コロナ禍が生み出す孤立

「調子が狂ってしまった…」

新型コロナウイルスの感染拡大によって、そのように感じている人たちは多いのではないでしょうか?わたしもその一人です。先日あるキリスト者の方とお話しをしている時に、改めて気付かされました。

それは教会生活においても園生活においても言えることです。

今まで当たり前のように毎主日顔を合わせ、声を掛け合い、祈り合い、讃美し、御言葉を聴いていたことが、制限され変化を求められたりしています。

園生活においても、当たり前のように登園することは出来なくなり、子どもたちの育ちにも影響が出てきています。昨日、めぐサポ(保護者会)の役員会があったのですが、行事が制限された結果、保護者同士で出会う機会も減ってしまったことに改めて気付かされました。

つまり、人間同士の繋がりがどんどん希薄になってしまっているのです。

人間関係は往々にして煩わしいものですから、一見「らく」になったように錯覚してしまいます。けれども実はかなり深刻な事態です。なぜなら「人が独りでいるのは良くない」(創2:18)し、必ず「助け手」を必要とするからです。「社会的孤立」が増えてしまっています。

さらに、「人間は習慣の生き物」(ジョン・デューイ)ですから、新しい環境に新たな習慣・人間との繋がりを作るのにもある一定の時間を必要とします。けれども、これだけ環境が変化し続ける時に、習慣化する時間が取れません。

この深刻な事態に抗する手立てがないように見えます。けれどもわたしたちに与えられている、「祈り・讃美・御言葉」そして「神さま(縦)と、隣人(横)との十字架に仕える」歩みを、祈り合い支え合いながら愚直に続けていきたいと改めて願っています。(有明海のほとり便り no.248)

講演「水俣病受難者たちとの出会いから『信教の自由』を考える」より

1873年から1948年まで、2月11日は「紀元節」と呼ばれ、初代天皇が即位した記念日でした。学校では、日の丸掲揚、君が代斉唱、「御真影(天皇の写真)」の前での「教育勅語」が行われました。1966年、旧「紀元節」復古を願った政府によって今度は「建国記念の日」と再び制定されます。

それに抗議して、2月11日を「信教の自由を守る日」として全国各地で様々な集会が行われています。その一つが、熊本地区社会部委員会が準備するものです。今年は、岡田仁牧師(富坂キリスト教センター)をお招きしました。コロナ禍で、オンライン講演となりましたが、とても学び多き時となりました。

岡田先生は神学部を出られた後、5年半ほど水俣で過ごされました。その体験をもとに「水俣病受難者たちとの出会いから『信教の自由』を考える」と題しお話し下さったのです。

水俣病の課題はまだまだ解決していません。あまりにも厳格な認定基準ゆえに、いまも患者として認められていない多くの方たちがいます。岡田先生が神学部夏季派遣で1988年に水俣に初めて行かれた際に、ある未認定患者が次のように言われたそうです。 「…けど、なにも悪かことしとらんとに、なしてこげな目に遭わんならんとかいね」

この一言が胸に刺さり、水俣で生活することを決められたのです。

「活字ではなく、現場にいき、本人から直接聴くこと」「真実は現場にある」「公害と差別は、弱いところに向かっていく」「この世界での神の苦しみに参与することこそが『信じること、悔い改めること』(ボンヘッファー)」「聖書の中で『自由』は『福音』と同じように重要なもの」

岡田先生の一つ一つの言葉が深く響きました。(有明海のほとり便り no.247)

サーバントリーダー

栃木県那須にアジア学院というとてもユニークなキリスト教をベースとした専門学校があります。そこでは、アジア・アフリカ・太平洋諸国の農村地域から学生たちが集まり9ヶ月間共同生活をしながら、有機農業を学びつつ、「草の根」の農村指導者を育てています。宗教も言語も文化も様々な学生たちが集い、まさにタペストリーのような彩りがあります。私が卒業した農村伝道神学校にあった東南アジア科から独立して出来た学校です。アジア学院は総勢57カ国、1361名もの卒業生(いまはもっと多い)を生み出しています。私も何度もワークキャンプに行き、様々な農作業をお手伝いさせていただきました。

そこで私は「サーバントリーダーシップ」という言葉を学びました。トップダウンの権力志向のリーダーではなく、人々に仕える支えるリーダーです。イエス・キリストが弟子たちの足を洗う姿こそ、まさにサーバントリーダーです。

