岩高澄牧師園長を覚えて

11月5日(火)に岩高澄先生(6代目牧師・1971~1974年)が89歳で召天されたことを、小平善行先生よりご連絡いただきました。東梅田教会の東島牧師からも連絡をいただき、8日(金)に行われた葬儀に日帰りで出席してきました。

岩高先生は3年前の創立75周年記念礼拝にお招きしました。岩高先生は荒尾教会を辞されてからは、郵便局長となられ、東梅田教会をはじめ様々な教会を支えられました。農村伝道神学校の大先輩である岩高先生は、小さな地方教会での働きを志とし、四国の須崎教会や、この荒尾教会で牧会されました。農村伝道神学校も後援会長として後援献金を広く呼びかけて下さいました。いま農村伝道神学校の収入の大きな柱となっているのも、岩高先生のお陰だと聞いています。また、平和問題にも携われ、「大江健三郎・岩波書店沖縄裁判支援連絡会」の代表世話人をされたり、保護司の働きも担われました。大阪教区の各集会などにも、この春まで積極的に参加されておられたそうです。

荒尾教会での在任期間は3年間という短い期間でしたが、いまに繋がる大きな礎を築いて下さいました。多くの方たちが集まった葬儀の後に、二人の娘さんたちに、荒尾教会から来たことをお伝えすると、とても喜んでくださり「わたしも荒尾にいたんですよ」とお姉様が答えてくださいました。

創立78周年記念礼拝を迎えるにあたり、岩高先生の生涯を改めて振り返り、神さまがこの荒尾に岩高先生を遣わして下さったその恵みを覚えましょう。

生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。(ガラ2:20、岩高先生愛唱聖句)

(有明海のほとり便り no.386)

一呼吸もみな神さまのお恵み

召天者記念礼拝を迎えるごとに、キリスト教の死生観について思い巡らします。

「死生観」とは、生きることと死ぬことに対する考え方を指します。まずこの語意から分かることは、「生きる」と「死ぬ」は、切っても切り離すことが出来ないということです。わたし達、命あるものはすべて「いつか死ぬ」のです。「永遠に生きる」ということはありません。

命の有限性は、確かにわたし達に悲しみをもたらします。けれども、与えられている「いまを精一杯に生きる」ことをわたし達に与えるものでもあります。

神は創造のとき、「土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」(創2:7)とあります。つまり、人間のこの命は、他でもない神によって与えられたのです。ここに、キリスト教死生観の根っこがあります。この命は、人間ではなく神によって生み出されているのです。「息」はヘブライ語で「ルーアッハ」で、「霊」という意味もあります。単に、肉体的な「命」だけではありません。人間にとって欠けることの出来ない「心」そして「魂」を持った、完き(holistic)命を神は与えたのです。詩人・河野進は同じ日本キリスト教団の牧師でもありましたが、「一呼吸」という一遍の詩を遺しています。

どのような苦しみや  悲しみを吸うても
吐く息は  感謝と希望でありますように
一呼吸(ひとこきゅう)もみな
天の父さまのお恵みですから 

わたし達が一日に2万回以上もすると言われるこの一呼吸も、私たち一人ひとりを造られた神の息(ルーアッハ)であることを、日々感謝し、いまを精一杯生きていきましょう。(有明海のほとり便り no.385)

荒尾めぐみ幼稚園のMission(使命)

木曜の朝、Bと1マイル(1.6km)走って(先日1000日に到達😉)帰ってくると、門の前で70代のご夫妻が笑顔で迎えて下さいました。ご挨拶をすると、女性の方から、「濱邊達男先生の時代に子どもたちがお世話になりました」とお話しをして下さいました。さらに「小平善行先生の頃には保育補助としてもお手伝いさせていただき、とっても懐かしいです」と伺い、小平先生がいまお元気にされていることをお伝えしました。すると「本当にお世話になったんです」と涙を浮かべられました。荒尾めぐみ幼稚園で陽だまりのような思い出を作られたことが伝わってきました。とても感謝でした。もう30年以上前のことですが、この「温かさ」を繋いでいきたいと願っています。

また先週は、保健センターより心理士や保健師さんが来園されました。ミーティングが終わり帰られる直前に、一人の保健師さんが「めぐみさんはいつもケースが多く持ってくる書類袋がパンパンなんです。お世話になっています」と言われました。決して嫌味とか他意があるわけではなかったのですが、心に残るひと言でした。

