夫婦(家族)別姓

我が家は「別姓」で生活をしているので、初めてお会いする方たちの中には、少し混乱される方もいらっしゃいます。一日も早く「夫婦別姓」制度が実現することを願いつつ、今は暫定的に私が戸籍名を「後藤」としているので、子どもたちも「後藤」で生活しています。つまり「家族別姓」なのです。病院や銀行などで「後藤」姓を使わざるを得ないのですが、「後藤さん」と呼ばれても、自分のことが呼ばれているのに気づかないようなときもしばしば。「何だか不自由な社会だなぁ」とつくづく感じています。

一番問題に感じるのは、姓の選択の自由があると言いながら、実際は女性が改姓するケースが96%にも及ぶという事実です。これは「女性が結婚したら夫の姓を名乗るもの」という旧来の「家制度」(〇〇家に嫁ぐ)から来る考え方が根強く残っているからです。世界的に見てもこのような制度が残っているのは日本くらいですし、もちろん聖書が語る福音とは逆行するような考え方です。

「姓を変える」というのは思っている以上に様々な所に不具合が生じます。免許や銀行などの名義変更ももちろん面倒なのですが、研究者などの場合はこれまでの業績が分かりづらくなってしまったりもします。ましてや名前というアイデンティティに関わる根幹を揺るがすものでもあるのです。

ここ数年、選択的夫婦別姓制度が国会でも実現に向けて、ようやく少しずつ動き始めました。「選択的夫婦別姓制度」とは、これまで通りの「夫婦同姓」も、変えない「夫婦別姓」の自由も認めるものです。 先日の最高裁判決では「別姓訴訟」が敗訴しましたが、裁判官15人の内、夫婦別姓を認めないことは違憲と判断した4名の裁判官による意見には希望を感じるものでした。(有明海のほとり便り no.217)

岩高澄牧師、創立記念礼拝へ

この11月に荒尾教会は創立75周年を迎えます。教会総会でもお伝えしましたが、この機会に小平牧師の前任者である、岩高澄牧師を創立記念礼拝に招こうと役員会では企画しました。ただ…、教区事務所に行く機会もなく、岩高牧師の連絡先を調べるのに少し手間取ってしまいました。ようやく農村伝道神学校の(かなり古い)同窓会名簿を見つけ、昨日電話をかけてみました。

すると、「とっても」元気そうなお声に安心すると共に、逆に励ましをいただきました。岩高先生は現在86歳(!)で普段は東梅田教会に出席されています。なんとこの春までは、月1回ずつ別々の教会の説教奉仕を担っていたそうです。おそらく、牧師が代務や兼務の教会で、毎週の説教が難しい所を先生がサポートに行っていたのでしょう。その姿にただただ尊敬の念を覚えました。話しは共通の知人たちのことへと広がり、それぞれ嬉しそうに話して下さいました。

さて、このままでは言いそびれてしまうと若干焦り気味かつ恐る恐る、創立記念礼拝の話しをすると、快く(!)引き受けて下さいました。その際、先生が笑いつつ「もちろん新型コロナウイルス感染状況によってか、私自身の寿命で出来ないかもしれませんがね」とおっしゃったのが胸に響きました。与えられた人生を、自分のためではなく、神さまのために最後まで歩まれていることを感じたからです。

先生と話し合い、11月第3主日の21日に創立記念礼拝を持つこととしました。ちょうど収穫感謝礼拝と重なります。岩高先生が荒尾教会を牧された期間は短かったと伺っていますが、でも確かにこの地に福音の種を蒔かれていかれました。その「霊の実り」を、共に分かち合う時となることを祈りましょう。(有明海のほとり便り no.216)

コロナ禍とオリンピックと

コロナ禍にあって、もともとこの日本社会が持っていた「女性の生きづらさ」がさらに深まり、女性の自死が大幅に増え続けています。

『家事労働ハラスメント』(岩波書店)を書かれた竹信美恵子さんは、コロナ禍が「非正規女性の一人負け」状況を生み出していることを指摘しています(『福音と世界』6月号)。

