川崎嗣夫牧師(初代・1951年~1953年)

1947年秋、川崎嗣夫牧師シベリア抑留から復員されました。1948年には日本基督教神学専門学校に復学し、卒業年次の夏期伝道実習先が荒尾「伝道所」だったそうです。そして卒業し初任地として荒尾に遣わされました。富士、本郷、小金井西ノ台教会を牧会し、2015年2月19日91歳で召天されました。

今でも私の脳裏に焼きついていることは主イエスが荒尾の地に立たれて私を差し招いておられるそのみ姿が幻想に思い起こされるのである。
…この小さな群れは是非ともこの地に礼拝堂を建て福音の前進に仕えようという祈りにおいて結集し、その願いの実現のため力を注ぐこととなった。このことのために母教会としての坪井教会(現・錦ケ丘教会)の長老会や教会員の方々の物心両面にわたるご尽力を忘れることはできない。総工費七十万円、礼拝堂並びに牧師館。地元で工費の半分を負担し、二十七年三月に竣工、四月献堂式を迎えることとなった
…教会はこの働きに当たって当初より幼な子達への伝道の志を持ち、幼稚園を建設することが願われていたが、それは荒尾市の希望でもあり、四百坪の土地が与えられた。この業の実現に当たっての宮崎長老のご尽力を忘れてはならない。
…先に述べた献堂式の前、私たちも新しい家庭が与えられ、教会員の皆様も喜びを共にし、将来に向けて希望をもっていただいたのであるが、その数カ月後、病を得、十分な奉仕ができないまま二十八年春御教会を去ることになった。その後、幸いにして健康を回復し、静岡県の富士教会で二十七年間、東京の本郷教会で十六年間と、荒尾教会に仕わされてから、計四十五年間、いとちいさきものながら主の教会に仕えることが許された。

荒尾教会草創期にあっての先達の祈りと働きを覚えましょう。(有明海のほとり便り no.231)