もしかすると、小規模なわりに配慮が必要だったりするケースは、他園に比べて多いのかもしれません。けれども、「荒尾めぐみ幼稚園ならこの子が受け入れてもらえる。生き生きと過ごすことが出来る」と信頼して下さり、預けて下さっている結果です。

キリスト教保育の園に共通するのは「どのような子どもも受け入れる」という愛です。この根っこをこれからも大切にしていきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.384)

ジェフリー・メンセンディーク宣教師を覚えて

ジェフリー宣教師と初めて出会ったのは25年以上前にもなります。わたしがメンバーだったSCF(学生キリスト教友愛会・東京)は、春・夏にアジア学院(栃木)でワークキャンプを行っています。そこに仙台学生センターのメンバーやジェフリー主事も合流して一緒にキャンプをすることがよくあったのです。特によく覚えているのは、伊豆半島にある松崎教会で行われたワークキャンプです。当時牧会されていた星野正興牧師は畑や田んぼを自ら持ち、農民牧師として地域と共に生きるという尊い働きをされていました。ジェフリー宣教師たちと一緒に農家のお手伝いをさせていただいたり、教会に帰ってから星野先生のお話しを聞いたり、テゼの讃美歌を歌いシェアリングをしたり…。とても濃ゆいキャンプでした。

2011年3月11日、ジェフリー宣教師もご家族も東日本大震災を被災しました。そして仙台学生センターがある東北教区センター「エマオ」に、被災者支援センター・エマオが設置されたのです。大震災の只中で両方の「エマオ」に責任のあったジェフリー宣教師のご苦労と痛みは計り知れません。2012年春にわたし達が被災者支援センター・エマオに遣わされたのも、ジェフリー宣教師が招いて下さったからです。ジェフリー宣教師が仙台を離れてからも、いつも「エマオ」のこと、またわたし達家族を覚え、支え続けて下さいました。

いまジェフリー宣教師は桜美林大学で教えつつ、『<尊厳>のリーダーシップ』(ドナ・ヒックス)を翻訳・出版し、「尊厳ワークショップ」を全国で開催しています。その根っこには3・11の経験があります。教会や園のリーダーを担うすべての人に読んでほしい一冊です。(有明海のほとり便り no.384)

神学校・神学生を覚えて

覚えている最も最初の神学生は、東京神学大学の学生たちです。小2で東京・東村山にある母方の祖母と同居することになり、家族で引っ越して以来、自転車で5分のところにある日本基督教団東村山教会の教会学校に出席するようになります。当時、東村山教会を牧会していたのはH牧師で東神大教授でもありました。その繋がりで、複数の神学生たちが東村山教会で実習を兼ねて過ごしておられ、わたしの教会学校の先生たちは、東神大の神学生たち。聖書の学びよりも(?)一杯遊んでもらいました。

それから高校を卒業後、父の紹介で「平和を実現するキリスト者ネット」という憲法9条を守るための超教派ネットワークの事務局でアルバイトをしばらくしました。当時、事務所が置かれていたのがNCC(日本キリスト教協議会)で、そこでも様々な牧師たちに出会う機会が与えられました。同志社、農村伝道神学校、日本聖書神学校出身の牧師たちも出会いました。

牧師になろうという決意が与えられた時に、今までに出会ってきた牧師たちの名前と出身神学校をリストアップしたのです。その時に、自分の信仰や召命に一番しっくりきたのが農伝でした。

4年通いました。特に1年の終わりにHさんと結婚し、3年の終わりにBが生まれ、喜びとともに経済的には最も貧しい時でした。それにも関わらず、最も豊かな時でもありました。毎週のように食パンを焼いて持たせて下さる方、Hさんが妊娠中には車で病院まで送迎して下さる方。Bの出産をあたかもわが孫のように喜んで下さり、教会員さんたちに「物心両面」支えていただき、一度も辛い思いをすることはありませんでした。

神学校での学びに苦労は尽きません。どうか神学生、そして神学校を覚えて祈り支えていきましょう。(有明海のほとり便り no.382)