…「ケアする性」とされる女性はこれまでこうした「対面方式で人を癒す」職場に重点的に配置され、しかもその多くは契約を打ち切りやすい短期雇用の非正規だ。…女性たちは、「夫セーフティネット」を理由に公的セーフティネットの外側に置かれてきたが、それも機能しなくなった中でいま、「単発・細切れ雇用セーフティネット」で命をつなぐ。それさえもがコロナ禍で壊れた、という構造が見えてくる。…女性たちは、家事育児を軽視した働き方設計は変えられないまま「活躍しろ」と命じられ、家事育児を後回しにすると「わきまえない」と非難される。

都市部を中心に深刻化していっているこの歪が、この荒尾にも影響を及ぼし始めています。特に私を含む男性たちが、その事実に気付き回心していかねばなりません。

また、「セーフティネット」がどんどん機能しなくなってきている中で、荒尾教会は「魂のセーフティネット」として隣人に仕え、荒尾めぐみ幼稚園は幼保連携型認定こども園として、「子どもたちのセーフティネット」として各家庭を支えていきたいと祈り願っています。

コロナ禍の中で仕事や住まいを失った女性たち、困窮している家族、自死に至る方たちがこれだけ増えているにも関わらず、莫大な財源を東京オリンピックに使ってしまうことに大きな違和感を覚え、開催中止を求める署名に私も賛同しました。42万人を超える人たちが賛同しています。(有明海のほとり便り no.214)

神学書と牧師館

神学校時代にとてもお世話になったY牧師より、大量の本が届きました。全部で8箱(!)にもなりました。(普段だったらHさんから冷たい目線が届くのですが、「Y先生なら」と無事危機を逃れることが出来ました!)。Y先生いわく、それでもまだまだ本が残っていて「本箱を見ると隙間ができたのはわずかだけ」とのこと。「牧師あるある」で笑ってしまいました。

Y先生は東京・番町教会の新会堂建築を無事終わらせ退任されると、すぐにある教会の代務へ。昨年春に後任を招聘することが出来、ようやく隠退生活に入られています。もう使うことはないからと、送って下さったのです。

牧師の場合、現役時代に本は増え続けて牧師館のスペースを圧迫していきます。しかも大概は神学書なので、安いものでもありません。概算したら相当な金額になるのではないでしょうか。

けれども、現場に出ると、中々集中して読書する時間が取れないのも事実です。いま振り返れば一番集中して神学書を読めていたのは、神学校時代でした。にも関わらず、多くの神学生はアルバイトをしながらギリギリの生活を送っているので、神学書を買うお金がありません…

時々、神学校に隠退牧師から大量の神学書が届くと、みんなで「争奪戦」を繰り広げます。じゃんけんで順番を決めて、一冊ずつもらっていくのです。人気(?)作品になると、それを誰かが手にした瞬間「あぁ~!」と残念がり、「これと交換しよう」と交渉が始まりした。こちらも強い思いがあって手にした一冊は、不思議と今でもよく覚えているものです。

今回、神学校時代に逃し続けていた一冊『キリスト教平和学事典』が入っており、一人大興奮。もちろん来年正教師試験を控えている原野先生にも、沢山おすそ分けしましたよ(^_-) (有明海のほとり便り no.212)

KAPATIRAN -カパティラン-

毎年のクリスマス献金や幼稚園でコツコツと貯めた献金は、少しずつ宛先を変えつつ様々な所に送っています。特に幼稚園からの献金は、子どもの<いのち>に関わるところへ送ることを心がけています。

この3月には、荒尾・大牟田での水害支援をしている「九州キリスト災害支援センター」、放射能汚染から子どものいのちを守る働きをしている「会津放射能情報センター」および「放射能問題支援対策室いずみ」、アイヌ民族の子どもたちのための「アイヌ奨学金キリスト教協力会」、「新居浜子ども食堂」を続けられている新居浜教会へ献金を送ることが出来ました。小額ですが、献金を送ることで祈りが繋がっていければと願っています。

特にキリスト教会の働きとして、小さくとも決して諦めずに、子どもたちの<いのち>のために働く団体が多いことに気付かされています。その一つに日本聖公会東京教区による「カパティラン」があります。私の友人が理事長として頑張っておられ、自身も仕事で忙しいにも関わらず、折に触れてFacebookでカパティランのことを分かち合ってくれています。