アジア学院の卒業生たちは世界各地で活躍しています。卒業生の一人であるフィリピンからの学生だったMさんは、甚大な台風被害を受けたミンダナオで、伝染病予防のための簡易トイレ設置のためにメガホンを持って走り回ったそうです。この着眼点がすごいと思いました。自分の命だけが助かればいいという発想ではなく、台風水害の後に、人々が被るであろう伝染病を予想し、その拡散を防ぐために、トイレを設置する。

この姿こそが、アジア学院が目指している地域共同体に仕えるリーダー、サーバントリーダーを表わしていると私は感じました。この「サーバントリーダー」という姿を胸に、「神さまファースト」の奉仕をなしていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.246)

白い磔刑

画家のマルク・シャガールは彩り豊かで明るいと評されることが多い画家です。そのような作品群の中に、ぽつんと「白い磔刑」という作品が残されています。1938年11月ドイツではナチスによってユダヤ人の住居、お店、シナゴーグ等が襲撃され破壊されました。「水晶の夜」と呼ばれるこの出来事を描いたのです。

右手に見えるのは放火殺人犯によって荒らされ燃え上がるシナゴーグ。十字架の上には、旧約聖書に登場する人物たちが嘆きの声をあげています。十字架上のイエスが腰に巻いているのは、ユダヤ教徒が祈りに用いる縞の入ったコートです。足元には、ユダヤ教の燭台が置かれています。そして、イエスの頭上には「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」という罪状書きが、ヘブライ語で書かれています。

シャガールは十字架に架かるイエスを通して、迫害の対象とされたユダヤ人たちの苦しみや嘆きを描きました。シャガール自身はユダヤ教徒ですから、イエスを救い主=キリストと信じ告白していたわけではありません。しかし、イエスを同じユダヤ人として徹底的に苦しみ十字架を負われた偉大な先達として描いたのです。

私たちがイエスをキリスト(救い主)だとメシアだと告白する時、それはこの苦しみを一気に解決するような「大どんでん返し」をもたらす存在ではなく、共に苦しみ重荷を負う存在として、まさにこのシャガールが描くイエスこそが、神の救いを指し示す存在だと告白したことを胸に刻みましょう。(有明海のほとり便り no.245)

福音の息吹(プネウマ)

2018年9月に生まれてはじめて奄美大島を訪問しました。到着した初日、田中一村記念美術館を訪問しました。絵画に疎い私は、「田中一村(1908~1977)」という名をその時、初めて知りました。水墨画の神童としていち早く活躍した一村でしたが、日本画へと画風を変えてからは、苦労と挫折が続き、亡くなって10年が経ってからようやく再評価され「日本のゴーギャン」とも呼ばれています。

国立療養所奄美和光園内にある和光伝道所も訪問しました。先述の田中一村は、奄美和光園との出会いの中で、近くにアトリエを構えたそうです。名瀬教会の青山実教師から、今は年数回の礼拝を守るのみと説明を受けながら伝道所に入ると、部屋に射し込む光、椅子の並び、講壇、その一つ一つが目に焼き付きました。<ここ>にある福音・恵み。確かに礼拝が守られていた息吹(プネウマ)…。

瀬戸内海にあるハンセン病療養所・大島青松園の教会に通っている、シンガーソングライターの沢知恵さんの言葉を思い出しました。

私はそこの礼拝が大好きだったので、行く度に勝手に掃除をしていたんです。建物は使わないと痛みますから。そうしたらね、掃除機をかけていてふっと振り向くと、天国に行ったはずの入所者の方々がいるんです。えっ!と思って、心臓がドキドキして。私こういう話は苦手で、経験したことなかったんですけど。それで、「あぁ、私はここで礼拝をしたいんだ。お掃除じゃなくて、神様を賛美をしたい、祈りたい、み言葉を聴きたいんだ」と、分かった瞬間だったんです。

本日は家庭礼拝という形になりましたが、同じ神さまの息吹が、各家庭にそして教会に吹いていることを信じています。(有明海のほとり便り no.244)

