九州教区総会を終えて

一泊二日の九州教区総会が無事に終わりました。これまでは5月2日のKさんの誕生日に重なることも多かったのですが、今年は家族みんなでお祝いをすることが出来ました。

今回は議事運営委員会の招集者に選ばれたため、議場の前方に座り、タイムキーパーとして議長団と打ち合わせしつつ、議場に議事進行に関して様々な提案をしました。今までの教区総会で最も発言した総会となりました。その影響なのか(?)、10月末に予定されている教団総会議員に選ばれました。こちらは二泊三日で東京・池袋で開催され全国の諸教会から集います。正直、いまの教団は対話の土壌を失いつつあり、何を言っても徒労感しか残らないように思います。それでも選ばれた以上は、しっかりと信じるところを伝えられるように努めたいと願っています。

教区総会で大きな議論となった一つは、教区予算を巡ってでした。いま九州教区は赤字決算・予算を立てざるを得ない状況が続いています。そこには信徒数の減少に伴う献金の減額などが挙げられます。

そのような中で、昨年度教師謝儀保障援助金を受給した教会は、9教会・合計1593万円ありました。ただし、一教会最大200万円までです。もちろん教会からの謝儀があっての上ですが、そもそも謝儀が満たない中での援助であることを踏まえる時、各受給教会の教師たちの生活がギリギリであることは想像に難くありません。教区予算が苦しいからと言って、誰一人として教区互助の予算を削減しようという人はいませんでした。そこにわたしは連帯と祈りを感じました。

荒尾教会でも教区互助献金をこれからも大切に捧げていきましょう。(有明海のほとり便り no.360)

九州教区に立つ教会として

明日から2日間、九州教区総会が開かれます。信徒の方たちにとっては、教区は少し遠く感じられるのではないでしょうか。けれども実は、教区はわたし達の宣教に深く関わっています。荒尾教会でも、無牧師となることを避けるために、教区に相談してきたことが歴史の中で度々あります。また、わたし自身、様々な課題にぶつかるたびに、教区で繋がった方たちに相談させていただいています。教会にとってのセーフティネットでもあるのです。

 総会資料と一緒に「共生の明日をめざして~協力・連携・互助~」と題した、一冊の報告書が送られてきました。昨年、熊本で開催された宣教会議の報告書なのですが、そこでY教会のAさんが発題をされており胸を打ちました。Aさんのお連れ合いが牧会されているY教会では、15年の間に教会員の方たちが高齢化などにより10人以上減り、毎年のように赤字決算が続き、2016年から教区の互助を受けるようになったそうです。

会計役員が予算を組んでいて、どうしても赤字になってしまい、予算が立てられないことがあります。献金の予算を高めに設定し、削れるところは削り、据え置かれた謝儀を減額して何とか予備費のある予算を立ててきました。…Y教会では、謝儀以外の予算を立て、残ったものを謝儀に充てるという苦渋の選択をしてきました。…互助をいただくようになって、謝儀を一時期増額できたのですが、2018年度から再び年々減額しています。

 そのような中で、Y教会は教会互助献金を自ら捧げています。 荒尾教会では教会互助献金として2023年度は119,100円を教区に捧げることが出来ました。互助を必要としている教会は増えつつあり、同じ熊本地区にも1教会が互助を受けられています。これからも共に福音を分かち合う仲間として、祈り支え合っていきましょう。(有明海のほとり便り no.359)

武本喜代蔵(1872-1956)

月刊誌『福音と世界』で、東京基督教大学の山口陽一教授「『日本的キリスト教』を読む」と題して連載をされています。「日本的キリスト教」とは戦前から戦中にかけて見られた思想で、キリスト教信仰と「日本的」なものを無批判に繋げようとしたものです。当時の「神国」と聖書の「神の国」を無批判に繋げ、天皇制への迎合だけでなく、戦争賛美に至るものでした。その濃淡はあるものの、多くのプロテスタント教会の牧師や信徒に、この傾向が見られました。連載では、当時の代表的なキリスト者たちにどのような「日本的キリスト教」の要素があったかを解き明かしています。