ホームページにある歩みを見ると、1988年に教会へ来てくれたフィリピン人女性への英語ミサを提供することから始まったそうです。いまの大きな働きは外国にルーツに持つ若者たちの支援です。両親が働きのために日本に移住し、一緒に来た子どもたちの中には、経済的な貧困や日本語習得の機会が十分になかったために、学びたい意欲や学力はあるにも関わらず、進学や修学を諦めなければならないケースが多くあります。そういった子どもたちを給付制の奨学金で支えたり、「ごはん会」や「サマーキャンプ」で居場所づくりを行っています。まさにキリストに繋がる働きではないでしょうか。今年はカパティランにも献金を送りたいと願っています。(有明海のほとり便り no.211)

キリスト者の「自由」が持つ二側面

引き続き『ルターの心を生きる』(江藤直純著)を読み進めています。

宗教改革者マルチン・ルターの最も有名な著作は『キリスト者の自由』(1520年)でしょう。世界史の授業の中で、その名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。ルターはその冒頭で2つの命題を示しました。

「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも服しない」
「キリスト者はすべてのものの仕える僕(しもべ)であって、だれにも服する」

「自由な主人」であると「同時」に「すべてのものに仕える僕」であると言うのです。矛盾しているように聞こえますが、ルターの中ではまったく矛盾していませんでした。ポイントは「自由」理解にあるようです。

自由は社会的な拘束からの自由にとどまらないのです。パウロやルターが強調したのは、「罪からの自由」であり、善い行いという律法の軛からの自由なのです。身体的束縛や抑圧からの外的自由に加えて、内的、霊的な自由が強調されています。(p.146)

キリスト者には、この一方的な恵み(十字架の福音による「赦し」と「解放」)が与えられているからこそ、「自由な主人」なのです。けれども、ルターが示す「自由」はそこに留まりません。

「福音」とは「…からの自由」だというのは、事柄の半分だということです。自由にはもう一つの側面があるのです。それが「…への自由」なのです。…自由になったのだから、一切の義務から解放されたのに、あえて愛すること、つまり、そうやって他者に関わること、その相手のためにわざわざ苦労を引き受けること、すなわち仕えること(p.146-147) 

ますます「自由」が束縛されている日本社会で、「…からの自由」と「…への自由」を、キリスト者として胸に刻みたいと願っています。(有明海のほとり便り no.210)

教区互助献金の働きについて

九州教区総会の議案説明会がオンラインであり、牧師館のパソコンで参加しました。教区としても初めての試みであり、準備が大変だったはずです。にも関わらずスムーズな進行で3時間を予定していたところを、2時間半で終了することが出来ました。

普段、私たちが教会生活をしていると、中々教区の働きを感じることはないかもしれません。けれども、教区は私たち教会が、教会だけでは力も資源もない中で普段できないことを、してくれています。教区宣教基本方策にある図に、その多様性および重要性が記されています。

この中で、互助献金の働きを担っているのが「教会協力委員会」です。教区内で教師の謝儀保障援助金を必要とする教会・伝道所は9つあります。

けれども完全に生活を保障するものではなく、あくまで援助金であり、それぞれが副業をしたりしながら、教会の働きを担っておられます。梅崎浩二教師が委員長として次のように書かれています。

己の衣食のみに腐心して何のキリスト者か、自教会のみ、或いは己が好む集団をのみ思うて何のキリスト教会か、信徒も教師も主の御働きの広がりを覚えてますます、喜んで献げる者でありたいと願う。」

先日、荒尾教会から2020年度の互助献金が振り込まれていないことを、委員会の方から教えていただきました。すぐに会計役員より貯めていたものを振り込みました。今年度は反省を活かして年2回に分けて振り込んでいきたいと思います。(有明海のほとり便り no.209)

『ルターの心を生きる』江藤直純著

キリスト教保育連盟熊本地区には日本福音ルーテル教会の園がとても多く最初は驚きました。YMCAの園も多いのですが、そこの園長が出席されている教会もルーテル教会が多いように感じます。日本キリスト教団の園は少数派なので、他教派との出会いが豊かに与えられとても感謝しています。

そのような中で、いつかマルチン・ルターについて腰を据えて学び直したいと願っていました。(中々出来なかったのですが…(^_^;)。すると先週の地区総会の会場で、ハレルヤ書店が書籍の販売をして下さっており、何気なく眺めていたら、『ルターの心を生きる』という本を見つけました。しかも著者は江藤直純教師で、長く日本ルーテル神学大学で教えられた方であり、農村伝道神学校に通っていた時に、特別講義に来て下さっていたのです。早速購入し、少しずつ読み始めています。

