧師でもありましたが、「一呼吸」という一遍の詩を遺しています。

どのような苦しみや  悲しみを吸うても
吐く息は  感謝と希望でありますように
一呼吸(ひとこきゅう)もみな
天の父さまのお恵みですから 

わたし達が一日に2万回以上もすると言われるこの一呼吸も、私たち一人ひとりを造られた神の息(ルーアッハ)であることを、日々感謝し、いまを精一杯生きていきましょう。(有明海のほとり便り no.385)