先週のメッセージで八木重吉の「草にすわる」という詩を引用しました。この詩から、詩人・谷川俊太郎がさらに「間違い」という詩を詠んでいたことを知りました。
わたしの まちがいだった わたしの まちがいだった こうして 草にすわれば それがわかる そう八木重吉は書いた(その息遣いが聞こえる) そんなにも深く自分の間違いが 腑に落ちたことが私にあったか 草に座れないから まわりはコンクリートしかないから 私は自分の間違いを知ることができない たったひとつでも間違いに気づいたら すべてがいちどきに瓦解しかねない 椅子に座って私はぼんやりそう思う 私の間違いじゃないあなたの間違いだ あなたの間違いじゃない 彼等の間違いだ みんなが間違っていれば誰も気づかない 草に座れぬまま私は死ぬのだ 間違ったまま私は死ぬのだ 間違いを探しあぐねて
谷川の詩を読むとき、わたしはどこまで己の間違い(罪)を分かっているのか、ほとんど分かっていないではないかと気付かされました。神さまの前で、分からないという謙虚さを持って歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.425)