ルターの神学で核となる「自由」「恵み・聖書・信仰のみ」などをとても分かりやすくまとめており、目から鱗の連発です。いつかみんなで読書会をしたい本となりました。

罪の赦しの福音のゆえに、罪や悪、死の力の束縛から解放されて自由となっているのがキリスト者の本質ですが、そこにとどまらずに、自由にされているがゆえに、その自由を用いて、喜んで他者に仕える者、奉仕をする者になっていくのだ、と言っていると思えてならないのです。……よく言う「~からの自由」は人間を抑圧する社会的な悪や内面的な罪から解放することとしてとても重要なものです。普通の国語辞典で「自由」を引けば自由とはこの意味でのことだと説明しています。しかし、聖書とそれに拠って立つルターは、「~からの自由」にとどまらないで、さらに一歩進んで「~への自由」へと招くのです。(p.26-27)

地方教会として

今年度も教区総会は書面決議となりました。新型コロナウイルスによって、年に1回顔を合わせることを楽しみにしていた友人たちと長く会えなくなり、どこか疲れを感じているのは私だけではなさそうです。

総会資料に目を通していると、日下部遣志教師による議長挨拶に心打たれました。日下部教師は田川教会に8年、そして今の川内教会で16年目となります。この春、2番目の娘さんが関西の大学へと進学されました。教区のソフトボール大会などで会う度に、うちの子どもたちといつも一緒に遊んでくれる、とても素敵な娘さんです。

2番目の娘は、高校3年間、子どもや幼稚園保護者を誘って教会学校を盛り上げ、礼拝後は玄関に立って、帰って行く教会員に手を振って最後の一人まで見送りました。若者の新しい出発は喜びではありますが、教会にとっては涙、涙。寂しい思いで一杯です。地方の教会はそのようにしてようやく信仰に導かれた大切な若い信徒を送り出し続けてきたのです。

日本社会における<地方の縮図>が、地方教会にもあります。地方教会は「苗床教会」として、地元の若者たちを都市部の教会へ送り出してきた、という面があるのです。けれども、それすらも難しくなってきた現実もあります。荒尾教会はどうでしょうか。

それぞれの教会で精一杯歩みつつ、荒尾教会にとっての山鹿教会のように、他教会とも繋がっていくことで気付かされることが一杯あります。地区・教区・教団の繋がりを祈り深めていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.207)

よきリードの力をお与えください

『信徒の友5月号』が届きました。パラパラとめくっていると、その最後の方に、教団出版局からの新刊紹介が出ています。何気なく見ていると、『礼拝と音楽』『教師の友』の紹介が並んでおり、両方に「小さく」自分の名前が!たまたま私が寄稿した両誌のタイミングが重なったのです。おそらくわたしの人生で、もう二度とないでしょう(^_-)

特に5月号はペンテコステを覚えて、聖霊の導きの中で歩まれている信徒の証しが沢山掲載されており、胸に響くものばかりでした。どうぞお手にとって読んでいただきたいと願っています。

その証しの一つに、Nさん(宮崎教会員・オルガニスト)のものがありました。Nさんのお父さまは奄美にある喜界教会を長く牧会された故・M牧師です。Nさんは就職で東京に出られてから1年間、教会を離れていた時期もあったそうです。再び教会に行くようになりますが、奏楽奉仕は断られていました。けれども、お連れ合いの転勤で鹿児島に引っ越したとき、当時鹿児島教会を牧会されていた布田秀治牧師(仙台・いずみ愛泉教会)と出会い、パイプオルガンの奏楽者としてレッスンを受けるうちに、どんどんその魅力にはまっていったのです。いまは、再びの転勤で宮崎へ行った際に出会った宮崎教会で、奏楽者として奉仕されています。

奏楽者としていつも心がけて
礼拝前に祈る言葉があります。
「会衆一同が高らかに賛美できるよう、
よきリードの力をお与えください」。
布田牧師がいつもお祈りしてくださった
言葉を思い出して祈るのです。(p.61) 

奏楽者の奉仕は、ついつい当たり前のようにされてしまい、忘れられてしまいがちです。けれども私たちの賛美そして礼拝を豊かにするかけがえのない奉仕であることを覚え、祈っていきましょう。(有明海のほとり便り no.206)