よくこんなに小さな地方教会が、今日まで続けることが出来ていることに驚かされています。まさに神さまの不思議な御業としか言いようがありません。
1974年に小平善行牧師園長が着任するまでは、5名の牧師が赴任しましたが、それぞれ3年~5年と短い在任期間でした。それぞれに理由があり、単に教会・幼稚園だけが原因ではなかったであろうと推察しますが、それでも、苦しい日々であったであろうと想像します。礼拝出席者数(年平均)は、最も多かった1955年は26名ですが、無牧師となった1965年は7名だったと記されています。
無牧師で7名…。まさに消えようとする灯火の中で、「祈り・支え合う」という奇跡が起こりました。平島ふさ子さんが次のように振り返っています。
数少ない信徒で礼拝を守る時、育ってきていた中学生、高校生が、聖日礼拝に出席し、求道し共に祈り、信徒の励みになってくれました。無牧の時も幼稚園は続けられました。運動会や夏のお泊り保育の手伝いはじめ、園庭の草刈りや、会堂の掃除は、中学生、高校生が進んでやってくれました。荒尾教会に集う一人一人が、心をひとつにして教会を守りました。その大きな支えとなり導いて下さったのが田中従夫先生でした。
無牧師の期間、代務者となって支えて下さったのが熊本坪井教会(現・錦ヶ丘教会)の田中従夫牧師だったのです。そもそも荒尾教会草創期を支えてくださったのは坪井教会の松木治三郎牧師であり、荒尾教会の歴史を振り返る時に、坪井教会の支えをなしに語ることは出来ません。
創立78周年を迎えるにあたって、この歴史を振り返り、これからの使命を新たにし、「いま」を紡ぎ出していくために、本日は錦ヶ丘教会より川島直道牧師をお招きすることが出来ました。この出会いに心から感謝いたします。(有明海のほとり便り no.387)