神さまが建てている

高校時代の恩師・F先生から電話が園にあったのだけれど、本当に様々なことが重なり折り返す余裕もなく過ごしていたら、再び電話をいただき、何回か互いに電話をかけあってようやく繋がった。

そもそもわたしが数学を専攻しようと思ったのも、京大卒で受験勉強に詳しい(?)F先生に医学部にいきたいと相談した際に、「毎日数学と英語をしたらいい」と教えられ、まずは数学からとコツコツ問題を解き始めたことが、面白さに気付かされたきっかけだった。数学の問題でドツボにハマった時に、F先生に話すと的確なヒントを与えられた。決して答えではなく、ヒントのみ。さらに数学は鉛筆ではなくボールペンでやったらいいとも教えられた。間違えを「消す」のではなく、しっかりと「受け止める」ことが大切だから。ある時、聖書を片手に握りしめながら、「卒業してもこれだけは、どこに行っても持っていってほしい。必ずあなたたちの支えになるから」と言っていた姿を、25年経った今でも折に触れて思い出す。

そんなF先生との電話での話題は尽きない。その電話口で、「この独立学園が神さまから必要とされなくなったら潰れてもいいんだよ」とサラッと言われ、久しぶりに原点に呼び戻された。もちろん誰一人として学園が潰れていいなどと思っていないし、F先生自身、繋いでいくために日々祈り、懸命に教育に携わっている。けれども、学園を本当の意味で導き繋いでいっているのは、人間ではなく神さまなのだ。そこを見誤ってしまうと、神ならぬものを神にしたり、人が神になってしまう。十戒で示された本当の自由を失ってしまう

この荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園、そして霊泉幼稚園も、神さまが建てていることを忘れてはならないと、再確認することが出来た。(有明海のほとり便り no.369)