『牧師とは何か』

18人の牧師・神学者が様々な切り口で「牧師」について語っている本(2013年出版)です。折に触れて読み返し、その度に新たな発見が与えられています。

今回目に留まったのは、「牧師の一生」と題して渡辺正男牧師が綴っている文章です。渡辺正男牧師は、1937年生、農村伝道神学校、南インド合同神学大学、プリンストン神学校で学ばれます。農村伝道神学校教師、玉川教会、函館教会、国分寺教会、青森戸山教会、南房教会の牧師を経て、2009年に引退されました。直接お会いしたことは一度だけなのですが、よくお名前を聞く大先輩の一人です。

わたしが渡辺先生の母校である農村伝道神学校の神学生だった頃に、東京にあるSCF(学生キリスト教友愛会)のワークキャンプで、毎夏訪問させていただいた教会の一つが、青森戸山教会でした。ちょうど教会のバザーがあり、前日からその準備をお手伝いしたのをよく覚えています。その頃には渡辺先生は辞され、次の牧師になっていた時代のことでした。

青森戸山伝道所は、青森市の郊外、八甲田山の麓の雪深い地に誕生したばかりの伝道所です。…十数人の会員ですが、底抜けに明るい教会でした。…広い駐車場を近所の人に負けないくらいきれいに除雪しました。連れ合い、隣の公園との間にある通学路の除雪を買って出ました。春になるとみなで花をいっぱいに植えました。ミニバザーを始めました。…会員が二十名を越えて、三年目に伝道所から第二種教会になることができました。(p.362)

わたし達がお手伝いさせていただいたバザーは渡辺先生の時代に始まったものだったことを知りました。「底抜けに明るい」青森戸山教会と、荒尾教会の「明るさ」に不思議な共通点と励ましを感じています。(有明海のほとり便り no.381)

交換講壇の意義

10年以上も出来ていない交換講壇を再開するために、熊本地区教師会などで、話し合いを重ねてきました。そこで見えてきたことは、教師間・教会間の信頼関係の揺らぎです。「人間的な思い」のすれ違いが大きかったではと感じています。

けれども、それから時が経ち、教師もほぼ入れ替わりました。その間、各教会は高齢化だけでなく、コロナ禍信徒の減少に直面しています。いま天草平安教会は無牧師(N教師が代務)、武蔵ヶ丘教会は教区謝儀保障を受給しつつ歩んでおられます。メソヂスト(八代・熊本白川・武蔵ケ丘)、組合派(熊本草場町)、改革長老派(錦ヶ丘・合志豊岡)、ホーリネス派(熊本城東)などの旧教派の伝統を大切にしている教会も、荒尾教会のような「教団の教会」として立っている教会もある熊本地区です。教会一つ一つの伝統や信仰(神学)を尊重しつつ、同時に祈り支え合う地区になっていきたいと話し合い、とても久しぶりに実現した交換講壇を喜びましょう

大牟田正山町教会にいらしたU先生は、公私共々お世話になり、とても尊敬する教師のお一人です。教区議長などの重責も担われ、いまは教区教会協力委員長として、特に苦境に立っている諸教会を支えるために心を尽くして下さっています。2021年度教区総会資料にU先生が次のように書かれています。

「己の衣食のみに腐心して何のキリスト者か、自教会のみ、或いは己が好む集団をのみ思うて何のキリスト教会か、信徒も教師も主の御働きの広がりを覚えてますます、喜んで献げる者でありたいと願う」

荒尾教会として、これからも地区交換講壇そして教区互助献金を大切にしていきましょう。(有明海のほとり便り no.380)

永住取り消し制度

6月14日に成立した改正入管難民法には、外国人の永住資格取り消しの要件を拡大する規定が含まれていました。「入管難民法の義務を順守しない」「故意に税や社会保険料を滞納する」「罪を犯し拘禁刑を受ける」のいずれかに該当した場合、永住資格の取り消しが可能になったのです。この改正案が国会に出された段階で、キリスト教会だけでなく、様々な団体が反対声明を発表しました。「横浜華僑総会」は「入管法改定案に関する声明文」の中で次のように述べています。

「永住者」は、加齢・病気・事故・社会状況の変化など、長年日本で生活していくうちに許可時の条件が満たされなくなることは起こり得ます。病気や失職などによるやむを得ない税金や社会保険料の未納、スーパーに行くときにうっかり在留カードを家に置いてきたという不携帯などの過失、執行猶予のつくようなあるいは1年の禁錮にも満たない刑法違反であっても在留資格を取り消されることがあり得る、という立場に置くこと自体、「永住者」に対する深刻なる差別であると言えます。…現在、日本で生まれ日本語しかわからず、日本にのみ生活基盤を有する2世から6世の「永住者」も多く、すべてが日本市民と共に善良なる市民として地域社会の発展に貢献しています。

