『教会のマネジメント 明日をつくる知恵』②

この本で語られている「マネジメント」は「教会ビジネス」ではありません。むしろ、教会が神さまから託されている使命に、正面から向き合い・計画し・実現させていくことであり、「2000年変わらざるミッションを、変わりゆく個人や社会のニーズに応えつつ一体化させ、宣教を進めること」(p.60)がマネジメントの役割なのです。

教会は、社会や人々の環境や意識を見極め、そのニーズに届くよう配慮することが必要です。言い換えるならば、伝えたい方々の現場に降り立って、その心情に応えるべく、ミッションと一体化させてメッセージを発信していくことが重要です。教会が一方的に聖書講解を発信するだけでは人々に届きにくいのです。(p.53)

それでは、荒尾教会が置かれているこの地域社会そして人々のニーズはどのようなものがあるのでしょうか? まずは、霊的なニーズとしての教会・礼拝があると言えるでしょう。1946年に宮崎貞子先生がご自宅を開放して始められた家庭集会に、集われた方たちの多くは女性たちや中高生でした。当時の霊的なニーズに応え、そして小さな群れが今年79周年を迎えること自体が、霊的な働きをしっかりと繋いできた証です。けれども、礼拝もいまある形が完成形だとは思いません。常に霊的なニーズに届くような配慮がなされていく必要があります。子どもとの合同礼拝が定着しましたが、もっと子どもたちが神さまの愛を満喫できるプログラムが出来るかもしれません。キリスト教や信仰を語る場がもっとあってもよいのではと話し合い、第3主日礼拝後のキリスト教カフェが始まりました。

楽しみつつ、霊的ニーズに応えるべく挑戦を続けていきましょう。(有明海のほとり便り no.396)

circle(サークル)

キリスト教保育連盟九州部会主任研修会が熊本であり、主幹のE先生、H先生(霊泉)とわたしの三人で参加しました。充実した学びと出会いに笑顔あふれる一泊二日となりました。

広渡純子先生(九州ルーテル学院大学・元学長)による講演「原点から届けられるメッセージ~キリスト教保育の始まりを担った女性宣教師たち~」では、日本におけるキリスト教保育が、男性宣教師の連れ合いたち女性宣教師たち、そしてそのミッションの深く共鳴した女性保育者たちの、神さまの愛への信頼と応答から始まったことを学びました。150年前、子どもたちの教育、特に幼児教育の重要性などを日本ではほとんど誰も理解していませんでした。児童労働に駆り出されている子どもたちも多くいました。そのような中で、子どもを一人の人格としてみる、子どもを中心とする保育を彼女たちは推進していきました。日本の教育において「子ども主体の保育」の重要性が広まりつつありますが、キリスト教保育が先駆的な実践をしてきたのです。

1902年に佐賀幼稚園(ルーテル派)がエマ・リパード宣教師夫人とM.B.エカード宣教師によって始められました。九州では活 水に次ぐ2番目、佐賀県では最初の幼稚園でした。広渡先生が紹介して下さった1枚の写真では、朝の集いの写真で、子どもたちが輪になって座っています。英語で“circle(サークル)”と呼んでいたそうです。一人ひとりが尊重されるこの輪の中に、イエスさまが共におられたのです。(有明海のほとり便り no.395)

キリスト教保育はインクルーシブ

わたしが荒尾めぐみ幼稚園に遣わされてから、いくつか新たに始めた取り組みがあります。その一つが、2020年度から始めた全教職員との個人ミーティングです。教職員一人ひとりのワークライフバランスの状態確認・改善、キリスト教保育の振り返り、そして何よりも信頼関係の構築を願って年3回(春・夏・冬休み預かり期間中)行っています。一人ひとりの人柄や保育への思い、いまの園の強み・課題がよく理解出来る貴重な面談となっています。

年末年始に行う個人ミーティングは、特に来年度の働きについて、このまま継続して下さるかを伺う大切な面談です。

その中で、特にA先生とのミーティングが胸に響きました。もともとは保護者として荒尾めぐみ幼稚園に深く関わって下さった方です。A先生のお子さんは、自閉症スペクトラムがあり、お連れ合いと話し合い、悩む中で、療育機関を通してこの荒尾めぐみ幼稚園と出会われました。お子さんが卒園し、いまは保育補助として、発達に大きな凸凹があったり、情緒が不安定だったりする園児のサポートをして下さっています。

ある園児の話しになった時に、「〇〇さんはいま一番伸びしろがある時期なんだと思います」と、温かい笑顔で教えてくれました。「気になる子」「困った子」として見るのではなく、「育ちの伸びしろが一杯ある子」として温かく関わっていく尊さに気付かされました。A先生ご自身の家庭での経験、園や療育に通う中での経験からの「まことの言葉」でした。

「インクルーシブ保育でないキリスト教保育はない」と戸田奈都子教師(川内教会・のぞみ幼稚園)から学んだ言葉と響き合っています。(有明海のほとり便り no.394)

『教会のマネジメント 明日をつくる知恵』

「教会とマネジメント??」本のタイトルを見た時にクエスチョンマークがいくつも頭の中に浮かびました。「マネジメント」は、生き馬の目を抜くビジネス社会で使われる考えであって、一週間の間そこで傷つき疲れたわたしたちが毎週日曜日に集うこの教会とは、到底結びつくものではないと思ったからです。けれども、共著者の濱野道雄牧師(西南学院大学)の名前を見て、この本が単なる「教会ビジネス本」でなく、確かな神学に基づいていることが分かりました。同時に、園長・理事長として日々こども園の運営に責任を持つ身として、「保育マネジメント」の学びを最近集中的にしており、「マネジメント」という言葉自体へのアレルギー反応(?)は、大分収まっていたのです。読み進めていくと、マネジメントとは「組織をどうしたら大きくしていけるのか」ということだと誤解をしていたことに気付かされました。

教会も、誰もがそこで生きる意味を感じ、自分の居場所になっていくことができ、広くミッションの実現に役立っていくようなあり方を考えることがマネジメントだと思うんです。(p.163) 
社会運動をするにしてもNPOにしても、マネジメントが必要です。そうでないと、あっという間に無責任で自己満足なものになってしまうところがあります…社会的な活動をしている教会のほうが数も増えることは、社会学的調査から言えそうです。けれども、数を増やすための手段として社会的なことをやるのでは、本末転倒になってしまう。そもそもイエスは、みんなと一緒にご飯を食べて、誰も友のいない人のところに行く、という素朴なところで働きました。(p.166)

では、具体的にどのようなマネジメントが教会に求められているのか。次号に続きます😉(有明海のほとり便り no.393)