完璧な献げものなんてない

Forget your perfect offering. There’s a crack in everything. That’s how the light gets in.(完璧な献げものなんか忘れなさい。すべてにひびがあり、そこから光が差し込むのです。)”

アメリカ・セントルイスにあるPeace合同教会のウェンディ・ブルーナー牧師により、説教前の短い祈りの言葉が胸に響きました。

私自身を振り返ると、完璧を追い求める傾向が強く、大分そこから自由になったと思ったら、またそこに戻ってくる…の繰り返しです。イエス・キリストの福音宣教についても、完璧さを追い求めがちです。そして、その「完璧さ」が自分を苦しめます。到底そんなことは出来ないのですから。

ちょうどこの言葉をYouTubeで聞いた時、自分の中で様々なことがモヤモヤしていた時でした。新型コロナウイルスの蔓延を目の前にして、様々なことが重なりました。

けれども、ウェンディ牧師が指摘するように、私たち人間に「完璧な献げもの」は不可能であり、「すべてにひび」があるのです。まさに土の器(IIコリ4:7)なのです。「完璧さ」を追い求めてしまうというのは、「すべてにひび」があることを受け入れられていない証拠であり、あたかも「自分が神になろう」としてしまうことです。

「ひび」は私たち人間の目からしたら欠点であり、弱さかもしれません。けれども、神さまはこの「ひび」にこそ光を、愛を注ぎ込む方なのです。ウェンディ牧師の祈りにはその信仰が込められています。 「(神の)力は弱さの中でこそ十分発揮される」(IIコリ12:9) (有明海のほとり便り no.156)

♯はなれていても、つながっています

2020年度最初の主日礼拝です。本日から山田原野教師は荒尾教会の副牧師となって下さることを心から感謝いたします。

日本社会・世界全体は新型コロナウイルスの影響で、明るい見通しを見出すことは出来ません。けれども、こういった時にこそ傍らに共にいて下さるイエス・キリストを信じ、そのぬくもりを周りの方たちと分かち合っていきたいと願っています。

YMCAが「安全のために、はなれていても、わたしたちはつながっています」というメッセージを発信しています。田口努総主事がこのように書かれていました。

この世界的危機の中、社会的な不安の中で、皆さんの身近な地域で、より小さく、弱くされている人が、より不安や困難の中にあることを覚えます。高齢者や、子どもたちや母子世帯、障がいのある方は、日常の居場所や活動、学びや働きの場を失い、海外につながる方も情報格差の中にあり、より孤立化しやすい状況にあります。この週末は、感染が急増している若者、青年たちへ自粛を求めるターゲットとなっています。この孤立感や閉塞感が漂う中で、YMCAは、声を上げメッセージを出していきたいと思います。それは、「♯はなれていても、つながっています」 というメッセージです。

孤立ではなく繋がりの中を歩んでいきましょう。(有明海のほとり便り no.155)