ただでさえ日本は永住資格が取るのが難しい中で、今回の改悪によって、ますます外国にルーツを持つ方たちがこの日本社会で排他性を感じ生きづらさを覚えるのは言うまでもありません。いま日本では、100人のうち4人が外国にルーツを持っているそうです。年々増加している中で、キリスト教会は日本社会が持つ排他性を乗り越えていく使命が与えられています。

本日午後、西南KCCにて、父が講演する資料をお配りします。ぜひ目に留まった箇所だけでも読んでいただきたいと願っています。(有明海のほとり便り no.379)

『リアル(漫画)』

仙台や荒尾で橅と二人で少しずつ集めた漫画は本棚2つを占めるくらいになっています。その本棚の中には、ゆっくり集められている作品があり、その一つが『リアル』という漫画です。『スラムダンク』『バガボンド』で有名な井上雄彦による作品です。1999年から連載が始まり、途中休載を挟みながらも、いまも連載が続いています。わたしは神学校時代に『リアル』に出会って以来、単行本が出る度に買っているのですが、まだまだ物語は続いていくようです。

車椅子バスケットボールに出会い全力で突き進む戸川清春、バイク事故で高校を中退したところで戸川と出会いバスケットボールのプロトライアウトに挑戦していく野宮朋美、野宮と高校時代バスケ部で同級生でしたが交通事故で下半身不随となり、リハビリ病棟で車椅子バスケットボールに出会い再び挑戦していく高橋久信。主人公を1人に絞るのが難しいくらい、3人それぞれの葛藤や痛み・喜びが深く描かれています。一人ひとりの成長譚(物語)であると同時に、障がいを持ってこの日本社会に生きる中で直面する数々の差別も描いています。しかもその差別は、特にプライドの高い久信自身の中にもあり、自分自身を苦しめていくことにもなります。野宮は3人の中では特に身体的なハンディがあるわけではありません。けれども、「お前なんかどうせ出来ない」という周りからの言葉と結果に、時に大きく沈んでいきます。

しかし3人とも、本当の仲間と呼べる友人たちとの出会いで変わっていくのです。人は「doing」ではない「being」を受け入れることが出来る時に、はじめて挑戦へと確かに踏み出していくことが出来る。そんな聖書と響き合うメッセージが込められています。(有明海のほとり便り no.378)

『信徒の友』・教団出版局を覚えて

『信徒の友』は1964年4月号が創刊の月刊誌で、今年60年を迎えました。日本キリスト教団には約1700の教会・伝道所がありますが、その多くの教会で『信徒の友』は読みつがれてきました。1966年4月から1968年9月にかけて、三浦綾子さんによる『塩狩峠』が連載され、後に新潮社等により出版され、映画化もされ、誰しもが知る三浦綾子さんの代表作品の一つとなりました。

そのような歴史を持つ『信徒の友』ですが、購読者数は減ってきているそうです。教会員数の減少と比例しているのでしょう。出版局の働きは『信徒の友』以外にも、書籍の出版も積極的にされていますが、経営状態はかなり厳しく、いまの教団にとって大きな課題の一つとなっています。また、そもそも牧師をはじめとして本を読まなくなったという現状も聞こえてきます。

そのような苦境の中において、教団出版局では『信徒の友』を大切に続け、さらに読みやすいものへと工夫をこらしていることが伝わってきます。書籍においても、『わたしが「カルト」に? ゆがんだ支配はすぐそばに』や、『LGBTとキリスト教 20人のストーリー』など、いま教会が向き合うべき課題を深く掘り下げている本を出されており、日本キリスト教団だけでなく、他教派や一般の読者からも読まれる出版を続けておられます。

昨日から取材に来て下さった編集者のIさんは、わたしが仙台の被災者支援センター・エマオに遣わされてすぐに出会いました。いまは、主に書籍の編集をされておられるのですが、わたしがここ数年読んで感銘を受けた教団出版局の本のほとんどはIさんが編集されたものです! 一人のキリスト者としても、とても尊敬するIさんとの再会に感謝しています。(有明海のほとり便り no.377)