昨年の7月号では武本喜代蔵(1872-1956)という組合派の牧師の、『日本的基督教の真髄』という著作を取り上げています。

自分は何も彼も疑うてゐるが、一つ疑へぬものがある。それは自分は今霊に渇いてゐる淋しくてたまらぬと云ふ事であった。その時の事を思ひ出した。内に渇きがあり、外に水がある。それをグイと飲んで何とも云へぬ快感と満足を覚える。そして元気になって働きさへすれば、理屈はどうでも好い。それが即ち真理に相違ないと決心したのである。それ以来一時疑うたキリストをその儘信じ、祈って愛を実行するとともに、心身爽快となった。アゝこれだ。神は自分をこゝに導かうとしてをられたのだと感謝し、爾来今日迄四十年間信仰の土台は揺がないのである。 (p.195-196)

このように明快な信仰を抱くようになった武本ですが、同じ本の中で「基督教の日本化は外形的なことではなく、皇祖皇宗より伝わり来た唯神の道、君と国への至誠献身の道である」(山口p.59)と綴っていきます。

信仰者として、歴史・社会の中で何を信じ告白していくのか、改めて問われています。(有明海のほとり便り no.358)

『迷える社会と迷えるわたし』

精神科医・香山リカさんの著書です。香山さん自身は、「長く長く求道中で、時間があるときには日曜礼拝に出かけている」(p.3)ことを知りました。香山さんは九条の会をはじめ平和や人権についても数多く発言されておられ、そのような香山さんが、日本のキリスト教会のことについて語っています。

月乃さんたちは教会に行くようになって、そこで仲間を見つけて止まり木のような場所として教会という場を発見して、そこから次のステップに行った。…いまの競争社会、学校や企業ではない、うまくボランティアグループとか若者の小さなグループとかを見つけて、ここだと思えればいいけれど、自分の身近に同じ仲間がいるとは限りません。そうなったとき、月乃さんがそうだったように、教会はどこの地域にもあって、そこには人がいて定期的に礼拝をやっていたりする。(pp.19-20)
治療も構造化して決められた時間、決められた場所に毎週行くことで本人も心がしっかりと整理されそこを中心として生活や心の中が立ち直っていくということがあるんです。私は、教会の礼拝に毎週日曜日の何時という時間に来る。そこに行けば礼拝が行われている、守られている。例えば調子が悪くて行けなかった、でもいまやっているだろうな、あるいは来週行けばまたやっている。…基本的には1回同じところへ行けば同じようにやっているという精神科の医療の進め方と教会のあり方はちょっと似ているところがあるのかなと思うんです。(pp.22-23)

幼児教育、特にインクルーシブ保育の現場では「構造化」という言葉が度々出てきますが、同じような視点で教会における礼拝を考えたことがなく、とても新鮮でした。

「とまり木」のような荒尾教会を目指していきましょう。(有明海のほとり便り no.357)

両園を覚えて

昨日は、お天気にも恵まれ無事に霊泉幼稚園入園式を行うことが出来ました。5名の新入園児・ご家族が出席して下さり、とてもあたたかい出会いの時となりました。

いつも思うのですが、霊泉には、荒尾めぐみとはまた一味違う空気が流れています。そこで働いて下さっている教職員・園舎・子どもたちすべてが違うので、当たり前といえば当たり前です。けれども、不思議と荒尾めぐみと同じような温度も感じるのです。とても温かく、陽だまりのようなポカポカした感じです…☺。特に霊泉では少人数だからこそ、とても手厚く丁寧に関わることが出来ています。

いよいよ今年度は園舎建築の年となりました。つい先日、国から補助金の内示が出たと山鹿市から報告があり、準備も本格化してきています。全体として3億円規模のプロジェクトです。霊泉はもちろん荒尾めぐみにとってもそのような金額を扱ったことはなく、学法として果たして本当に成し遂げることが出来るのか大きな不安もあります。けれども、1月から呼びかけた霊泉の園庭改修工事用の献金において、すでに69件・合計723,000 円もいただいており、これが大きな励ましになっています。本当に小さなわたし達を覚えて祈り献金を送って下さる方たちがこんなにもおられるのです。

荒尾教会が建てた荒尾めぐみ幼稚園も、山鹿教会が建てた霊泉幼稚園も、いま社会的にも組織的にも様々な課題に直面していますが、子どもたちのために、神さまのために、try and learnで歩んでいきたいと願っています。

「主の招く声が聞こえてくる。こんなに小さな私たちさえも、みわざのため用いられる」(讃 21-516)ことを信じ、共に支え合い補いあいながら、歩んでいきましょう。どうか両園のことを覚えてお祈り下さい。(有明海のほとり便り no.356)