『人新世の「資本論」』

冬休みに積ん読していた本に、ようやく手を付けることが出来ました。その一冊が斎藤幸平著『人新世(ひとしんせい)の「資本論」』です。2020年9月に発行されて以来、すでに40万部を突破したベストセラー書籍で、新書大賞2021を受賞しました。いわゆるベストセラーにはあまり関心がないのですが、マルクスの『資本論』についてであり、知り合いからの紹介もあり購入していたのです。新書なのでページ数はそれほど多くはありませんが、一つ一つのトピックが新鮮で深く、読み込むのに時間がかかりました。

「人新世」とは「人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代」(p.4)を指します。産業革命以降の目覚ましい経済成長が生みだしたこの「人新世」で飛躍的に増えた二酸化炭素が、地球温暖化などの気候変動を巻き起こしています。それはもはや無視して通り過ぎることは出来ず、むしろいますぐに対応しなければ、「人類」全体の存続の危機にさらされているのです。この気候変動への対応として「SDGs(持続可能な開発目標)」を国連などは掲げていますが、著者はそれでは対応として不十分であり、むしろ手遅れになることを指摘します。そして、対案として著者はマルクスの『資本論』を参照するのです。しかも、ここが特に大切なのですが、これまでのマルクス主義の焼き直しではなく、「150年ほど眠っていたマルクスの思想のまったく新しい面を『発掘』し、展開」(p.7)していくのです。それが、中国や旧ソ連の共産主義とはまったく違う、「脱成長コミュニズム」という晩期マルクスが到達したものでした。

資本主義はもはや限界に来ています。その只中で、神の国を建設していくために、様々な知恵を集め、祈りを集めていく必要があることを、この本を読んでつくづく考えさせられる冬休みでした。(有明海のほとり便り no.242)

この風景、この土地を愛して

2017年春に荒尾に赴任する際、それまでにお世話になった方たちに感謝メッセージをメールで送りました。しばらくして、真壁巌牧師(当時・相愛教会、現・西千葉教会)より、お返事をいただきました。そこには、Google mapで荒尾教会がある場所を調べたら、有明海が見渡せる場所にあることが分かったこと。美しいその風景の中で、土地を愛し、真史くん(牧師になるずっと前からお世話になっているのでこう呼んでくれています)らしく、牧会・宣教の業に励めることをお祈りしていることが、綴られており、とても嬉しかったことを覚えています。

先日、ある面談を園で終えてふと外を見ると、美しい夕焼けが広がっていました。対岸の雲仙や諫早、そして有明海の風景を見て、神さまが創造した「すべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創1:31)と言われた「良さ」が凝縮していることを思いました。そして冒頭の真壁先生からのメールを思い出したのです。随分長いこと、この美しい光景を忘れてしまっていたことを反省しました。

毎年与えられる様々なチャレンジ(挑戦・課題)を前に、この5年間は足し算ばかりでやってきました。特に両園において待ったなしの差し迫った状況が広がる中で、きめ細やかな保育の実現、丁寧な保護者対応、教職員との温かい関係づくりを出来るだけ心がけて来ました。その結果、様々なことが出来るようになったことは事実ですが、どうも牧師・園長・理事長として忙しくなり過ぎています。2022年は、引き算も真剣に検討しなければならないと感じています。 2021年も皆さんのお祈りに支えられました。この場を借りて感謝を申し上げます。

2022年が神さまの祝福に溢れた年となりますように。(有明海のほとり便り no.241)

天国ではなく地獄の中に

先日のニュースで、新型コロナウイルスの影響によって、貧困に陥った子どもたちが世界で「1億人」増えたとありました。とてつもない人数に、想像も尽きませんが、日本における全人口1億2530万の内、15歳未満は1492万5千人なので、おおよそ日本にいる15歳以上の人たちすべてに該当する「子どもたち」が、一気に貧困に陥ったと考えることが出来ます。それが子どもにどのような影響を及ぼすのか、私たちはここで立ち止まり考える必要があります。そして、本当にこのままでよいのか、これで神の国を実現できているのかを振り返りたいと願っています。

この日本でも新型コロナウイルスによる傷は広がっています。特に非正規雇用をはじめとする不安定な雇用環境で職を失った人たちも増えています。自死された女性たちの数も増加しています。そのような中で、札幌北部教会の久世そらち教師(教団副議長)が、ブログに次のように綴られていました。

