人を立ち上がらせる力

岩手県大船渡市で医院を開業する山浦玄嗣医師は、2011年3月11日に起こった東日本大震災で被災されました。「重油と下水と魚の死骸が混じった真っ黒で粘っこい泥をなんとか片づけ、14日の月曜日から医院を開け」られました。まだ電気も回復していない中で、医院には多くの患者さんや家族が来られたそうです。

…「ががぁ(妻を)、死なせた」、目を真っ赤にしながらも涙をこらえた人。「助かってよかったなあ」と声をかけると、「おれよりも立派な人がたくさん死んだ。申し訳ない」と頭を下げた人。気をつけて聞いていましたが、だれひとり「なんで、こんな目に遭わないといけねえんだ」と言った人はいません。そんな問いかけは、この人たちには意味がありません。答えなんかないのです。

この人たちが罪深いから被災したのでもありません。災難を因果応報ととらえる考えに、イエスは反対しています。 (2011年5月16日朝日新聞)

カトリックの信徒である山浦医師は、聖書をケセン語(気仙沼の言葉)に訳され、また「世間語」にも訳されました。イエスの「復活」という言葉を「人を立ち上がらせる力」と訳しました。さらに「命」を、「活き活きと人を生かす力」と訳しました。つまり、「イエスは人を立ち上がらせ、活き活きと人を生かす力なのだ」と。病院も津波によって大変な被害にあった山浦医師にとって、イエスの「復活」そして「命」という言葉が、「人を立ち上がらせる力がある。活き活きと人を活かす力がある」と響いているのです。

イエスは3日後に復活されました。この復活したイエスが、「たとえ倒れても、心が魂が死んでも、それでも生きよ」と呼びかけています。(有明海のほとり便り no.408)