“Life of the Beloved”

先週のイースター礼拝で紹介したヘンリ・ナウエンの著作です。ナウエンはイェール大学やハーバード大学で神学を教えていましたが、それらをすべて投げ捨てて、ラルシュ共同体で暮らすこととしました。そこでは、「なかま」と呼ばれる知的ハンディを持つ人たちと、生活を支える「アシスタント」と呼ばれる人たちが、祈りを中心とするフループホームで共同生活をしています。ナウエンはラルシュ共同体で「なかま」として、一人の司祭として、生活を共にしていたのですが、ある時、聖餐式で分かち合われるパンが、わたし達の人生を導く大切な指針になることに気付かされたのです。

イエスは「パンを取り(take)、賛美の祈りを唱え(bless)、それを裂き(break)、与え(give)」ました。

Taken わたし達も一つのパンとして神に取られ(taken)ました。一人ひとりは神に「選ばれ」「愛されて(beloved)」います。
Blessed そして神は、わたし達一人ひとりに人を生かす<いのち>の言葉、祝福を与えて(blessed)います。
Broken けれども、人生の中で身が裂かれる(broken)な出来事に出会うことがあります。にも関わらず、神さまはまったく変わらずに一人ひとりを選び(take)愛し(love)、いのちの言葉を与える(bless)のです。
Given このように神に愛されているわたし達(the Beloved)は、独り子イエス・キリストが隣人のために生きた(give)ように、自分自身だけでなく隣人のために用いられる(given)ように招かれているのです。

聖餐式で用いられるパン、イエスが最後の食卓や5000人もの人たちと分かち合った時の食卓を、人生のガイドとしていきましょう。(有明海のほとり便り no.355)

今野和子先生を覚えて

3月28日に独立学園高校時代の恩師・今野和子先生が召天されました。和子先生は生物の先生で、わたしの関心は数学や物理だったので実は一度も授業を取ったことはありません。けれども、小さな全寮制の高校で、敷地内にある和子先生とお連れ合いの利介先生のお宅へ、よく遊びに行かせてもらいました。平和や非暴力の大切さ、おすすめ本など話題は多岐におよびました。

夏休みに6人位で朝日岳を登山した時のことです。引率が必要だったので、和子先生にお願いしたところ快諾して下さり、電車を乗り継いで登山口で一泊、山頂付近の山小屋でも一泊して帰ってきました。体力的にかなり無理をさせてしまったのではないかと思います。その帰り道、和子先生が木陰の合間に丸い太陽の光が差し込むピンホール現象を教えてくれました。好奇心旺盛な科学者・教育者であり、オルガニストであり、あたたかい信仰者でした。

和子先生は恵泉女学園のご出身で、実はそこで荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園の創設者・宮崎貞子先生と出会われていたのです。

宮崎貞子先生!私が恵泉に入学した1946年、まだ恵泉にいらっしゃいました。河井寮でお食事ご一緒でした! 間もなく恵泉を辞されたので、その後のことは全く知りませんでした。荒尾教会の礎を作られたのですね。
その教会を今、真史さんが牧会している?! 神様のみ手の中で時空を超えてつながっている不思議さ!  (2022年11月9日Facebook) 

和子先生が宮崎貞子先生に恵泉でお世話になったのは78年前。わたしが和子先生にお世話になったのは25年前。誰一人としてこのような繋がりが生まれるとは、思いもしませんでした。和子先生から、この荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園での働きが神さまからの導きであることを教えられ、祈って下さったことを胸に刻んでいきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.354)

評議員会を覚えて

本日は礼拝後、学校法人熊本キリスト教学園評議員会が行われます。評議員会は、諮問機関として学法が運営する両園の各事業内容について、調査・審議することが目的です。

評議員には荒尾・山鹿両教会の教会員はもちろん、大牟田正山町教会・めぐみ幼稚園のE園長や、保護者でかつご自身卒園生でもあるKさん、また小平善行隠退教師にも入っていただき、3月(次年度予算)と5月(前年度決算)に年2回開催しています。それぞれとてもご多忙な中で、荒尾めぐみ幼稚園・霊泉幼稚園のことをいつも祈り支えて下さっています。

