生協(コープ)

すっかりお味噌汁作りにも慣れてきた(おかずはいただき物や冷凍物が多いが…)。「だし」問題も、そもそも「ほんだし」ではなく「グリーンコープ」の「だし」で、何度も探したところ(!)から見つかった。

コープ歴は結構長い。物心がついた時にはすでに実家は「生活クラブ」の会員だった。その頃は、個人配達ではなく、班単位での配達が主流で、家の玄関に班の人たちが集まりワイワイ分け合っていた。いま振り返ると、何だか心温まる場だった。時代の流れの中で、個人配達が主流となっていく。

前任地の仙台では、「あいコープみやぎ」を利用していた。食品の放射能自主測定を行っており、自主基準が10Bq/kg以下としてくれていた。政府は一般食品の放射性物質の基準値を100Bq/kgとしている中で、「あいコープ」からの食品はまさに命綱だった。

どのコープにも共通しているのが「安心・安全な食品を食卓へ」という願い。さらに一歩深めれば、人間が自然・地球と共生していくという指針。

1951年に生協(コープ)の全国組織である日本生活協同組合連合会が設立された際、初代会長はキリスト者・賀川豊彦だった。賀川が「協同組合の中心思想」として7つの言葉を遺している。

賀川が祈り願った神の国のビジョン(幻)がここにある。「人格経済」が実現したとは到底言えない「いま」、まずはささやかな所から。(有明海のほとり便り no.185)