選択的夫婦別姓を

霊泉の新園舎建築に際し、学法理事長として数多くの書類を作成し押印をしています。昨日も、借入れのための書類や県庁宛の書類に押印しました。いつもこの作業で違和感を覚えるのは、わたし自身の名前の表記です。

我が家は「別姓」で生活をしているので、初めてお会いする方たちの中には、混乱される方もいらっしゃいます。一日も早く「選択的夫婦別姓」制度が実現することを願いつつ、暫定的に私が戸籍では「後藤」としているので、子どもたちも「後藤」で生活しています。つまり「家族別姓」なのです。

法人の登記簿には「理事長 後藤真史(佐藤真史)」といわゆる「旧姓」を併記出来るため、普段法人の関係書類は「佐藤」で通すのですが、行政関係はまだまだ理解が浅く、「後藤真史」とだけの表記を求められることが多々あるのです。

姓を変えると、免許や銀行などの名義変更ももちろん面倒なのですが、研究者などの場合はこれまでの業績が分かりづらくなってしまいます。ましてや名前というアイデンティティに関わる根幹を揺るがすものでもあるのです。

一番問題に感じるのは、姓の選択の自由があると言いながら、実際は女性が改姓するケースが96%にも及ぶという事実です。これは「女性が結婚したら夫の姓を名乗るもの」という旧来の「家制度」(女性は男性(夫・父)のもの)から来る考え方が根強く残っているからです。世界的に見てもこのような制度が残っているのは日本くらいですし、もちろん聖書が語る福音とは逆行する考え方です。

選択的夫婦別姓制度とは、結婚時に同姓か別姓か選べるようにするものです。法制化に向けてますます進展があることを願っています。(有明海のほとり便り no.400)

トランプ2.0とキリスト教

日本キリスト教団では、2月11日を「信教の自由を守る日」としています。「紀元節」として神武天皇が即位した日を祝われていたものが、戦後廃止されたにも関わらず、「建国記念の日」として再び制定されたことに反対して、キリスト教界・宗教界が「信教の自由を守る日」としたのです。

「信教の自由」は人間が持っている根源的な権利です。戦時中、天皇を神とする国家神道によって、「信教の自由」が脅かされ、迫害され殉教していった先達たちがいたこと、けれども多くの日本人キリスト者たちは迎合していったことを、忘れてはなりません。

毎年熊本地区では2月11日に信教の自由を守る日特別講演会を行っています。今年は、関西学院大学の大宮有博教授を招き「トランプ2.0とアメリカ・キリスト教」という題で講演をいただきました。

・旧統一協会の関連団体であるUPF(NGO)やWashinton Times(日刊紙)と、トランプ政権が深く結びついている
・トランプ政権は「信教の自由」および「テロ対策」を口実に、イスラム教徒の多い中東・アフリカからの入国制限という差別的政策を行った
・フランクリン・グラハムは父ビリーより政治的であり、福音派よりも宗教右派
・中絶やトランスジェンダーを「反キリスト教」とラベリングし、一気に保守化させた
・トランプ現象は、今の社会に不満を抱いている層を、根拠のない主張で真実を曲げて、惹きつける。選挙・議会・世論といった民主主義の根幹を劣化させていく

「信教の自由」をトランプ政権は乱用し、むしろ他者の「信教の自由」を大きく侵害しているのです。常に目を覚ましていなければなりません。(有明海のほとり便り no.399)

『教会のマネジメント 明日をつくる知恵』④

いままで、この本から様々なヒントを得て来ましたが、最後の第三部は著者二人の対談となっていて、特に分かりやすい箇所となっています。

(濱野道雄)他の教会をモデルにしてマネジメントやリーダーシップのスタイルを模倣すると、やらなくてもいいことをやっているような徒労感だとか、あるいは、やらなくてはいけないことをやっていなかった、ということが生まれるケースがままある気がします。だから、何か新しいことをしなくてはいけない、変えなくてはいけないというのではなく「肩の力を抜いていい」、そして「できることがまだたくさんあるんじゃないですか」ということを伝えたいです。(p.170)

何かをモデルにして模倣していくことは、はじめ方としてとても有効な手段です。けれども、そのモデルとまったく同じようには出来ないことにも、往々にして気付かされます。その時に、諦めるのではなく、楽しく続けられるように工夫することではないでしょうか。

(濱野道雄)教会に生き生きしてほしいですね。誰かにやらされているのではなく。…イエスの物語をきちんと生き続けること。少し立ち止まり、このことを一度言葉にして整理してみる。マネジメントはこういうときのツールとして、とても役立つと思っています。…元気というのは単に声が大きくなるというようなことではありません。ああ生きていて良かった、これからも生きていこうと思えるようになったとき、初めて世界も日本も、ゆるされるならば変わり始めていくだろうという希望を持っています。(p.177)

最も根源的な「これからも生きていこう」「ゆるされている」というメッセージを、「生き続けて」いきましょう。(有明海のほとり便り no.398)

『教会のマネジメント 明日をつくる知恵』③

大きく三部構成になっています。第一部は経営学者であり教団の信徒である島田恒さんが、第二部は神学者の濱野道雄教授(西南学院大)が、そして第三部は二人の対談で構成されています。特に第二部での議論は、現在の教会が直面している課題に対して、鋭く問題提起をしています。

ミッション・ステートメントとは何でしょうか。簡単に言えば、「神が、私たちの教会に、『~を一緒にしよう』とおっしゃっていること=使命(ミッション)を言葉にして、教会の人、教会の外の人に宣言(ステートメント)したもの」となるかもしれません。…ミッション・ステートメントが有益だとすれば、それは何故でしょうか。一つには、教会も歴史が長くなり、第2、第3世代となってくると、自らの組織維持が一番の「ミッション」になりがちだからです。「世のため・世と共にある教会」ではなくなるのです。…教会は、変わり続けることによって、少し居心地が悪いくらいでいい(!)と私は思います。(pp.102-103)

荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園の場合、組織維持が一番の「ミッション」になっているとは思いませんが、常に振り返ることは大切です。神さまが、荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園に何を一緒にやろうと呼びかけておられるのか。

牧師園長という立場になり常々感じることがあります。それは、わたし自身に神さまから求められている資質として、与えられている環境に合わせていく柔軟性と共に、課題やヴィジョンを提案していくささやかな(時に大きな)勇気です。特に、何か変化がもたらされる際には、誰かしらモヤモヤを抱えやすいことに気付かされています。そのモヤモヤが大きくなりすぎないように配慮すると共に、一緒に考えていくきっかけとしたいと願っています。(有明海のほとり便り no.397)