特に学法として最も大きな課題は、霊泉幼稚園の新園舎建築になりますが、約3億円のプロジェクトであり、評議員会でも大きなテーマとなります。また、日大の不祥事などにより、私学法が改正され、2025年度からは理事会と評議員会を完全に分離するなどのガバナンス強化が求められています。2024年度は改正私学法対応の準備期間ともなり、園舎建築と時期的に重なってしまいました。中長期的には、荒尾・山鹿で進む少子化という深刻な現実が目の前に広がりつつある中で、どのように両園を運営していくのかという重い課題があります。

両園ともに課題は尽きません。毎月の理事会で各課題について話し合い、それぞれの牧師園長を中心に対応していますが、正直途方に暮れてしまう時もあります。それぞれを孤立させないためにも、理事会や評議員会で話し合っていく場を大切にしていきたいと願っています。また、そのような時に「熊本キリスト教学園」として出来ることは、「三つよりの糸は切れにくい」(コへ4:12)ことを信じつつ、聖書を読み、神さまが示す道を祈り求めていくことだと信じています。(有明海のほとり便り no.353)

『わたしが「カルト」に?』

東北教区時代、親しくさせていただいた先輩牧師二名による本です。先月行われた熊本地区2・11集会で旧統一協会問題について学んでから、改めてカルト問題について深く学びたいと願い購入しました。

著者の竹迫之牧師(福島・白河教会)は、元統一協会の信者でしたが、東北教区においてこのカルト問題に長く取り組まれています。非常勤講師をされている宮城学院女子大の礼拝へ度々招いていただきました。また、齋藤篤牧師(仙台宮城野教会)は、被災者支援センター・エマオでわたしの前々任者であり、ドイツや東京の教会に離れてからもいつも支えてくれた方です。元エホバの証人だったことを、この本を通して初めて知りました。

脅迫を下地に、いわば呪いをかけることで人々を支配しようとする「カルト」と、今を生きている人たちに対してその存在を祝福する「健全な宗教」との違いは、既存の宗教団体においてもいまだに明示されていないといわざるを得ない現実があります。(p.41)
わたし自身、旧統一協会の元信者であるから言えることなのですが、「支配されている状態」というのは実は大変気持ちいいことなのです。自分自身で選択肢、自分自身で決断し、その結果について自分自身で責任を負うことは、現代では誰もが普通にやっている当たり前の生き方のように感じられますが、実は大変なタフネス(強い精神力)を必要とする、しんどい生き方なのです。…カルトのマインド・コントロールは、究極的には人生そのものを休憩に委ねてしまうように仕向けていきます。(pp.85-86) 

カルト被害が広がっている中で、わたし達は「カルト」と「健全なキリスト教」の違いを明確に語っていく必要があることを痛感しました。(有明海のほとり便り no.352)

Tさんからのお手紙

東北教区被災者支援センター・エマオは、ほぼ毎朝「七郷中央公園仮設」(仙台市若林区)の集会室へ通わせていただいた。その仮設で出会ったTさんは津波でお連れ合いを亡くされた。住んでいた荒浜は、災害危険区域に指定され集団移転になってしまったので、帰れなくなった。けれども、孝子さんはギリギリまで仮設から次にどこに引っ越していくのか、どうしても荒浜に帰りたかったから、決めることが出来なかった。仮設の退去期限が迫ってくる中、最後の最後に隣の多賀城という隣町に引っ越すことを決めた。運転が出来ないTさんは、荒浜の友人を訪問することが難しくなる。

そんなTさんが多賀城に移る直前に、エマオに宛てて一通のお手紙を書いて下さった。

みんなもこれからは別々の生活になると思います。これからが大変だと思います。これから私もどのような生活が待っているか分かりません…エマオさん、どこで会っても声をかけて下さい。…今までくらしてきた荒浜を忘れることは出来ません

手紙の最後には、「仙台市若林区荒浜」の住所が記されている。Tさんご家族が震災前まで住んでいた場所であり、今はもう更地になっている。仮設に住まれていた時は、この住所に送れば仮設に転送されていたが、もうそれも出来なくなる。この住所を使う最後のお手紙を、エマオに宛てて下さったのだ。

3・11から13年が経つけれど、Tさんは荒浜を決して忘れてはいない。荒浜でお連れ合いと過ごした日々、飼われていた犬、ご近所の方たち、すべてが詰まった歴史(herstory)。被災された方たちを忘れずに覚え続けていきたい。細くとも、小さくとも、ささやかな活動を繋げていこう。(有明海のほとり便り no.350)