数十年前、日本基督教団では「職域伝道」を掲げ、労働者の課題を担おうとしていました。そんな中で炭鉱での働きに携わった矢島信一牧師が、芦別で目のあたりにした炭鉱事故を報じ、「地獄化した様相は、炭鉱のみならず各方面で進行している。教会の使命と責任は天国ではなく地獄の中にある」と記しました。いま、まさしく「地獄化した」労働の現場に、教会の使命と責任があることを自覚すべきではないでしょうか。
救い主キリストの到来をまず知らされたのは、夜通し働いていた羊飼いたちであったことを思うのです。

「教会の使命と責任は天国ではなく地獄の中にある」という深いメッセージを、このアドベントのひと時、改めて胸に刻みましょう。(有明海のほとり便り no.240)

『宣教の未来 五つの視点から』

教団出版局より、『宣教の未来 五つの視点から』という本が出版されました。5名の方たちがまったく異なる視点で宣教について論じています。

実は先週教区の委員会があった際に、著者の一人である深澤奨教師(佐世保教会)から近々出ることを伺っていたので、早速読みました。深澤教師は「教会のダウンサイジングと持続可能性」というタイトルで、九州教区教会協力委員会(教会同士の互助を呼びかけ運用する)の働きを通して考えたことを綴られています。

能楽師の話しが紹介されていました。能楽師の世界では、師匠から笛を引き継ぎますが、すぐにいい音は鳴りません。何年も稽古を積み重ねてようやくいい音が鳴るようになります。鼓の革も「この革は今は鳴りません。でも、毎日打ち続けて50年経てば鳴り始め、一度鳴れば600年は使えます」と言われたりするそうです。

これは能の世界のお話しですが、教会においても全く同じだと思いながら読みました。今はまだ良く鳴らない笛や鼓のような教会が、九州にはたくさんあるのではないでしょうか。伝道を始めてから50年経っても、100年経っても、思うような福音の音色を町に鳴り響かせることができない。でも、鳴らないかと言って吹くこと打つことをやめてしまったら、それが鳴り始めることは絶対にないのです。いい音を出すのは100年、いや150年後かもしれません。もしかしたら、わたしたちの代では成し遂げられないのかもしれない。そうであってもあきらめずに、信じて吹き続け、打ち続ける。次の代に引き継いでいく。それができるように互いに支え合い続けるのが、わたしたちの互助の働きだと思うのです。(p.58-59)

荒尾教会のような小さな地方教会が、それぞれの地で福音を高く鳴り響かせる時を信じ、互助献金を捧げていきましょう。(有明海のほとり便り no.239)

創立75周年記念礼拝を終えて

創立75周年を迎え、先週は岩高澄(きよし)牧師を大阪よりお招きし無事創立記念礼拝を行うことが出来ました。礼拝には小平善行牧師もお越し下さり、愛餐会では丁寧なご挨拶をいただきました。

岩高先生を新大牟田駅にお送りした次の日、先生より御礼のメールをいただきました。

私にとっては、懐かしさと、旧知との出会いと、新たな出会い。
荒尾教会の今日の姿と佐藤先生の働き、75年の歴史。からだ一杯に感謝と喜びを頂いた3日間でした。

3年間という短い間だったにも関わらず、ものすごい熱意を持って荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園のために尽くされ、寝る間を惜しんでの日々でした。その頃に教諭として働かれた、Nさんのお話しを一緒に伺う機会がありました。すると涙ながら岩高先生との当時の出会いを語って下さったのが心に響きました。

また、最終日のインタビューを通して驚いたのは、岩高先生が目指された幼児教育も、小学校のような一斉保育ではなく、素材(遊具・環境)を整えて子ども自らが遊びを深めていく教育だったということです。子ども自らに育つ力があることを信じ、応答的・対話的に関わっていく保育は、いままさに注目されている保育ですが、元来キリスト教保育が願ってきたことです。なぜならキリスト教保育において、子どもたちは神の子(かけがえのない命)であり、豊かな賜物(タラント)を一人ひとりに授けて下さっているからです。岩高先生が始めていった保育は後に、小平善行牧師にも継がれていきますし、まさにいまのめぐみ幼稚園が目指しているキリスト教保育です。

最後に、記念礼拝の準備のために祈り多くのご奉仕をして下さった、教会員の方たちに心より感謝いたします。(有明海のほとり便り no.238)