ほっとしなけりゃ福音じゃない

8月23日に行った法人研修で、輿水基園長(阿久根めぐみこども園)がわたしたちに教えて下さった「おもしろいをおもしろがる」が胸に響きました。ここには、「子どもがおもしろがっていることを、一緒におもしろがれる保育者である」、「一人の保育者が見つけた子どものおもしろいを思わず伝えたくなる関係性がある」といった思いが込められています。このようなキリスト教保育を実践することが出来たとき、初めて保育の質が高くなっていくのだと思います。ただ単に放任する保育でも、惰性でする保育でもありません。そこには子どもたちはもちろん大人たち教職員の積極性が求められます。どのような「おもしろい」を、子どもたちが感じているのか?どうしたら、さらに「おもしろい」が広がり深まっていくのか?そのような問いかけを抱きつつ、大人もワクワクしながら園生活をつくっていきたいと願っています。

さて、わたしたちのこの荒尾教会で大切にしたいことは何でしょうか?もちろん、「おもしろいをおもしろがる」ような、イエスや聖書との出会いにワクワクする気持ちも大切にしたいことです。

わたしが3年間過ごした山形にある基督教独立学園は、内村鑑三の無教会の流れを汲む学校です。そこには、毎年様々な方たちが来校し、証しを聞かせてくれました。その一人が、独立伝道者・藤尾正人先生です。固くなりがちな聖書講話において、ユーモアに満ちた分かりやすいメッセージを覚えています。その藤尾先生が、「ほっとしなけりゃ福音じゃない」と度々語られました。眉間にシワを寄せてではなく、心からの深い安心「ほっと」を与えるのが、イエス・キリストの福音なのです。(有明海のほとり便り no.427)